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【キンタマ1つ無くなった時の話】④




入院生活が始まってキンタマは伝説になるくらい痛かったけど絶対にキンタマは取りたくない状態でクリスマスを迎えた僕はサンタさんに健康なキンタマをお願いしたのであった…!





サンタ不在のクリスマスの翌日。12月26日。
「M-1グランプリ2004」の決勝戦生放送がある日でした。



小学5年生の僕はまだお笑い芸人になりたいと思ってこそいないものの、人一倍お笑い番組に対する興味がありました。



お兄ちゃんがたくさんのお笑い番組を教えてくれていたからです。



小2くらいからゴールデンのめちゃイケや笑う犬はもちろん。



お兄ちゃんが録画してくれていたガキ使、オンバト、はねトビ等の深夜番組を嗜んでいました。



これってマジでイケてます。



小3くらいの時になんとなくお笑い芸人って良いなぁ。こういう仕事もあるのかぁ。と意識し出したキッカケは、当時デビューしたての品川庄司さん。



クラスで僕しか知りませんでした。



これってマジでイケてます。



唯一イケてないのは左キンタマが痛すぎてその日1度もベッドから立ち上がっていない事でした。





そんな僕にとってM-1グランプリはその日唯一の楽しみでした。



夕ご飯を頂いてお薬を飲んで、前日から立てていた「M-1グランプリが初まるまでの動き」プランを遂行するのでした。



生放送開始まで残り15分。





新規タスク


・売店でジュースとお菓子を買う
・残数が切れた時の為にテレビカードを買う
・トイレを済ませておく





考え得る事故


・予想以上にキンタマが痛い





対策


・指差し確認







本日も宜しくお願いします。







ベッドから起き上がり出勤。





スリッパを右、左と履きます。
二足歩行の状態になります。
よって、キンタマが痛みます。








予想以上の痛み、ヨシ!








事故が起きてから指差し確認を済ませた僕は218号室を出ます。



残り13分。良いペース。



タスクは遠くからこなしていきます。
1番遠いのは1つ下の階にある売店。



病室を出て左。喫煙室が見えて来たら左に階段。階段を降りたら左。観葉植物が見える角を左。








簡単。



キンタマが痛い方に進めばいい。





階段は右足を先に次の段に置いて、左足を滑らせるように降ろす。これを繰り返す。するとキンタマがあまり痛みません。間違っても連続させないでください。あくまでも1つの繰り返しです。共有が遅れてすみません。







無事売店にてチョコビスケットとファンタグレープを購入。



レジ袋は点滴スタンドの点滴の所にかけて右手を空ける。



次は健康なキンタマの方に曲がりながら2階に戻る。





残り6分。
やや苦しいか。
階段での点滴スタンドの扱いの難しさがここにきて響く。





病室の目の前のロビーにあるテレビカードの機械に、売店からあらかじめレジ袋に入れておいた1000円札を入れてテレビカードを入手する。





段取りヨシ!キンタマの痛みヨシ!





残すはトイレ。


残り4分。


大丈夫。オシッコをするだけ。










結構間に合いませんでした。



オープニングVを見逃しました。



司会の今田耕司さんと井上和香さんが、緊張感の中で笑顔でやり取りをしていました。



焦る手元でテレビにイヤホンを付けて鑑賞します。

病室ではマストです。










ゲラゲラ笑いました。










アンタッチャブルさんが優勝しました。










僕「(いやあ〜!面白かった〜!)」





興奮冷めやらぬ中、イヤホンを外して我慢していたトイレに行こうとルンルンと立ち上がる。





よって、キンタマが痛みました。





僕「(イッ!!ってぇ〜っ…)」





そこで僕は驚愕しました。





立ち上がるとキンタマが痛いとか、

トイレに行くまでしんどいとか、

着いたら着いたでズボン脱ぐのがしんどいとか、










すっかり忘れていたのです。





あの時確実に僕の脳みそが「面白い!」「すごい!」「楽しかった!」で満たされていました。





憂鬱な入院生活の中で、確かにあの瞬間僕は全てを忘れて笑っていました。





僕「(お笑い芸人ってスゲェ〜ッ)」





あの人達みたいになりたいと思いました。





僕「(俺!お笑い芸人になりたい!)」





お父とおかあはなんて言うんだろう。





僕「(もし芸人になる事反対されても説得するぞ〜!…お、なんか今あんまり痛くないかも♪)」










2020年の僕「おつかれ〜!一応芸人やってるよ!けどまだお笑い芸人と呼べたもんじゃないわ〜!ごめんごめん!」










僕「(イテテテテテテテッ!なんだよこのキンタマ!クソッ!!)」








思い出す度、こうして綴るとより一層、マジメッチャイイ動機だなと思います。





今もお空で僕を見ている左キンタマの為に頑張ります。










この頃、年末の忙しい時期にも関わらず家族親戚をはじめたくさんの人がお見舞いに来てくださいました。





おじいちゃんはお見舞いに売店にあったワンピースの32巻と35巻を買って来てくれました。



32巻でエネルを倒してみんな達成感に包まれていたのに、35巻を開くとルフィとウソップが大げんかしていました。

間が気になりすぎて後に1巻から買い揃えていきました。



じいちゃんは過去にも僕が頭にエンピツ刺さって入院してた時に売店にあったぬ〜べ〜の2巻と11巻を買ってきた事がありました。

狐の妖怪玉藻(タマモ)が味方の巻と敵の巻だったので、敵なのか味方なのか気になりすぎて後に全巻揃えました。

結果、敵なのか味方なのか分からないキャラクターでした。



じいちゃんは週刊少年ジャンプの回し者だったのかもしれません。





担任の先生は、当時将棋にハマっていた僕に将棋が強くなる本と、詰将棋の本を買って来てくださいました。


その後ロビーで将棋を打ったのを覚えています。





金将は取らないように打ってくれました。





ミニバスケットボール部の監督はチームのみんなで書いた寄せ書きとバスケットボールの本を渡してくださいました。




 後にキンタマ1つのミニバスキャプテンが誕生します。ゲームの中で誰のものでも無くなり、取ったもん勝ちになる「ルーズボール」に対する執着心が持ち味でした。





本当にたくさんの方がお見舞いに来てくださいました。





僕をミニバスに誘ってくれた1つ上の先輩が家族で、保育園の時にファーストキスをしたあの子のお父さんが仕事終わりに、「ウチらがもし結婚して私が実家に帰りますって言ったら私が歩いてすぐの家に帰るだけだね」と笑っていた幼馴染み。



そうそうたるメンバーが僕を励ましてくれました。





そんなバリ強お見舞いとバリ強投薬治療のおかげで、年末くらいにはもう結構キンタマは痛くありませんでした。





すっかり余裕が出てきた僕は、キンタマを取らないまま退院できるのではないかとイチモツの期待を寄せていました。





そして、キンタマ2つある人間として最後の年越しを病室で迎えました。










そしてなんとこのまま1度退院します。








ヤッターッ!!!








投薬をしながら引き続き様子を見て、定期的に病院で検査を受けつつ経過を見守る形になったのです。




約2週間ぶりの帰宅をすると大快気祝い。
ご馳走を食べて残り4〜5日となった冬休みの始まりです。





担任の先生が自宅に足を運んでくれて、僕が居なかった2週間分の授業を1対1で教えてくれました。





冬休みの課題は僕のキンタマを鑑みて間引いてくれていました。





その課題すら、勉強したばかりだからとそのまま一緒に復習しながら終わるまで付き合ってくれました。





午前から夕方まで8時間ほどみっちり、年明け間もない時期にここまでしてくれた先生には感謝ばかりです。





学校にも2週間ほど普通に通いました。
痛くなかったし体育の授業もミニバスも普通にメッチャ楽しかったです。








俺!キンタマ取らなくていいみたい!








ヤッターッ!!















2005年1月21日。
最初の定期検診がありました。



診察室でお久しぶりですから始まり、レントゲンや採血の間にお久しぶりですをしながら診察室に戻りました。



たくさんの経験と実績に加え、僕のお尻の穴に指を入れてくれた過去がある剛田先生が座っていました。



剛田先生は検査結果の書類を見せ、1つの数値を指差しました。



その数値について剛田先生は丁寧に丁寧に説明をしてくださいました。















要するに左キンタマに初期のガンがありました。







弱ったキンタマにガンが巣食っていました。







ポップにリズム良く言うと小児睾丸癌
(ショウニコウガンガン)でした。







敵の必殺技、ショウニコウガンガンを食らった僕は意外と落ち着いていたのを覚えています。







それがどんなもんかピンと来ていなかったからです。







主人公すぎる一言を口にします。










僕「また飲み薬とか塗り薬でお願いしたいです。」







剛田先生がギアを変えつつ優しく告げます。








剛田先生「山口くん。これはね、このまま放っておくと他の場所に転移、うつってしまうんです。だから…取らないといけないんです。」










僕「(えええええええっっっ!?)なるほど〜。」








心と体のバランスを取ります。





うっすら感じていたけど、考えないようにしていた結果になったので、僕はその戦いを終わらせる事にしました。







僕「分かりました。取りましょう…!」








「すぐオペの準備して!」とでも続きそうな語気で言い放ったのを覚えています。





悔しさを押し殺す有名なオールドスタイルです。







剛田先生「手術の日は3日後の24日でいかがでしょうか?お母様はご予定など大丈夫でしょうか?」







おかあ「はい。大丈夫です。」










おかあの声が震えていました。







剛田先生「驚かせてしまいすいません。ですがこれが最善策なのでご理解頂きたいと思います。」





先生は何も悪くない。俺だったら絶対イヤな役割を全うしただけなのだ。







おかあ「いえいえ…すいません。お願いします。」







ポケットティッシュを剥いて涙と鼻水を処理するおかあに剛田先生がBOXティッシュを差し出します。





小学5年生にして、「ティッシュちょうだい」の時はBOXごと渡すマナーを学ぶ僕。





手術までの流れを確認して、病室を出ました。










僕「はははっ!取らないといけないか〜!」



僕は気丈でした。



なぜかと言うと、



「やっと取れるよ!」



という感情がどこかにあったからです。



取りたくない感情と矛盾しますが、明らかに平素のキンタマと違う感じをずっと抱えていました。



こうなったからには気丈です。





マジで良く出来た息子です。







おかあ「ごめんね〜おかあびっくりしちゃったよ〜。」





マジ母親です。







おかあ「このカップの自販機美味しいよね!なんか暖かいの飲みたいな、まさ何がいい?」





自慢の母親です。










僕「ミルクセーキがいいな!」










入院初日におかあが教えてくれたミルクセーキは、僕の大好物になっていました。





続く…。

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