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㊗小江戸大江戸200K完走 反省会(大江戸コース編)

2021.3.27(土)~28(日)にかけて第11回小江戸大江戸200Kが開催されました。前回の小江戸コース編に引き続き、今回は大江戸コースを反省したいと思います。

大江戸のタイム推移

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当初予定のペースでは馬喰町までキロ9分赤羽までキロ10分ラストはキロ11分という見込みを立てていました。このペース感は、今回走ってみて、意外に悪くない見込みでした。

ちなみに、この平均ペースの算定方法は、以下の通りです。
走り:キロ7分半
歩き:キロ15分
全体の20%を歩いた場合:キロ9分ペース。
全体の33%を歩いた場合:キロ10分ペース。
全体の47%を歩いた場合:キロ11分ペース。

さてさて、大江戸コース編では何を記すか?

ウルトラマラソンって100kmが主流ですよね。その100kmを超えた先に何がまっているのか?

「その辺が皆さん気になるかなぁ~???」なんて考えながら、やはり、今回は、「辛いところ、キツいところ」と「それをどう乗り越えたのか?」について、書いてみました。

”辛さ”の第1波

川越から成願寺に向かう区間。特に川越街道から熊野町を右折してからの「山手通り」で第一の波が来ました(赤矢印のあたり)。

辛いポイント①

日時は、28日(日)AM0時半くらい・・・スタートしてから17時間半ほど経過・・・

熊野町の交差点を右折してから成願寺エイドまで残り5kmくらいなのですが、川越から熊野町まで約30km走ってきていることもあり、地図だけ見ると熊野町から直ぐ着く感覚を持ってしまっていました。

しかし、走ってみると意外と遠く、なかなか到着しない。。。

「あれぇ~。まだ着かないんだぁ~???」という気持ちになると、だんだん

繰り返しになりますが、熊野町から成願寺までは約5kmです。普段なら30分くらいでしょうが、その時の私にはそんなに速いペースで走ることはできません。

「もうすぐ着く」と思うのはあと1~2km手前くらいからとすべきでした。

脳ミソには、熊野町から成願寺エイドまでは、まだまだかかると叩きこんでおく必要がありました。

では、私は、ここでどういう対処をしたかですが、いわゆる「コバンザメ走法」です。

残り3~4km地点くらいだったと思います。後ろから大江戸ナイトのランナー3人の集団が私を追い抜いていきました。あっという間に抜かされ、ついて行く元気はなかったのですが、次の交差点で追いつくことができ、そこから、何度か「引き離されるのであるが、結果着いて行けてる」ということから、気持ちがラクになってきました。次第にリズムが出てきて、気づくと並走できるまで回復しました。そんなこんなで、あっという間に成願寺エイドに到着できました。

”辛さ”の第2波

成願寺エイド(128km地点)に到着し、疲労感、脹脛、太腿の筋肉に筋疲労が出てきました。

ここから深夜帯にも入り眠気も加わってきます。気持ちが落ちやすい状況が重なってきます。そういう意味で、ここからが本当の小江戸大江戸200Kの始まりです。

そんな中、馬喰町エイド(145.5km地点)を出発してすぐは、足裏の痛みで、かなりキツい状況でした。なかなか走る勇気がでてこないというか、、、なんというか。

28日(日)AM6時くらいだったでしょうか・・・。

走っては歩き、歩いては走り。そんな状況を繰り返していました。

フラフラとした状況の中、後ろから来たランナーさんが成願寺エイドでちょっと会話を交わした方でした(ここではSさんとしておきます。)。

成願寺エイドでのSさんとの出会い
成願寺エイドで休憩している私の隣の椅子にSさんが座りました。Sさんは、滅茶苦茶辛そうで、おもむろにシューズを脱ぎました。右足の小指と薬指をテーピングでぐるぐるに巻いており、そのテーピングを取り始めました。テーピングを取ると、小指に大きな水ぶくれが・・・。「それは痛いですよね!」。あまりにひどい状況だったので、私は声をかけ、2,3会話を交わし、バンドエイドをあげて、成願寺エイドを出発しました。

私は、これ以上走るのって厳しいのでは???と思っていました。それでも、Sさんは復活を果たし、私を追い抜こうとしているではないですか。

思わず、「回復されたんですねー。」って声掛け、Sさんも私に気づき、「その節はどうもー。」みたいな会話を交わし、何となく、私のペースに合わせてくれた気がしました。

(単なる私の勘違いかもしれませんが、)ペースを合わせてくれたSさんに応えるように、不思議と足が動き始め、足裏の痛みも気にならなくなってきました。

おかげで、おしなりエイド(157.9km地点)の手前まで一緒に走りながら進むことができました。

Sさんには感謝しかないです。

その後も、何人かのランナーさんと会話をすることで、気持ちが楽になったりする効果を得ながら進みました。

超ウルトラにおいて一緒に走っているランナーさんとの会話は、どんな(アミノ酸系の)サプリより効果が高いと思っています。皆さんも是非辛くなったら周りの方と会話をしながら進んでみて下さい(笑)

勝どき橋上

”辛さ”の第3波

最後に、成願寺エイド以降から発症していた「足裏の痛み」についてです。

これは、昨年の小江戸大江戸でも100km過ぎから発生していましたし、他のウルトラの大会や超ロング走の練習でも発症する私特有の脳ミソから発動される「走るな!」の信号だと勝手に思っています。

疲れてきたり、補給が十分でないと、足裏が地面に接地するたびに「じわ~」っと鈍痛を生じさせます。

だんだん走るモチベーションを奪っていき、歩きに持っていこうとします。そして、歩くたびに「じわ~」と痛みがはしり、止まりたくなります。

「キツかった」ポイント②で記載した通り、会話をしながら進むことで回避できるのですが、あくまでこれは対処療法であり、一緒に走りながら会話する人がいなくなると、すぐ発症します。

今回はおよそ成願寺エイド(128km地点)から、そんなことを繰り返しながら進んでいました。

そんな私が、確か、王子駅(170km地点)手前くらいだったと思います。Sさんとも別れ、単独走(歩)をしていた時です。

「あ~、もう痛い。痛すぎる。でも、この痛みは止まるまで痛み続ける。リタイアしない限り、ゴールまで続くんだ!」

「よし、もう諦めよう!!」

「痛みは受入れよう!」

「諦める」というのは、走るのを止めるという意味ではありません。痛みを何とか減らそうと努力することを諦めるという意味です(笑)。そ~っと歩いても痛いので、歩いても走っても痛いなら、走ってしまえ!そんなところです。

意を決して、走り始めました。はじめは痛みがあったのですが、歩くより走る方が痛くないことに気づきました。

たぶんですが、足裏が地面に接地している時間が短い分、痛みも少なく感じたのではと思っています。そしていつしか、足の痛みは気にならなくなりました。(←痛いけど止まる程の痛みではなくなったと言った方が正確かもしれません。)

荒川の河川敷にでた時には、爆走モードに変わりました。前を行くランナーさんが皆、歩きに変わっていたので、ガンガン抜いて、気持ち的にはキロ4分半ペース(※)でした(笑)

※実際はキロ6分半くらいです。

爆走の落とし穴

成願寺エイド2

荒川河川敷を爆走しながら、秋ヶ瀬エイド(192km地点)に着きました。

ササっと補給を済ませ、時計に目をやると29時間半。30時間30分でのゴールは厳しいが、行けるところまで行こう!

追い抜いたり、すれ違う選手に対して「ナイスラーン!」とか声をかけながら、自分にも言い聞かせ爆走しました。

しかし、200kmを過ぎたあたりです。右足の太腿内側に針を刺すような痛みがはしりました。これ以上走ると怪我をすると思い、これ以降は歩き中心で進むことにしました。

秋ヶ瀬エイド出たときには31時間10分くらいでゴールできるかと思っていましたが、結果として31時間29分。

30時間を超える戦いの中で、たかだか20分くらいの話。皆さんはどう感じられますかね(笑)

「31時間10分も31時間30分も変わらないじゃないか!」という声が聞こえそうです(笑)

走る前は「頑張っていいのはラスト10km」と思っていたのですが・・・、調子に乗ったツケですね。やはり超ウルトラは最後の最後まで「頑張らない走り」徹するべきでした。次回は気を付けたいと思います。

最後に

多くの応援や一緒に走るランナーさんに支えられながら連繫寺に到着でき、ここ最近では無い、大きな達成感を味わうことができました。

しかし、最後、太腿を痛めてしまい歩くことを余儀なくされたことには、若干、悔しさというか、伸びしろしかないですし、

私の限界はまだ先にありそうです!

来年は、もっと良いパフォーマンスをだして、今日より満足いく走りをしたい。

ゴールした瞬間から、第12回小江戸大江戸200Kのはじまりですね。
それでは皆さん、また来年お会いしましょう!

最後に、本大会を開催いただいた運営の方々、ボランティアの方々、沿道で応援いただいた皆様、札幌で私の記録を見ていただいた皆様に感謝したいと思います。本当にありがとうございました!

そして、最後までお読みいただきありがとうございました。

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