ダンテ『神曲』地獄篇第1歌

今年の夏は美味しいかき氷も食べたし、浴衣も着たし、花火も見たし!

私の夏は、もうすでに終わりかけています…!(いや、ずっと遊んでないでイタリア語の勉強もしなさいよ!!笑)

ということで笑、お久しぶりのダンテさんです♪

冒頭

Nel mezzo del cammin di nostra vita
mi ritrovai per una selva oscura,
che la diritta via era smarrita.
ひとのいのちの道のなかばで、
正しい道をふみまよい、
はたと気づくと 闇黒の森の中だった。

特に最初の一文、「Nel mezzo del cammin di nostra vita」は有名で、イタリア人なら誰でも知っている書き出しらしいです。

時代も合わせると、日本でいうところの吉田兼好『徒然草』の冒頭「つれづれなるままに〜」のような感覚でしょうか?


そういえば小中学校のとき、1人ずつ先生の前で暗唱のテストするの、私好きだったな〜。なつかしい(^。^)

と、そんな話はさておき。


「ひとのいのちの道のなかば」とありますが、この小説、基本的にはダンテの1人称で書かれています。

当時、人間の寿命は約70歳。ダンテがこの冒頭の幻想を見たのは、35歳の時だと言われています。ちょうど彼は人生の折り返し地点にいたってことか〜。

この話は前もしたかもしれませんが、生きている感覚でいうと、なんと人生の半分は20歳くらいなんだそう。確かに、年を取ると1日がどんどん短く感じますもんね!

じゃあ私の人生はすでに折り返しているってこと?!これはもう、徳を積めるだけ積まねば…(°▽°)



三頭の猛獣

彼はこの森を抜けるとすぐ、ヒョウとライオンとメスのオオカミに出会います。

この三頭はそれぞれ比喩されるものがあり、ヒョウは「肉欲」、ライオンは「傲慢」、狼は「貪欲」を象徴しています。

ライオン…キリスト教の七つの大罪では、傲慢に対応する動物とされています。

狼…「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、 その内側は貪欲な狼である。」(新約聖書、マタイ伝)

↓ヒョウがなぜ肉欲になるの?と思った方はこちらの記事を読んでみてください!


きっとそもそも、獣は理性のない生き物として描かれているわけで、そう考えると私たちが人間として生まれてきた価値を改めて考え直すきっかけになるなと感じました。



ウェルギリウス

そして彼は、物語の中でいう自身の案内役(そして彼自身でいう師匠)として、ウェルギリウスを登場させます。

彼も辺獄にいて、辺獄とは

カトリック教会において「原罪のうちに(すなわち洗礼の恵みを受けないまま)死んだが、永遠の地獄に定められてはいない人間が、死後に行き着く」と伝統的に考えられてきた場所のこと。(Wikipediaより抜粋)

だそうな。なんだかはっきりしない場所ですね〜。

辺獄のラテン語が「Limbus」で、元の意味は「周辺、端」を表すそう。英語の「Limbo」の由来かな?


あれ、じゃあリンボーダンスのリンボーって、これが語源?! と思ったら、それは違うみたい笑

↓詳細はこちらの記事をチェックです!




いやぁ、ついに文庫、買ってしまいましたね〜〜

今まではプリントで読んでいたので、大いなる一歩です。というか、地獄篇だけで結構なボリューム感で、煉獄篇、天国篇まで読める気がしない…!

筆者と違って途方に暮れないと思ったあなたは、ぜひ最後まで読破してみてくださいね(^^)!


それでは、またお会いしましょう*°


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