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常夏の国マレーシアに住んでいる僕が極寒の母国日本に帰る理由

みなさま、元気にやっていますでしょうか?

僕はと言うと、変わらず元気にやっています。
 
今、この文章はマレーシアから日本に向かう機内で書いています。
 
この記事がアップされる頃には日本に到着しているでしょうね。
 
思えばかれこれもうマレーシアに住んでから1年半が経ちます。

マレーシアは本当に住みやすくて、特に今のような寒い時期の日本には
あんまり帰りたくないな、というのが正直なところです。

そんな中、先月12月も短期間帰ったばかりの日本に向かって
今、飛行機に揺られているその理由なのですが、
 
母が亡くなったからです。
 

2019年12月14日に母は突然この世を去りました。
 
今回はその母の四十九日のために帰国します。
 
経緯を説明すると、
 
高校三年生になる僕の姪っ子が
僕の影響もあり、来年からマレーシアの
大学に行く話が進んでいました。
 
候補の大学はある程度絞れたものの
やはり最後は実物を見てみないと決められない
という話になり、僕がチケットも宿も手配して
10日間ほどマレーシアに招待することにしました。
 
姪っ子だけでは不安ということと
単純に『私も一緒に見ておきたい』という声から
姪の母、つまり僕の姉も同行することになりました。

そんな話の中で、僕の母も『いいわねぇ、私も行きたいわぁ』と
言ってきたので、『じゃあオカンと親父も来たらいいよ』と
軽いノリで2人も一緒に招待することにしました。
 
こうして4人で実際にマレーシアにきたわけですが、
姉は僕とは真逆の性格で
滞在中のスケジュールを前もって
しっかりと決めてくれていたおかげで
もともとの目的であった大学視察に加えて
マレーシア観光もみんなで存分に楽しんでいたようでした。
(僕は仕事を理由に数日しか一緒にいれなかったのが今でも心残りです)
 
そしてマレーシア滞在最終日の朝の話です。
 
候補だった大学視察も無事終わり
マレーシアの雰囲気も十分に理解して
あとはもう帰るだけだね、という状況でした。
 
荷造りが終わり、少し時間があったので
みんなでご飯を食べてから空港に向かうか、
空港に向かってからご飯を食べるか
みたいな話をしていたタイミングだったと思います。
 
トイレに行ったはずの母が
なかなか帰ってこないことに
姉が気づきました。
 
『おかあさん?』

トイレの方に向かって声をかけても反応がなく
おかしいなと思った姉は
『開けちゃっていいかなぁ?』
と僕らに言いながらそのドアをあけました。
次の瞬間
『おかあさん倒れてる!』
という姉の声で僕もトイレにとんでいき
状況を確認しました。
 
母の顔は白くなり、既に息はしてないようでした。
 
すぐに救急車を呼びました。
 
(後から姉と話しましたが、
僕らが見つけた時にはもう完全に
手遅れだったのだと思います。)

結果として、
母は心筋梗塞でそのまま亡くなりました。
 
この後の数日間は本当にバタバタしていました。
 
マレーシアの警察に行ったり、
マレーシアの病院に行ったり、
マレーシアの葬儀会社とやりとりしたり
マレーシアの役所で死亡証明書をもらったり
日本の保険会社とやりとりしたり
日本の葬儀会社とやりとりしたり。
 
幸いなことに多くの人の助けもあって、全て無事に終わりました。
 
母が倒れてからの数日に感じていた
感覚を忘れないように書いておくと
  
最後にオカンに試されてるな
  
というものでした。
 
どういうことかと言うと
 
『あんたはマレーシアという異国に住むということに決めたみたいだけど
本当にうまくやっていけているの?これからも色んなことあるだろうけど大丈夫なの?』
 
というような母からの問いに思えたのです。

そしてその問いに対して
あの時、僕が心の中でしていた返答は

『大丈夫。俺はマレーシアでも本当に素敵な人たちに囲まれて
助けられて、何も問題なくやれているよ。
俺一人じゃ全然だめだけど、みんなそばにいてくれてるんだ。
だから何があっても大丈夫。心配すんな。』
 
というものでした。
 
実際、僕一人だったら、上にあげた対応は
絶対にこなせなかったと思います。
 
メンタル的にもダメになっていたかもしれません。
 
でも周りに本当に助けられました。
 
『人は一人じゃ生きていけないけど、
あんたには助けてくれる人がいるの?
その人たちに常に感謝しないといけないよ。』
  
というのを自らの死をもって
最期に僕に教えてくれたんだと思っています。
 
あれからもう1ヶ月以上がたち
普段は平気なフリをしていますが、
でもやはり今でも思い出すと胸が苦しくなります。
 
あんなに明るくて、誰にでもすぐに話しかけて
気がついたら仲良くなっているような人間は
僕が生きてきた中でも母くらいしか知りません。
 
そんな母の性格や特徴を
僕も少しでも引き継いでいたなら嬉しいなと
今なんとなく思います。
 
月並みですが、
親孝行は生きているうちに。
 
人はいつ死ぬかわかりません。
 
後悔のないよう、
感謝の気持ちと愛情を
しっかり伝えましょう。
  
親とたまにしか会えない人は
会って別れる際は、必ずハグをして欲しいなと思います。

僕は数年前から実家に戻って、
そして帰る際には必ずハグをすることに決めていました。
 
今回の件があって、本当にやっておいてよかったなと思っています。
 
これを最後まで読んでくれた人は
どうかそれを僕と約束してほしいです。
 
今回の投稿で伝えたかったのは
  
あらためましてみなさん、親を大切に。
近くにいてくれている人に常に感謝を。
 
長文になってしまいましたが、
最後までありがとうございました。

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