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「伝える力」の本質とは?

「日本人は伝えるのが苦手」

どうも黒木(くろき)です

最近、「伝える力」について色々な書籍で目にする機会が多くなりました。実体験も踏まえて私が感じた中での「伝える力」の本質とは何だろうか?ということを、自分の頭の中の整理も踏まえてNoteに書いておこうと思いました

1. そもそも日本語がハイコンテクストな言語

そもそも「伝える」ってすごく大変で、話し手側の労力(エネルギー)を大量に使う行為だと思います。だからこそ、本来は聞き手ではなく話し手の方がどうやったら相手に正しく伝わるか、試行錯誤しアドレナリンを沸き立たせ、必死に汗をかかないといけないと思います

ですが、日本という文化は映画でもよくある ”間” であったり ”行間を読む・感じる” 文化で、話し手が相手に伝える努力をする必要性が低く、どちらかというと

「聞き手が理解できない」=「聞き手側に能力がない」


というハイコンテクストな傾向が強いと思います
※ハイコンテクスト:聞き手/読み手が理解の責任みたいな感じ

なので、文化的にも日本人は大人になる過程で、無意識のうちに上記のような常識、文化的な価値観が構築されてしまっていると思います。私自身、日々仕事の中で人に伝えることが多いのですが、上記を意識していないとサボる傾向がよくあります

別にこれについては文化的なことなので、無理に矯正する必要やだからダメということはないと思いますが、伝える大切さを意識する中で日本語・日本の文化はこういった側面があるということを理解しておくことが、とても大切だと思います

2. ロウコンテクストな英語を学んだ海外の生活

英語って本当にシンプルで周りくどい表現のない言語だとつくづく思います

カナダに留学している際、必死になって英語を勉強している中で感じましたが、英語は日本語のように行間や間と呼ばれるものがなく、単語自体はストレートな意味しか持っていないため、話し手が本当に伝える努力をしないと自分が伝えたいことが正しく伝わりません

だからしゃべりながら身振り手振りが自然とついてきます。よくよく考えてみたら、日本語で話してる時、身振り手振りなんてほとんど使ったことがないのに、カナダにいる時は、無意識にやる機会が多かったと思います。これも、ただ単語を並べるだけじゃ伝わらない、相手に理解してもらうためにはどう伝えたらいいか、必死になって頭の中で考えていたからこそ生まれた行動だと思います

シンプルに・正確に伝える「伝える力」とは、話し手が常に伝える努力をし ”相手が正確に理解する” ことを保証しないといけない。常に、話し手は頭の中で

「聞き手が理解できない」 = 「話し手側に能力がない」

というロウコンテクストな意識を持って、努力しないといけないと思います
※ロウコンテクスト:話し手/書き手が理解の責任みたいな感じ

3. 我々は伝えることが文化的に苦手、それを理解した上で努力が必要

大切なことは「苦手を正しく理解し伝える努力を継続すること」だと思います

人は自分の都合のいいようにモノゴトを捉え、自分のイメージに反することが起きることを嫌います。感情の中でネガティブなことが起きると自己防衛本能が働き、自分を守る言い訳を必死に考え相手を否定します

これがリアルでは無意識のうちに多発していて、伝える努力をサボって他人のせいにしているケースをよく目にします。伝えるって一長一短でできることではなく、失敗を繰り返しながら、でも相手に伝えたいという想いで泥臭くても努力した先にのみ得られる力だと思います

自分がそもそも苦手な文化にいる人間なんだと自覚した上で、日々の自分の伝え方を改めて見つめ直し、汗をかきながら必死に努力し続ける。これだけは、いつまで経っても繰り返していきたいことだと思っています

4. 今日の一言

昔読んだ本で私が心にメモしていることがあり、何という本か忘れましたがそこでは「相手を否定するのは誰でもできる、でも何かを伝えようとして相手に否定されるのは心身的な辛さを伴うが努力した人にのみ与えられる成長の機会」みたいなことが書かれていました

自分が仕事でもプライベートでも、どちらの立場でありたいか。私は楽な道よりも、努力して色々な人に否定される道を選ぼうと心に決めています。そのためにも「伝える力」は無くてはならないことで、これからも上記を意識して努力をひたむきに継続していきたいですね

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