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200425_自分のムードが変わったから、星野源の音楽に出会えた!

記念すべき最初の日記は、この件にしよう。ここ2ヵ月くらい、星野源さんに、ものすごくハマっている。と、もうこの時点で、星野源にまつわる話で書きたいことがたくさんありすぎて、何を選べばいいか分からなくなっている。

最近、自分は、ムードが変わった。変化に敏感な人には必ず突っ込まれるくらい、他者の目から見ても分かるレベルで、ムードが変わった。「最近の愛梨は、わけが分からなくなった」とか、ありきたりだけど「すごく楽しそうだね」とか、言われる。捉え方の良し悪しはあれど、自分的には、かなり気分が良い。自分で言うのもなんだけど、「垢抜けた」というのはこういう感じなのかもしれない。

一般的には、他人の目にそう映ったときに使う表現だと思うが、自分で自分が「垢抜けた」と感じるというのは、なかなか気持ちの良い経験だった。恥ずかしいけど。最近の私は、どうでもいいこととどうでもよくないことの境界線がパッキリと分かれ、どうでもよいことがなかなか耳や目に入ってこなくなり、自分や他者(そこに自他の境がほとんどない)が本能的に求めていることを感じ、迷いなくアクションに移せるようになってきた。楽しいときに、楽しさが、体中から駄々洩れするようになった。切ない気持ちの日には、切ない気持ちを誰かに逃がさずに、感じ切ることが出来るようになった。あ、あと、自分で自分を高めることが出来るようになった。

同時に、「死」という存在を、少し近くに感じるようになった。瞬間瞬間、生と死が繰り返されるような生き心地を纏った。私も、あなたも、世界も、生と死を繰り返している。いま目の前にいるあなたは、次の瞬間には、もういない。だからこそ、より、瞬間瞬間を味わい切るようになったのかもしれない。何かが生まれて何かが死ぬ瞬間を、見逃さ(せ)なくなった。

こんな、ムード変化の真っ只中に出会ったのが、星野源さんの音楽。いままで、もちろん知っていたけど、ちゃんと交わらなかった。彼の目に映る世界と、今の自分の目に映る世界とが、とても重なる。

いつだって、そのとき出会うべき人としか出会えない。と思っているけれど、星野源さんという人との出会いは、まさに、例外なく、だった。自分が変わったから、出会えた。

世界は、一つのように見えて、いろんなレイヤーに分かれているのかもしれない、といつも思う。ここ最近の自分は、今までと違うレイヤーにやってきたんだなあ、と。

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どうせ書いている日記。独り言を、つらつらと。閉じておく理由もみつからないので、公開してみることに。ちょっとやってみて、意味がありそうであれ…

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