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書かないから書けない。ハードルを低くすることの重要性

「書く」という行為は自分を客観的に見ることに繋がるし、自己内省にもなる。自分を知るための一番の方法だと思っている。

しかし、忙しくなるとどうしても自分を見つめ直す時間というのは削られてしまうし、下手したらなくなってしまう。現実の問題を解決することが優先されやすい。それに、「書く」ことは割と時間がかかったりする。もちろん、慣れていたり経験豊富な人はそれほど時間はかからないだろう。

とはいえ、元々書くことが得意でなく上手いとも言えない自分はやはり書かないと上手くはならない。そして、書くためには時間を作らないと当然できない。

いつも何か書こうと思うと何を書くか迷ってしまう。しかしそれは、自分が何も得ていない、行動していないということに他ならないのかもしれない。このインターネットが発達した社会で、疑問に思ったことを調べたりして得たことを自分の言葉で広めるだけでも、自分自身のアウトプットに繋がるし、書くという練習にもなる。それができないのはただ単純に、僕自身が成長することを怠っているのだろう。僕自身は立ち止まって維持しているつもりでも、世間は、周囲の人々は前へ進んでいるのだから「維持・停滞」どころか衰退していっている。よく言われるけれど、「現状維持=衰退」なのだ。

そうは言っても、やはり書くことに時間がかかってしまうのは現実的問題としてある。書き始めると「あ、こんなことも書きたいな。ここはもっと説明が必要かな」と進めていくほど色々なことを書きたくなる。そして書く時間が長くなり他のことに時間を割けなくなっていく。

上記二つの悩みから、書くという行為に対して腰が重くなり、なかなか手がつかなくなってしまう。

対策としては、「何でもいいから思ったことを短くてもいいから書く」ということ。どんなに内容が薄くても、どんなに文章が短くても大丈夫だと自分自身を許すことが必要だ。書くということのハードルが高いと書くこと自体ができなくなってしまう。だから、そのハードルを低くすることが重要だ。

ハードルを低くするということは新しく何かを始める時や、物事を習慣化させるときなどにも有効だ。詳しくはメンタリストDaiGoさんの動画を見ていただきたい。探せばあります。

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