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坂本龍一の晩年:音楽、音、ノイズの接合

雲のような曲

この画像は、坂本龍一が最晩年に構想していたオーケストラ曲の為のスケッチである。NHKの番組で紹介された画面をキャプチャーしたものだ。

この曲は、坂本龍一が亡くなったことで未完となってしまったが、「12」で試みたアイデアをオーケストラで展開しようとする意図が、読み取れる。

スケッチの右上には、曲のタイトルと思われる「cloud S」という文字があるが、まさに雲のように、様々な音が刻一刻と浮かんでは消え、折り重なりあって変化していく曲の流れが示されている。

渦巻の連続や細かい点々など、いくつかの異なる持続音が鳴っている中で、別の音がフェードイン、フェードアウトしながら、徐々に形を変えていくアイデアが、鉛筆で描かれている。

このスケッチを見れば、オーケストラのための曲といいながら、むしろ曲というよりは生活の中で聞こえてくる環境音を楽器で再現するかのような「12」に近い作品が目指されていたと考えられる。

領域の横断と接合の音楽家

坂本龍一は、領域の横断と接合の音楽家である。そして、最晩年に構想されたこの作品もその枠組みの中に位置付けることが出来る。

初期のソロアルバムやYMOでの活動では、電子機器とアコースティック、機械と身体といった異質なものの接合が試みられている。
例えば、YMOと同じく、テクノポップの創成期のバンドとして知られるクラフトワークと比較すれば、その傾向がより明確になる。クラフトワークが、電子音と機械的なリズムだけで曲を構成しているのに対して、YMOの音作りは電子音だけを使ったわけでも機械的な音楽を目指していたわけでもない。

YMOのファーストアルバムに収録され坂本龍一が作曲を手がけた「東風」では、電子音だけにこだわることなく、シンセサイザーにアコースティックピアノの音が重ねられている。
あるいは、同じくファーストアルバムに収録された「ファイヤークラッカー」でも、コンピュータによる機械的リズムが使われた最初期のバージョンは、感覚的な違和感から放棄されたと言われている。
あくまで機械と身体、電子機器とアコースティックとの融合が、目指されている。

YMO散会後のソロアルバム「音楽図鑑」では、そのアルバム名のとおり、様々なジャンルの音楽様式を横断し、シミュレートした曲を図鑑のように並列的に収録されている。

続いて、「音楽図鑑」の一年半後に発表された「未来派野郎」(1986)とその発表後のライブツアーを収録した「MEDIA BAHN LIVE」(1986)は、機械と身体というテーマを最も明快に表現している作品である。
アルバムのタイトルにある「未来派」とは、20世紀初頭イタリアに起こった、過激なほど人間性を否定し機械や戦争を讃美した芸術運動の名称である。
そのタイトルの通り、このアルバムには、当時普及し始めていたフェアライトCMIやEmulatorⅡといったサンプリングマシンを用いて、機械音や金属音を活かした曲が収録されている。
一方、「MEDIA BAHN LIVE」は、「未来派野郎」が発表された後のライブツアーとして、そのアルバムの収録曲やそれ以前のソロアルバムが演奏されているが、コンピュータ演奏による自動演奏を排除し、全て人間による生演奏となっている。
つまり、機械讃美をコンセプトととして制作された「未来派野郎」の曲が、「MEDIA BAHN LIVE」では人間の肉体のみで生演奏されるという、機械と肉体という対極を接合する試みが行われている。

80年代後半の「NEO GEO」や「BEAUTY」では、地理的な横断と接合が試みられている。各地の民族音楽や楽器を組み合わせることにより、どこにもない新しい場所「NEO GEO」やどこにもなかった新しい美学「BEAUTY」を作り出そうとしている。

音楽・音・ノイズ

晩年の作品では、その試みをさらに深化させ、音楽という枠組みの中にある各ジャンルの横断と接合という試みから抜け出し、音という領域を思考の対象とした。
各地の民族音楽を接合してどこにもない音楽を思考したように、「OUT OF NOISE」(2008)、「ASYNC」(2017)、「12」(2023)の3つのアルバムでは、音楽、環境音、ノイズ、といった音に関係する各領域を横断し、融合した作品を作り出そうとしている。

「out of noise」で、音楽、環境音、ノイズが融合された結果、音楽的な印象が強い作品となっていたものの、後続する作品では音楽的な印象が弱まり、環境音に近い形で融合している。
「ASYNC」では、重ね合わされる各音に音楽的な同期性が排除された。
さらに、「12」では、そのあゆみを進歩させて、シンセサイザーによる持続音が多用するなどして、風の音や雨の音などの環境音に近い作品となっている。

そして、その後に続くはずだった曲が、冒頭のスケッチに基づき構想されていたオーケストラ曲である。
完成していれば、「12」での試みがより純化された作品になっていたはずである。

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