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私の出逢った人物図鑑①バスケ部キャプテンHさん

noteをご覧の皆様、ご無沙汰しております。
お久しぶりの小梅でございます♪
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

ブログは更新していましたが、noteはかなりあいてしまいましたね。
でも、前回の宣言通り、
今年は私の出逢った人物図鑑シリーズを書き始めたいと思います!

記念すべき第一回は、小学生の時にやっていたミニバスケットボールと、
中学生の時にやっていたバスケットボールの1年上の先輩だった、
バスケットボール部のキャプテンHさんです!

私はそのHさんから、どのような影響を受けたのでしょうか?

キャプテンのHさん


私が通っていた福浜小学校は、
私が小学2年生の時にミニバスケットボール部ができ、
私も入部することになりました。

もちろん参加するみんなが初心者スタートなので、
当初はかなり下手なチームだったのですが、
みんなでワイワイ練習をやっていて楽しかったのを覚えています。

それこそいろいろな練習をしたのですが、
最も印象に残っているのは、きつい練習を終えた後に、
みんなで並んで雑巾がけをする最後のとどめのトレーニングです。
その一番になるのを競い合っていた思い出があります。

私が5年生になる頃には、
地域で行なわれる大会で強いチームとも渡り合えるようになっており、
大会で準優勝することも。

Hさんは1年上の先輩で、チームメンバーから一心に信頼される人でした。
その信頼を受け、彼女が6年生の時にキャプテンになり、
私は5年生でチームのレギュラーメンバーとして一緒にプレイしていたのでした。

練習に誰よりも一番真剣に打ち込み、
試合では一番声を出し、走り、ゴールを目指し、
一心不乱にディフェンスをして、ボールを追いかけるHさん。
また、絶対に負けない!という気迫が本当に強く、
私たちはそのHさんの心持ちに奮い立たされたのを覚えています。

外周を走る時も、いつもHさんの背中を見て走っていました。
副キャプテンと、私を含めたレギュラーメンバーの4人だけが、
Hさんについていけており、一緒に走っていたのでした。

人一倍練習に打ち込み、全力で試合に臨むHさんは、
怪我が多く、膝を痛め、捻挫もよくしていました。
両膝にはサポーターをつけ、
怪我が痛いのを私たちに絶対に見せようとせず、
それでも試合にも練習にも全力でした。

そんなHさんは、練習が終わるととにかく優しい先輩で、
明るく後輩にも声を掛け、チームには笑顔が絶えませんでした。
私たちはそんなHさんを尊敬し、信頼し、
この人についていけば間違いない!と感じていたのです。

炭酸ジュースを飲まない小学生


私が衝撃を受けたエピソードとして、
Hさんはお菓子を食べず、炭酸ジュースを飲みませんでした。

健康に対する知識や経験が培われた今なら、
なぜそうなのかは理解できますが、
小学生で何の知識もない私は、子どもながらに衝撃の事実でした。

ジュースは絶対に100%のフルーツジュースしか飲みません。
なんてストイックな小学生なんだろう。笑

当時の私はそれをすごいなと思いましたが、
なぜそうしているのかその時の私は理解できなかったので、
私は駄菓子を食べ、炭酸ジュースを飲んでいました。笑

他校でも話題になるHさんのストイックさ


Hさんは試合中、自分がミスをすると
自分の太腿をバチンと掌の形がつくほど叩く習慣がありました。

それは先生に言われたからでもなく、
ただただ自分を叱咤激励する為だったのだと思います。

心からHさんを尊敬していた私も、
いつの間にか同じように自分がミスした際には太腿を叩く癖ができました。

でもHさんのそれは、周りの人が
「そんなに自分を戒めなくても。。。」
と思ってしまう程強烈なものでした。

私は社会人になって、小学生の時の大会で
別のチームで試合をしていた人たちと
同じチームでバスケをする機会があり、友達になりました。

私達は当時のお互いのチームの印象や、
チームメンバーの話をしながら盛り上がっていましたが、
その時に他校から見たHさんの印象を聞くことができました。

笑ったのは、Hさんにディフェンスにつかれるとこわかった。という感想。
それは、同じチームメンバーでもそうだったのでわかると同意。笑

Hさんはありえない程の低い姿勢で自分の対峙する人に集中し、
ボールが手から離れようものなら一心不乱にボールを追うので、
最もつかれたくないディフェンスをする人だったのです。

更にHさんはディフェンスの際に『ボール、ボール。』と常に声を出し、
オフェンスにプレッシャーをかけるので、
その緊張感ったらありません。笑

また、やはり太腿をガチンコに叩くHさんに対して、
相手チームの人たちも「そこまでしなても。。」と思っていたとのこと。笑

でも本当に嬉しかったのは、他のチームの人たちも、
彼女のバスケットボールに向き合うひたむきさや、
彼女の技術、そして立ち居振る舞いを尊敬し、
他チームながら素晴らしいと感じていたことでした。

私はその話を聞いた時に、自分の先輩であることを誇りに思うと共に、
改めてHさんの存在の凄さを感じることができました。

中学校でもキャプテンに!

私が通っていた当仁中学校は、
地域の3つの小学校が集まった学校でした。

3つの学校が一つになることで、
私たちがずっと勝てなかったバスケチームのメンバーと同じ学校となり、
同じチームとなってバスケットボールに打ち込むことになったのでした。
敵チームだと強豪だった相手も、
味方になれば心強いことこの上なしですね。笑

中学生になるとゴールが高くなり、ボールは大きくなり、
更に試合の時間も延びて、練習は格段にきつくなりました。
入学して練習をしだすと、体重が一気に3kg減ったのを覚えています。
また、強いチームメンバーがいるので、
その中でレギュラーを勝ち取らなくてはなりません。

Hさんはここでもチームメンバーの信頼を得て、
先輩からも後輩からも慕われ、チームの中心人物となっていきました。

私が中学校1年生の時に残っていたチームの古い習慣がありました。

◇先輩の前では、座ってバスケットシューズを履いてはいけない
◇3年生しか部室は使えない
◇学校で先輩に会うと全力で挨拶
◇外周を走っている時に、先輩を追い抜くときは後ろを走り、
  先輩に許可をとってから全速力で追い抜かなくてはならない。

等など、今思えば笑いがでる決まりごとばかり。笑

私たちがプレイしているころは、練習中は水を飲んではダメで、
休憩中にがぶ飲みしていたのを覚えています。
体力をつけて、暑さになれる為に、
体育館を締め切って練習していたこともあります。
古き悪し習慣ですね。笑

でも今思えば、こういう経験があったからこそ、
受け取った技術や経験、心持ちがあるとも思えます。

Hさんが3年生になると、顧問の先生も、
チームメンバーも全会一致でHさんがキャプテンになりました。

Hさんがキャプテンになると、
今までにあったしょうもないルールは撤廃され、
先輩後輩関係なく部室を使い、
なごやかな雰囲気で交流し、
チームメンバー全員で真剣に練習に打ち込んでいきました。

私も晴れて2年生からレギュラーメンバーになったので、
小学生の時と同じようにHさんと練習に打ち込み、
私たちは県大会に出場できるまでに成長しました。

小学生の時に一度も勝てなかったチームのチームメンバーは、
チームのエースとなり、心強いチームメイトになりましたが、
彼女たちもHさんを心底尊敬し、一緒に闘っていました。

私はHさんと一緒にプレイすることで、
彼女から多大な影響を受けました。

太腿を叩く癖だけでなく、
どんなに疲れてきつい時でも声を出すこと、
チームメイトを盛り上げ、鼓舞すること、
そして練習にひたむきに打ち込むこと、
試合にいつも全力で取り組むこと等です。

性格が良く明るくて、誰に対しても優しい。
Hさんは頭も良く、正に文武両道。
更に礼儀正しく、他校の先生にも評判の生徒で、
高校も地域で有名な名門校に入り、
私の中で本当に完璧な先輩でした。

Hさんが卒業していなくなってからも、
Hさんから学んだり、
受け取ったことをやり続けた私はチームのムードメーカーになりました。
それもこれも、Hさんの背中を見て成長したからこそです。

小学生の時に先生に言われた言葉で残っていることもあります。
試合中に疲れて、手を膝にのせて肩で息をしていた時に、
『疲れていることを人に見せるんじゃない!』と怒られたことがあります。

そこから私は、どんなに疲れても膝に手をつかず、
腰に手を当てて直立不動で呼吸を整えるようになりました。
そして、人前で疲れているという表情をしなくなったのです。
呼吸もぜーぜーさせずに整えるようになり、
呼吸を整えるスピードが格段に速くなりました。

その影響は40歳になる今までも続いており、
私はいくら疲れたり、ストレスを受けたりしても、
あまり人にそれをみせることはしません。
三つ子の魂百までとは言いますが、
小学校の時に受け取ったことでも強く印象にのこるものですね。笑

驚きの再会

Hさんは名門校を卒業し、その後福岡を出て、
風の噂で結婚してお母さんになったという話を聞いていました。

2016年にオーストラリアから帰国して、
東京に住みだした私は、
ある友人が主催しているイベントのボランティアに参加していました。

それは子どもの運動能力を測定するというイベントだったのですが、
何とその会場に、子どもを参加させる為に訪れたHさんがいたのです!

私はHさんとその子どもが参加していることを知らず、
Hさんから「会場にいなかった?」と連絡があって気づきました。
なんでも、イベントスタッフとして奔走していたので声がかけられなかったとのこと。←何にでも夢中。笑

Hさんがこの地域に住んでいるなんて知らなかった!
私はコロナが落ちついたら、
絶対にHさんとご飯を食べに行こうと心に誓いました。
そうなると、何年ぶりの再会になるのでしょうか♪

コロナの状況もあり、なかなか誘えず、
そうこう待っている内にまたどんどん時が経っているのですが、
この状況だと待っていても仕方ないので、
このnoteを書き終えてから、すぐにメッセージを送ってみようと思います!久しぶりの再会を果たしたら、このnoteに書き足しておきますね♪

あなたにとって、忘れられない先輩はいますか?

小梅

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