フォロワーの訃報
コロナが流行り出した2020年3月、仲の良かったTwitterのフォロワーがぱったりと浮上しなくなった。
そのフォロワー(以下N)とは直接会ったことはなかったが、好きな漫画が同じで、好きな実況者が同じで、オススメの映画を教え合う、そんな仲だった。お互いよく会話をする人だけをフォローするサブアカウントで相互フォローをする程度には「仲良くしている」という認識があったと思う。
そんなNが突然ツイートをしなくなり数日が経った。旅行すると言っていたから楽しんでいるのだろうと思った。さらに数週間、引き続きツイートがない。旅行先でコロナに感染したのかもしれない。入院・隔離されていて、スマホに触れないのかもしれない。
そう思った。
しかしそのまま半年経っても、Nが再び浮上することはなかった。本当にコロナにかかってしまったのか、持病があると言っていたからそれが悪化したのか、はたまた事故に遭ってしまったのか。Nはもうこの世にはいないのだろうか。
わたしにはそれを確認する術がなかった。
しばらく考えを巡らせた後、Nが一緒に創作活動をしていたM氏の存在を思い出した。M氏はNとリアルでも交流があり、新婚だったNの結婚相手とも面識があったはずだ。M氏がなにか呟いているかもしれない。
そう思い、M氏のアカウント名とNの名前や愛称、思いつく限りの関連ワードを付けて検索をした。
ヒットしたのは1件。
「みんなでワイワイしてる方がNも喜ぶと思う」
ああ、この言い回しはやはりそういうことなのだろうか。
M氏の指す「みんな」とは、Nがよく推しのグッズを持ち寄ってオフ会をしていた、M氏を含む創作活動仲間数名のことだろう。彼女たちはわたしとは別の趣味でNと繋がっていた。わたしのフォロワーではない。
そんな「みんな」は表立ってNのことをつぶやくことはなく、ただNが現在どういった状態なのかは知っているようだった。Nが呟かなくなってから半年も経っているのだ。亡くなっているのだとしたら、葬儀もとっくに終わり、気持ちの整理も付き「自分だちが楽しくしている方がNも喜ぶ」と言えるようになっていてもおかしくはない。
彼女らがフォロワーを代表してお知らせをしないのは、プライバシーの観点からかもしれないし、わたしが勝手に思い込んでいるだけでNは生きているからなのかもしれない。
おそらくM氏はわたしのアカウントをRT等で見たことがあるだろう。DMでNと仲良くしていた者だと名乗り出て、Nについて聞いたら教えてくれる可能性も高い。しかし仲の良いフォロワーの生死を他人に聞くのは勇気がいる。
Nがいない現実を突きつけられるのが怖いわけではない。もう何ヶ月も前から亡くなっているかもしれないと心の奥では感じていた。ただ、亡くなったと知った時何を言えばいいのかがわからない。Nの1フォロワーであるM氏にお悔やみの言葉を投げかけるのは正解なのか。リアルで面識があるわけでもなく、知ったところで家に線香をあげに行くこともできない。ただ自分が知りたいと言うだけで聞いてもいいのだろうか。
できなかった。
わたしはM氏のツイートを見て察することしかできない。
時は経ち、2023年10月。Nの呟きが止まってから実に3年半。Nとは2017年ごろからの付き合いだったため、Nと出会ってから別れるまでの期間と同じくらいの時が流れたことになる。
ふと思いつき、またM氏のツイートを検索してみた。
数ヶ月ほど前に、有志のフォロワー数名とNが残したオリジナルキャラクターのデザインで作品を作るプロジェクトを立ち上げ、それが完遂したというツイートをしていた。
わたしはこっそりとその作品を購入した。
わたしの元に訃報は届かない。
貰えるものは貰っておきたい