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素人評価しか存在しない国

この国の近代化は、そのまま欧米化でしたし、それはまた富国強兵と表裏一体でした。つまり大学もまた、その国策の一環であったわけです。

日本では、大学が研究機関であるという「常識」が形成されたことがありません(そもそも最初の国立大学である東大は官僚養成機関という色が強かった)。

SNSでの大学評価も、ほとんどが「卒業生の平均年収」だとかの話に落ち着くのも、その流れからすれば当然です。

残念ですが、この国のマスコミ、さらにはSNSのどこを見ても、大学の本当の研究力を語れる人がいません。これは本当に「皆無」です。自分たちで評価できないから、結局、外国の大学評価で騒ぐしかない。

この国では、研究力なんて評価されないのを誰もが知っているから、世界レベルの仕事が出来る学者(1パーセントもいません)以外は、「本気で」研究する気がない。日本の大学教授が書いている論文の大半は、「仕事してます」というアピールのため「だけの」アリバイ論文です。

事実として書き残しておくと、私の周りの同世代研究者で、常勤職を得た後でも著作をものした者は、一人二人しかいません。大半は定職を得ると同時に研究を止めていると言っても良い。

こうなるのは、そもそもの話、研究を評価できる人間がいない。研究をちゃんと評価できるシステムが存在しないからです。評価される見込みのない仕事をする人間はいません。それを正当に評価する人がいるからこそ、どういう世界であれ、人は高みを目指すのです。

研究だけではない。あらゆる局面において、「仕事が正当に評価される」という当たり前が機能しなくなっている。結果的には国土を無茶苦茶にしかねないような計画を立てて、金儲けをする人間が「勝ち組」とされる。これは今現在私達が目にしている現実です。

これは完全にシステマティックな問題です。正当な評価を下せなくなった社会は、もはや「社会」ではありません。

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