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はじめての釣りの記憶。

10歳のころ。

少年期、自分が暮らしていた町。

東京西部・・・東京都いっても「え?ここも東京ですか?」的な自然豊かな・・・いわゆる里山・里川的な風景の拡がる町。

市の南北を川に挟まれ、それを南北の市境とする町。

暮らすものと川の距離が比較的近い町。

今は、釣りに知識がなくても読んで愉しい釣り雑誌・・・「フライの雑誌」が編集部を構えるあたりです。

そこではじめて、父親に連れられて釣りに行きました。

里川、しかし本流。

アクセス容易な橋のたもと。

ドキドキしていました。

「釣りに行ってみよう!」となってからこちらは基本”本の人”・・・読める範囲(学校の図書室・市の図書館・・・)で自分のできる範囲の釣りの本を読み漁り、事前準備(脳内)は、バッチリです。

キジ(ミミズ)と練り餌を用意しての浮子釣り。雑魚狙い。ちなみにここら流域の対象魚としてはウグイ・オイカワにフナ・コイ・モロコ・・・あたりでしょうか。

橋のたもと。

流れの状況にもよりますが、橋脚周りに出来る流れの変化・・・が一番のねらい目・ポイントとなります。

こんな時、想像してみてください。自分が魚なら何処に身を隠すかな?と。障害物の影・流れの変化によって自分の身が見つけられ辛い場所・・・そんな場所が魅力的ではありませんか?

父親はもともと、釣りの知識のある人です。育ったのは海辺・・・も容易にそこで得た知識を川のそれに変換し、橋脚周りを狙います。

長い竿で。

そう、自分の体格に見合った長い竿で。

かたやオレの竿は?当時小学3年生のオレの竿は?

届かないのです!

知識だけはあるので魚のいる(とされる)場所はわかるんです。

なのにそこにオレの手は届かない。

父親は届く。魚を釣る。それこそ予定調和的に彼の竿には魚がかかる。

惨敗。

コレがオレの心に火をつけます。

「釣りは、釣れる釣れないだけじゃない」

今でこそその言葉の意味は解ります。大いに推したい。

しかし10歳の自分にそんな事がわかるわけもなく。

「オレも釣る。ヤツ(父親)よりも釣る。」要するに・・・

「ヤツに勝つ!」

・・・こんな思い・工夫を軸にこの後数年間が過ぎていきます。

どれほどの執念だったか?というと周囲の少年たちは既に外遊びを止め、空前のファミコンブームに次々鞍替えをしていくのですが、自分はそれに気づかず乗り遅れてしまったくらい・・・と言いましょうか。

結果的にこの執念は実を結びます。

それはそうでしょう、すでに故人である父親は勝負感など一切関係なかったのですから。

そして・・・それでも・・・オレは今も釣り中心の生活を・・・居を長野県・千曲川流域に移してまでも・・・送っています。

そこに至るほんの小さなキッカケは、そう。

東京の川のホンの小さなひと場面にあったのです。


・・・。

このシリーズではこんな感じで少年期の、あれやこれや・・・な思い出を切り取って書いていこうと思います。

よろしくお願いします。

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