ヴィーガニズムに目覚めると学習領域が広すぎて覚えきれない件
覚えてる暇もない
ヒヨコの殺処分、卵の段階で処分しても手遅れという
アンチヴィーガンによれば、対策を講じた場合に値段が高くなるのを問題視しているが、現状、性別の識別はひよこ鑑定士による労働にてコスト相当掛かってる。機械化することでその手間が無くなったりするのだから、高くはならないし、実際ドイツの卵は値段は上がっていない(※鳥インフルエンザの影響で供給減少にて価格が一時上がった事はある)
オスが安楽死できたとしても、採卵鶏の現状が変わる訳でもない。多くのメスはブロイラーと一緒で過酷な環境にいるのは変わらない。
人が肉や卵を食べない場合に、魚等の摂取率が上がるとして、ペスカタリアンの是非が問われる。ヴィーガンよりも正解と思えるが、この視点はアンチヴィーガン的な部分があり、理解を得るのはアンチ以上に難しいかもしれない。何故ならヴィーガンはヴィーガニズムの布教にて忙しい人々であり、聞き耳たてる暇がない。殺による生がペスカタリアンにあるとはいえ、殺である事実は変わらなく感覚的には愛護精神強いヴィーガンには受け入れられない。ペスカタリアンの食べる概念は、結局のところ、魚達を保護して肉食し合わないような対策(分離管理する愛護な対策)に劣っている。
マグロやカツオ等は小魚を大量に食べます。人がヴィーガンだったらマグロやカツオが生き残り大量の小魚がその餌になり海から消失するけれど、小魚の個体数が減って繁殖率が減るので結果的に被害を受ける小魚は減る。この作用は人がペスカタリアンである事よりもヴィーガンである事の方がより作用としては大きそう。
しかし想像してみるにペスカタリアンが正解なのか、ヴィーガンが正解なのか判断つかない。どっちも正解なのかも?
温暖化に導けばそもそも魚は産まれなくなる。温暖化政策が正解か?
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