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Short Design6/18 家族美

今月も父の月命日がやってきた。すでに7回目。
父は7という数字が好きだった。
「俺の人生には7がついてまわるんだよ」
「ラッキーセブンだからね!でも競馬はあたらねえんだ」

豪快に笑う人だった。最後の時を思うと私は少しだけ後悔がある。笑って終わらせてあげられなかった。家のゴタゴタのことで泣かせてしまった。気が強くて曲がったことをなあなあにしておけない性格が災いして父に心配をかけてしまった。
病床の父は私を助けるだけの体の自由も奪われていたからだ。
泣き叫んでいる私に向かってベッドから力の限り呼んでくれた。肺がんだったから声も出なかったのに、声を出すことも辛かったのに可哀想なことをした。
「俺は、めぐがここに来てくれたことだけで嬉しいんだ。俺は幸せだと思う。俺は幸せな父親だと思う」。
父の泣いている姿は嫌いだった。私まで辛くなる。
「めぐみだって幸せだよ!パパはいつだってめぐみの一番だった。いつだって世界一のパパだったよ!」

空気を読んだり、何かを察するというのは気遣いができるというだけじゃない。その場は流してしまうとか、声をかけないとか、待ってあげるとかそんなこともまた空気を読むことだし、察することだし、ひいては気遣うことになる。
父はカラッとしたその性格から鈍感だったかもしれないけれど、余計な口出しをせず私を信じ応援してくれる人だった。

うつ病に悩まされた時は夜のドライブに連れて行ってくれた。山の上から見たかすかな夜景が今でも優しい思い出として心の故郷として残っている。
帰省すれば長野駅まで迎えに来てもらった。
オンボロの軽トラで迎えに来てくれたわけだが、全然恥ずかしくなかった。それどころか父の運転する車の助手席に座れることは誇らしかった。
「パパはかっこいいの!」
臆面もなく私はみんなに言う。恥ずかしいとは思わない、だって本当にかっこいいから。

卓さんたちでさえも私の父を見ることはほとんどなかったはずだ。学校行事に参加したことなどなかったし、仕事と家の往復で人生を終えたような人だったから。だからといって寂しさは微塵もない。どこでも友達がいた、どこでも親友がいた、どこでも戦友がいた。
父は社交的な面から私に人付き合いのコツを教えてくれた。
「弱音は吐くこと。格好悪いこともあっけらかんと伝えること。とにかく格好つけないこと。助けてほしい時は助けてと言うこと。持ちつ持たれつじゃないと長く仲良くはいられない」

保育園の卒園アルバムにも同じようなことを書いてくれた。
「友達と仲良くすること」。
人見知りで家族以外には心を開かない内弁慶の私は不運にも一人っ子だったから父は将来を案じていた。加えて精神的に負担を感じやすい神経症なところもあるから、結婚や就職のことも心配だったそうだ。
それでも父は近所のおじさん連中とよくこんな話をしていた、
「立場が人を育てる。今は何もやらなくても、何もできなくてもそういう局面になればよくしたものでうまくやるから」と。

時を経て私のそばには卓さんがいてくれる。信じられないほどに嬉しいことだった。あらゆることが霞んでしまうくらいに、どうでもよくなってしまうくらいに、嬉しくて幸せなことだった。

卓さんという言い方はすでに中学生の頃からだった。同級生の幼馴染に対して「さん付け」というのは私の計算によるものだったけれど、互いに変わってもなお愛し合っていた奇跡は、瞳の輝きをさらに輝かせていった。

立場が変わっていく。友達から恋人へ、そして無二の家族へと。
友達として仲良くしていた卓さんに恋をして私は世界が変わって行った。良くも悪くも卓さんが存在し続けた人生だった。
大袈裟ではない、出会ってから既に33年。人生のほぼすべてを卓さんが共にいてくれたのだから。

クリスマスに再会した。私と卓さんはクリスマスに塗れている。できすぎたドラマチックなことばかりが私と卓さんの人生には起きている。

父の7回目の月命日を迎えた。父の好きなラッキーセブンは残念ながら卓さんにはひとつも該当しない。卓さんのお友達のユウマンは出席番号が7番だったからもしやパパのお墨付きはユウマンなのかもしれない。

笑いが込み上げてくる。冗談みたいな日々をさらに上回った冗談で彩っていく。落書きよりも上品に、軽快に。ユウマンもマッキーもクリも卓さんも私の笑いの源だ。関わるほどにくだらないことを本気でやり切る姿は振り切っている。最後に涙を見せてしまった父には申し訳ないが、めぐみは彼らの愛に育まれながら今日も笑顔で人生を生きています。

それからもうひとつ!!
父が亡くなってから義理の父ができた。それもひとりやふたりじゃない。同時に母と決別してから義理の母ができた。それもふたりや3人じゃない。

人生捨てる神あれば拾う神ありである。
人生はいくつもの小節に別れていることをよくよく知ることとなった。終わりが来なければはじまることはない。

明日の父の日幾人ものこの世の父に何をしてあげようかと心が躍る。

さてさて、だから、卓さんもマッキーもユウマンもクリも、そしてぷんちゃんたちも私とのお付き合いに際しては、より多くの私の父母の査定が入ることになる。
厳しい審査員は今度はたった2人ではない。全員の合格がもらえた男性を生涯の伴侶にするべきなのかもしれない。

連綿と続く個人消息の中に雑多に愛が交錯していく。これを美と呼ばず何を美と称するべきか。
家族は美だと思う。思いやりと優しさの家族愛こそ人間的調和の究極だと思うのだ。



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