ライターという仕事についての想い

改めて、ライティングについての僕の想いについて一度書いておこうかなと思いました。

昨今、webライターという職業は増え、Twitterでも色んな投稿を見かけます。

そのなかで、僕としては「あまり好きではないな」という考え方も、やはりあります。

ただ、決してどの考えが悪い・正しいとは考えていません。

「文章が好き」という人もいれば「在宅でですぐにできる仕事がライターしかなかった」「他の仕事のためのステップアップとしてライターをやっている」など、さまざまな形でライターを選んでいる人がいるからです。


なので、僕の想いについても、あくまで一つの考え方として読んでいただければ幸いです。


ライターという仕事との向き合い方について

まず、ライターという仕事についてですが、僕は先述した中では「文章が好き」と「在宅でですぐにできる仕事がライターしかなかった」の両方から始まった仕事です。

ただ、ライターを続けていくなかで、やはり文章が好きだなという気持ちに気づかされました。

僕は10代の頃から音楽をやっていて、とくに音楽のなかにある「歌詞」に重きを置いていました。

そのため「言葉」について、たぶん人よりも考える癖があります。

webライターの仕事のなかで「SEO記事」に関していえば、最初は「自分の気持ちなんて伝えられないし、名ばかりのライターだ」と思っていました。

しかし、最近はその気持ちも変わり、SEOでも言葉の一つひとつが大事だと思っています。

助詞や接続詞が少し変わるだけでも、人への伝わり方は大きく変わります。

「これを伝えるためにはどの言葉を選択するべきなのか?」という考え方は、歌詞の考え方と似ていたんです。

たとえば、「愛してる」を表現するために、どんな言葉を使うべきなのか。「それでも愛してる」なのか「やっぱり愛してる」なのか、ただ「愛してる」なのかによって、伝わり方って全然違いますよね(こんな歌詞は書いてないですけど)

そこに気づいたときに、今の仕事って物凄く自分の好きなことなんだなと感じました。

そのため、そういった細かい部分、文章と向き合っていると感じられるライターさんでなければ、僕はあまり仲良くなれなかったりします。

お仕事なので、文字単価の問題はよく出てきますが、単価はまず自分の言葉や文章と向き合ってからの話なのではないかと思っています。

ライターチームについて

実際に、現在数名のライターさんにお仕事をお手伝いしてもらうこともあるのですが、依頼しているライターさんは、文章と真面目に向き合ってくださる人ばかりです。

正直、高い単価ではないときもありますが、それでも真面目に一生懸命リサーチして、悩んで書いてくれているんだなというのが、文章からわかります。

実際に文章を見るだけで、なんとなく「適当にやってる」「細かくやってくれてる」ってわかるものです。

その分僕も向き合っていきたいですし、僕のなかでは「外注」ではなく「パートナー」として向き合いたいので、できるだけ小まめに連絡とってzoomをして、コミュニケーションを重ね、僕の知識もできるだけ教えていけるようにしています。

ドキュメントのコメントで「ここの部分の漢字はどっちが良いのか調べたら、こっちが適切とあったのでこっちにしました」なんて、僕が教わることも多いです。

文章が上手く書けなくても、一生懸命リサーチしてくれたんだなっていうのがわかるライターさんもいて、時間をかけてくれているのがわかります。

僕の考えるライターについて

前提として、僕はライターという仕事は、裏方の人間だと思っています。

取材や脚本、コピーなど、文字を仕事にする人って沢山いますが、どれだけ凄い人でも、表舞台に出る人って少ないですよね(小説家などのアーティストに分類される人は除きます)。

僕のなかでは、それこそがかっこいいと思っています。

だって「文字」を仕事にするわけで「自分」を売るわけではないですから。

なので、正直なところ、Twitterなどでアピールするライターさんは苦手です。

ただし、先述したように、様々な形でライターをやっている人がいるので、否定はしません。

なぜなら「ライティング」ではなく「自分」をアピールしているように見えてしまうからです。


これは仕事についてや人柄についての話なのですが、僕は「粋」という言葉が好きです。

また、僕がお世話になった人から影響を受けた言葉で「有言実行は当たり前、かっこいいのは無言実行」というのがあります。

そのため、あまりにもアピールが過ぎるのは「粋」に感じられないのです。

とくに裏方というライターという仕事は、まさにこの言葉の通りだと思っているので、どうしてもアピールする人が苦手な傾向にあります。


また、昨今多く見られるライティング講師についても、僕はあまり好みではありません。

これは僕が極端な性格だからなのですが「講師」というのは、いわゆる「先生」ですよね。

講師であるからには、どんな質問にも答えられなければいけないと思っています。

もちろんwebライティングの講師なので、webライティングについての知識があれば良いのですが、僕としては「ライティング」、つまり「文章」に長けている人でなければいけないと思っているのです。

でも、文章って、作文から小説、書籍にweb、コピーにSEOなど色々ありますし、それぞれにルールって違いますよね。

でも「先生」であるからには、全部知っておかなければいけないのではないかと思ってます。

たとえば、いわゆるSEO記事って、ほとんどは段落下げなどは使いません。でも、一般的に国語的な文章を学んできた人からすれば「段落下げは使わないんですか?」「なんで使わないんですか?」と聞かれることもあると思います。

そのときに、答えを言えなければいけないと思っています。

なぜなら、作文はこうだから。
なぜなら、小説はこうだから。
なぜなら、SEOはこうだから。

すべての文章タイプのルールを知っていて、やっと「講師」と名乗れるものなんじゃないかと思うんです。


これは僕の極端な考えではありますが、世の中の考える「先生」や「講師」ってきっとそういうものじゃないでしょうか。

先生や講師と名乗る位であれば、疑問点は必ず解決してくれる存在でなければいけないと思ってしまうんです。

本当にこの言葉の使い方は正しいのか?
このときはどの漢字が適切なのか?
その出典はどこなのか?
なぜなのか?

たぶん、多くいるライティング講師の人が、すべてを知っているとは思えないです。

ただ、もちろん僕もわからないことばかりです。だから、僕は講師っていうのをやらない(できない)のですが……。

実際に、手紙の書き方とかでよくある「~候」みたいな文章は「なんだこれ???」ってなります。

手紙とライティングはまた別物かもしれませんが、「文章」という意味では同じくくりなので、僕としてはそこまですべて説明できなければ講師なんてできないと、思っているわけです。

まとめ

ちょっと面倒くさくなってきたので、最後のしめくくりが「まとめ」になってしまいましたが、根底にある気持ちは「文章って美しいよね」「言葉っておもしろいよね」というところです。

昨今webライターが増え、SEO記事が増え、言葉の使い方について「深く深くまで知りたい」「言葉っておもしろい」という人が少ない印象に感じています。

でも、言葉っておもしろいんです。

少しの言い換えで全然伝わり方が違うんです。

こういった面白さや言葉の美しさを、ライターをする人には知っててほしいなと思っています。

もちろんすべてのライターさんにこの考えを持っていてほしいと、押し付けるわけではありませんが、文章の仕事をしているなかで、もっと文章に向き合ってみてほしいなという願いです。

フリーランスのライター=ビジネス

のようなイメージも多くついてきましたが、ビジネスはまぁ置いといて、もっと文章を楽しんでみても良いんじゃないかなと思います。


まとまりのない文章になってしまいましたが、駄文長文にお付き合いいただきありがとうございます。

なんだかんだ偉そうに書いていますが、自身の文章となると結構適当になってしまいますね……。


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