お迎え|掌編
サイレンを鳴らした救急車が、私たちの歩く歩道のすぐ横を追い抜いていく。
走り去る救急車をじっと見つめていた息子が、「ママ?」と私の顔を見上げた。
「なに?」
「音、変わったよね」
「変わったね」
「低くなった」
「うん」
「どうして?」
私は本気で感心する。もうそんなことが気になるお年頃なのだ。
「あれはドップラー効果って言ってな。音は要するに空気の波だろ? 迫ってくる音は、進む速さの分だけ波がおしつぶされて細かく、遠ざかる音は逆に引き延ばされて長くなるから、そばを通り過ぎたところで急に音が低くなって聞こえるんだ」
夫だったら子ども相手にも真顔でそう応じるかもしれない。私もそれくらいの説明ならできる。ただ、息子の「どうして?」の答えになっていない気がする。そんなふうに記述すれば、世界は矛盾しないというだけの話だ。
そもそも理由があるから世界があるのではない。世界が先にあって、私たちはそこに「もっともらしい説明」をくっつけて毎日を過ごしている。
私は一呼吸おいて、息子にこう答える。
「救急車ってかっこいいよね」
乗り物好きの息子は、にっこり笑う。
ゴォと低い音が聞こえ、見上げると私たちの頭上をジャンボジェットが通過していく。この街の先には空港がある。
息子は、顔に雨粒が当たるのもいとわずに灰色の空を見上げ、飛び去る飛行機に向かって大きく手を振ってから、振り向いて「どうだ」と言わんばかりに胸を張る。
そういえば飛行機だって、なぜあんな巨体が空を飛べるのか、実のところ満足な説明はできていないという。それでも優雅に空を飛んでいる。
大きな水たまりを見つけ、長靴で突っ込んでいく息子。私は「もう」と注意しつつ、その楽しげな様子をスマホで1枚写真に収め、「ほら、早くしないとパパ着くよ」と先を促す。
「パパ」と聞いたとたん、息子はハッと目を見開いて小走りになる。右手には自分の黄色い傘を、左手には黒い折り畳み傘を持ったまま。
転んだら大変と私はハラハラするが、そんなことにはならない。あっという間に5メートルは離され、必死になって追いすがる。最近割と本気で走らないといけないのはしんどいけれど、ちょっと嬉しかったりもする。
駅にたどり着き、改札前で衣服についた雨をハンカチでぬぐう。ガラス張りのコンコースから街を見下ろすと、雨で薄いもやがかかっている。色とりどりの傘が夕方の街を往来する。
明日も雨だという。洗濯物が溜まっているのに。天気予報をもっとしっかり見ておくべきだった。
「なんで毎日雨なんだろうね……」
息子は、私の憂鬱な独り言を聞き逃さなかったらしい。
「パパお迎え来てあげるから!」
そう声を挙げて、夫の折り畳み傘を掲げて見せる。
パパが私たちにお迎えに来てほしいと思っているから? それとも、パパをお迎えに行ってあげたいから? 息子の「もっともらしい説明」を私は支持したい。
「パパに傘、ちゃんと渡してあげようね」
「うん!」
改札からどっと人波が押し寄せる。息子が背伸びして父親の姿を探す。
私も夫の顔を探しながら、ぽんと思いつく。駅前の商店街で、何かお惣菜でも買って帰ろう。それに、明日の朝のパンも。
食べ物を想像した私のおなかがぐるると鳴ったとき、雑踏の合間から夫の笑顔がのぞいた。