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Masanao Kata
2020年8月12日 02:19
いつしか「わかる」ということを買い被ってしまっていないだろうか。「わからない」ということを見下していると言うよりは、むしろ畏れているようだ。畏れているからこそ「わかりそう」で「わからない」ものは認めたくない。が、まったく「わからない」ものは追及せざるを得なかった。詩は、わからない文学である。物語のように筋道が必ずしも成り立っているものではない。作者の心で成り立つ言語の構造体であり、他人の