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2024/04/21(日)の日記 | 東京、生の意味、恋人と週末

日記の借金を返していく。

東京、 4/17~4/19

先週は2泊3日で東京にいて、仕事したり遊んだりした。今回の旅行は2024/04/18(水)に開催されたこのイベントがメイン目的。

初めて品田遊(;ダ・ヴィンチ・恐山)のリアルイベント現地参加(現場・・・)。ご本人、実在していてすごかった。さすがに最初は、うわっ、居る、と思って感動した。イベントが始まるとセッションの内容が面白くて、いわゆる推している人と同じ空間にいる割には、すぐにその内容に没入していた。が、それでも時々我に帰って「いるわ・・・」となっていた。

イベント開始の60分くらい前に本屋B&Bのある「BONUS TRACK」というエリア(商業施設のあつまったスペースだった)あたりに着いた。が、初めてくる自分にとっては、その一体の見た目も雰囲気も特異過ぎて、「ここ、何だ?」という感じだった(遠目からは私大の学生会館とか、めっちゃオシャレな住宅展示場とか、そういうものに見えていた)。

イベント後 雨降りの別棟

マップ片手にウロウロし、個人宅に迷いこみそうになりつつも到着。微妙に雨が降り出して、目的のB&Bへ到着するも、イベント準備のためあと10分くらいでクローズです、というタイミング。すでに設営されている店内をホヨ〜と見回して、「月日(日記屋)さん行こ」と思い当たる。そこでも数千円相当の買い物をして、ホクホクと退店。日記のzine(日記のzine?)を購入したんだけど、やっぱり全然違う生活を送っている人の日記っておもしろいな・・・。この日はfuzkueにも行っていて、紙袋を持っていたので、気付いた店員さんが声をかけてくださり、ちょっとお話もした。

戻りたい この視界

ちょっと話は逸れるが、東京に住んでいたらfuzkueはホントに一番お金使いまくるお店になるだろうな。後述しますが今回も3時間滞在した。これだけのために来てもいいくらいだ。今度は初台に宿を取っちゃおうかな。ありだな。読書合宿旅行。贅沢すぎてやりたさすぎ!笑・・・いやでも、ほんとにありだな。あそこでの読書体験ってほんとにいくら工夫してもあそこ以外で得られない体験なんです。西荻窪にも数回行っていて、かなり好きなお店だったので、復活してほしいと思うし、何かで支えたい。

イベントに話を戻します。
元々恐山さんの作るコンテンツが好きだ。そして、ご本人を追いかけていると無限にアウトプットがある。主たる活動場所であるオモコロ・バーグ以外にも、執筆、コラボ、外部インタビューや対談などなど一層増えていて、全部は見れていないと思う。そして中でも数年以上購読している個人note(毎日更新である)が一番摂取している合計時間としては長い気がする。

ので、ご本人もなかなかする機会がないと言っていた観念的・抽象的な話は好きで・多少慣れていて・プラスもっと聞きたいと思っている。


! この後はトークセッションのネタバレ?を含みます&この文章は配信アーカイブ等を確認せず書いており、私の記憶によるものです。! 


今回のイベントで印象的だったのは「(中略)『建設的』な議論ってなんだよ」という気持ちがあるんです、というところだった。めちゃくちゃ端折ってるのでマジで備忘録レベルなんだけど、自分としてはここが一番気になった(もっと知りたいと思った)。イベントの最後に質疑応答の時間があったんだけど、これを聞けなかったのをじわじわと後悔している。けど、流石に緊張して手汗すごかったしな・・・次回に備えて頭のキレと長時間思考できる体力をつけるしかありません。聞くとしたらこうだったな・・・

「建設的な議論」に対する「何だよ」っていう気持ちというのは、「『何かを形にすべきである』前提での話じゃないか?自分はその前からちゃんと問い直したいと思ってる」ってことなのかな?と考えながら聞いてたんですが、その感情についてもうちょっと深堀りしていただけないでしょうか?

言えなかった質問

言うとしたらこれだったかなあ。

生の意味

正直、この辺については同じくオモコロの永田さんのポリシー、信条に納得感が一番あり、このときもそれを連想していた。永田さんの個人noteも読んでるけど、この見解には繰り返し触れている気がする。

なぁて

個人的には、人生において何かを建設する(仕事、家庭、ライフワークなんでも)ってこと自体にも本質的には意味がなくて、「意味がある」ってみんなが信じることで、本当に意味があるように世界が運営されているってだけだよなあ、と思う。

いや、これもこの数週間でなんとなくぼや〜っと思ってきただけで、これまでの人生の長い時間で人生・生きてることの意味なんて考えたこともなかった。考え始めた以降も、「人生の意味なんてべつにないだろ」くらいの思考で済んでた。最近仕事でいろいろ考えることがあり、自分の人生の見ないようにしてきた側面を覗き込まなきゃいけなくなり、なんか急にそういう言葉として結実しただけだ。

家族にも友人知人にも「生き続ける意味がない」と感じると言ってた人はいて、だいたいみんな鬱病だった。だから自分もいつか条件が揃えばそう思うんだろう、今はたまたま別のことで気が紛れてるだけだろう、と思っていた。ので、あ〜思ったより早く来たな(; The idea caught up with me )というのが数日前からの実感である。病とは無関係だとしても。

「生き続けるかどうか」は選べても、「生きはじめるかどうか」は、主体の意思では選べないのだから、反出生主義の主張に一番理があると思うのはそこだ。生きはじめることの不可逆性はあまりにも高すぎる。

イベント後、恐山コンテンツを摂取したくてこの配信を聞きながら下北から帰った。ボーはおそれている、ビビらずに観るべきだったなあ・・・と思いつつ、流石に飛行機までの時間で見られる映画館などなく、シュンとしていた。そんでのきなみ公開も終わっていて、配信/円盤化を待つしかないか〜。

この配信でも「人が何かやっていると(小説、謎解き、などなどのコンテンツ制作について)、いいな〜と思って(本人たちは大変そうなんだけど)自分もやりたくなる」「前向きに生きる決意表明としてああいう場(「大喜る人たち」関連ライブ)に身を投じたくなる」と言っていて、こういう部分に時間差で魅力を感じていて、もっというと一つの答えを求めようとしてるかもな・・・と思った。

恋人と週末、4/20~21

恋人とようやく合流できるかもしれない。前祝いの形で土曜日の夕方から集合。焼き肉とミュージックバーへ行く。がんばりが実ってのことだったので、楽しくて!めでたくて!という感じ

ドランブイ✌

ここでも人生ってさ・・・の話。「〜しなくてはならない」思考からいまだにわたしが開放されていない(※自分はかなり抑圧的な家庭で育った)ので、悪い意味でasis(今)とtobe(〜べき、〜しなくてはならない)の差分を埋めようとしてるんじゃないか?ホントはtobeとかないのに?なぜなら人生じたいに意味とかないのにね???という仮説。ほんとにそうよね。

ところで恋人、どう考えているのかというと「まず、人生は無意味である」「ぼくは生きてても生きていなくてもよいし、何もやってもやらなくてもよい」そのうえで、「だったら」「やってて楽しいことをできるようにしたい」「そのために努力したり何かを耐えたりして、たまに報われる」ということで、

それに照らすと、多分わたしは「だったら」成分がまだあんまりかもしれない。その前でしょんぼりして止まっている。あと、「やってて楽しいこと」も見つかってないんだろうな。わからん、もうホントは見つけているのかもしれないけど。みたいな話をした。ミノや華味鳥を焼きながら。

いや〜めっちゃゲームのメタの話みたいだ。みんな人生は本質的に無意味だと悟った上で、「だったら〜」とやってるのか?それともそういう人は少数派で、メタを認識・理解しないままなんとかゲームしてる人のほうが多いの?見当つかないけど、たぶん後者のほうが多いのかな・・・

そんで急に関係ないけど、同じくバーで、このイベントのチケット取れなかったんだよ〜あたったら一緒に行きたかったんだよ〜生のARuFaさんの大声/歌声とか永田さんの大声とか聞きたかったよね?!> <って話もしたな。いつかね〜〜〜。

でも、オンラインで配信見れるから一緒に観よう!あとでLINEしなきゃ

あと、下北のイベントがあった日の記事、こうでした。とてもよかった

紙の本を読む時間を確保するのが難しいって話、なんかホッとしてしまったな。紙が好きで本を買いまくっている割に(コスメと本ばっかり買ってる)読めてない本が積まれていってちょい罪悪感芽生えつつあるので。

恐山さんもフヅクエユーザーだった

いま、 4/22  2:26

日記、ひさしぶりに書いたと思ったら長っ。そしてまだまだいちばんぐるぐる考え続けていることが全然テキストになってない。MIU404の話も書きたかったのに。

会社で自分が配属されているチームが縮小予定。さて、社内でどの組織だったら私がワークするか?となる。スキルセットやモチベーションを考えていると、自分にとって「必要とされる」ことはかなり重要で、「別にいなくても回る」に恐怖を感じているよな、と気づいた。

これまで現職含めコンサル的な業務経験が多いのも、それを向いていると思っているのも、「課題解決が楽しい」「課題に新奇性を求める」のが理由だと考えていた。が、実際のところは「必要とされる」ことがわかりやすいのが課題解決であるってだけでは?という気もしてくる。

さっきの話に立ち戻ると、「必要なこと」なんか本質的にはないんだから、そこを論点にしないほうがいいなと思うし、「だったら〜〜しよう」を動かせない要点にしておきたいよなと思う。考え始めたばっかで具体的なイメージ持てていないが・・・

それはそれとして、今週いろんな人と1on1して、結果として傷つきまくってしまった。ややピュアすぎ、相手のこと高く見積もりすぎたのでは?っていうのが、自分以外の人の意見&時間経ったいま自分が思う率直な感想・・・。一番グエッとなったのは「会社全体・組織としては、こうで、こうあるべきだなと思う」みたいな話をしていても、相手によっては「『あなたは』どうしたいの?」という話に交換されたこと。虚を衝かれるとはこのことで、「いや、そこの話じゃなくないか?」というのをぐっと飲んで相手の意図を汲む・・・みたいなことをしていた。おそらく、実際に私の意図を確認するのが目的なのではなく、メタ(引き)の話をするのが極端に苦手な相手が、本人が話せるレベルに会話の抽象度を下げてたんだよな。それに気づいたのはこの土日だったけど・・・

ただ自分の方も、「わたしはこうしたい」があんまりないことに心あたりがあって、それに引け目があるのでこんなに気づくのも反応も鈍くなってしまったんだろうな。あとはこんなに話通じないんか?というシンプル失望も。私の持ってきた話題(問い)について、時間まるまる、問いそのものの説明についやすことになった(そして理解されなかった)のもMP減少案件だった

と言った感じで、出張中、久しぶりにドクドク血が出てた心を癒やしてくれたサイコ〜のライブ

👻/🐰


ねばならない、からの脱却がテーマなので、この一ヶ月は適当に仕事しつつ、テーマに沿った意思決定ができることを目標にしよう。コスパ思考もどうせ無駄も言い出したら全部そうだからね


ただいま

寝るぞ!

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