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今さらながら自己紹介


 noteで記事を書き始めるのはこれで多分3回目。おそらくどの2回も自分語りが度を過ぎて、読み返した時に恥ずかしくなって消してしまった…はずだ。その記事は20代の一番多感な時期に書いていた。主に持病と向き合うためにと筆を執ったのが始まりではあったが、次第に自分の内側にはこんな気持ちやあんな思いが溜まっていてどこかで吐き出しておかないと死ぬかもしれないという気持ちが膨らんで、気づけばこんな不特定多数が見るようなところで吐かなくてもいいものまで赤裸々に綴っていた。
 書き切った、という達成感はあっただろう。とはいえ誰もわたしのことを分かってくれなくてもいいし、世界はどうせ血の繋がりがあろうとなかろうと明日からもずっと人と人との個体で言えば、他人であることに変わりはない。むしろそう思えば、抱えている色んなモヤモヤを他愛もない文章にすることでネットの海に垂れ流してろ過していく生活は、それはそれで性に合っていたのかもしれない。でもまあ、一旦整理したくなる時って誰にでもあるよね。わたしもそれが2回訪れた後の、これが3回目だったってだけ。

 ということで、ちょうどいいので書き方の方向性について少し変化球をもたらせながら書いていくことにする。色んな友人やその他大勢の人のnoteを見つけて、生の声に耳を傾けるようにして目を通して読んで、ひとまずはじめにやってみようと思ったこと。誰に宛てるでもなく、自分がどういうことをしている人間なのかを名乗っておく必要性。これを少し感じたので、以下まとめてみることにする。

わたしのこと

 H.NもといP.Nは水純みを。この名前自体、使い始めたのはそれほど前ではない。元々10代の頃から使っていた愛着のある名前があったけれど、ネットでの活動をするにおいてすべての情報をその名前に集約しすぎたせいでいいこともわるいことも起きたため、2019年頃に手放した。

 「水純」というのは完全に当て字の意味もあるが、この世で一番青色が好きなことと、表現活動での創作をするにあたって淀みを経て澄んだ物語を書けるようになりたいという願掛けを込めてのことから由来している。そして、やはり作家紛いのことをするんだったら名字だけではなく名前も欲しくならないか、ということで響きのきれいな「みを」という候補を選んだ。
 ポイントは「お」ではなく「を」になるところ。「み」がみっつ続くところ。本当は漢字で書くと「美青」になるが、字面的に姓名ともに漢字だと堅苦しくなりそうだ、というところを考慮してひらがなにした。さらに先に活動していた友人が改名した時に、名前がひらがなで可愛かったことを思い出したのが決め手だった気もする。

活動内容

 これはもっぱら一次創作。主にオリジナルで架空の人物や世界を作りフィクションの小説を書いている。一昔前は声を使って同人程度に演技をするなどして遊んでいたが、それも「ニコニコ動画」というひとつのコンテンツが衰退したのもあって、社会人になってからはめっきりやらなくなってしまったので、その話はひとまず割愛しよう。
 人生において最初に創作が楽しいと思ったのは小学生の時にあった作文の授業。そこから幼少期・思春期・成人して現在に至るまで、己が作る物語が面白い面白くないは別にせよ、自分が生み出したキャラクターたちが、書き上げた文章によって鮮やかに色を持って生きている感覚を得た時の楽しさが癖になってしまい、大した才能もないのにダラダラと執筆を続けているというわけだ。
 大学でもなんだかんだ小説の勉強をするために芸大へと進んだが、バイトに明け暮れるでもなく新しい刺激を取り込まないまま引きこもって書いた4年間の習作たちは、さぞ陰鬱としていただろう。まあ、その時書いた作品をすべて入れていた大切なUSBを紛失し、その一つ一つを読み返すこともできないわけだが(あんたバカァ!?)。
 だが、芸大で学んで良かったことだって山程ある。その一つに挫折を知ってしまったということがある。高校生までは小説を書いている人間も周りにいないせいか、物語を書けるなんてすご~い!とよく持て囃されていたもんだから、ま~~~~見るも無惨に天狗になってしまった。
 その鼻高々な自信のまま、入学して授業を受けてみれば、バケモノみたいに文章のうまい人間しか周りにはいなくて、自分のレベルの低さに震え上がったことを覚えている。本当にみんな日頃から本をよく読んでどうやって話が面白くなるかをよく分かっていて、ジャンルも十人十色ではあったけど地の文の知識量が自分では比にならないぐらい語彙力豊富で………と言った具合に圧倒されたわたしは、矜持という矜持をすべてへし折られてしまい、0から生まれ変わっていい文章を書きたいと4年間それなりに努力したのだった。
 培った4年間での文章力はそれなりのものになったが、相変わらず後ろ向きな性格に引っ張られるせいもあって、世の中に生み出した作品に自信が持てていないので、そこはなんとかしたいところでもある。

 製本されたいわゆる同人誌の発行頻度はさほど多くない。最近ではありがたいことに主催でアンソロジーを作ることが多く、そちらに躍起になっているおかげで己の作品が滞って早7年(7年!?)が経つ。物書き仲間の方たちからは首を長くして待ってるんですから早く書いてくださいよ!と毎度イベントのたびに奮い立たされることもしばしば。ありがとうねえ、その言葉だけであと10年は生きていけるし、絶対何が何でもこの子たち生み出すぞォって思うよォ…。
 しかし現実はあまりうまくいかず、ただでさえ遅かった筆が社会人になってからより一層遅くなり、一年に一度何かを書き下ろせればいいのではないかぐらいの頻度でしか物語を書けていない。設定資料や大した事のないプロットだけがデータとして山積みになり、各所でこうこうこういうお話とこういうキャラの子を考えて書きたいんです!と熱弁するあまり、おそらく知り合いの読者の方たちは本が既に出ている錯覚を引き起こしてしまうという。案の定、それはわたしも同じで頭の中で完結させてしまって満足することが多いので、これでは正直意味がないなとも思う。
 今年の目標は有言実行。1月の文学フリマで小説ではなかったにせよ、爆速で書いたエッセイ本が間に合った時は首の皮一枚繋がったんだとボロボロになりながら喜んだものだ。その調子で、でも毎日コツコツと、千里の道も一歩から精神で今年こそは積み重ねを大事に小説を書いていきたいと思っている。
 

作品のジャンル

 ジャンル……と言われた時にそういえば自分の小説ってどのジャンルの分野なんだ?とは思う。大前提で、病みがちな人が出てくる心許ない物語が多い。そして当たり前のように人が何人も死んだところからスタートしたりもする。回顧して痛みを分かち合う、どんなに暗くて落ち込むことがあっても下まで行ったらあとは上に這い上がるだけ。そんな願いを込めて、登場人物たちは何かしら欠陥を抱えているような歪な人物を登場させることが多い。
 あと、メリーバッドエンド大好きマンなので、結末的にこれって楽しいんか?最後幸せやったんか?的な感じになっていても、作中の本人たちが喜んでいればそれで大正解だったりする。ここまで書いて思った、ありとあらゆる読者を置いてけぼりにしそうな小説を書くんだな。ですので、万人受けは狙って書いたことがない。プロでもないし、大衆性は学生の頃にとうに捨ててきたのかもしれない。

趣味嗜好

 一般的に気になったら何でもやりたいなーと思っては何でもできずに全部中途半端に終わる多趣味人間だった。今までは。でもそれももういい歳にもなったし、何より30代超えたらひとつひとつに全部全力投球するのがしんどくなってくるので、ちょっとずつだけど趣味なるものを減らしている。
 一番は音楽鑑賞。余裕を持って買った512GBのiPhoneの容量は410GBほどが音楽で埋め尽くされている。先輩や友人に、1万曲は入れてるよって言うと必ず絶対そこまで聞かんだろ、と言われる。そんなことはない。センサーが動けば、流行に敏感な曲も入れるし往年の古めかしい曲もサブスクにあればの話だが入れる。とはいえ音楽を学んできたこともあったはずなのに、直感でこの曲がいいと思って入れ込んでるからまともなレコメンドを今まで書けた試しがない。でも、アンソロで公開したプレリスはそろそろ楽曲について語りたいな、とも思う。それぐらいジャンル国問わず、無類の音楽好きということだけ覚えておいてほしい。

 次に写真。かつて写真部にも入っていたのに腕がうまいかと言われれば首をひねる程度だが、被写体を撮っている時にあれこれ思考を巡らせて考えながら撮るのは好きだ。もっぱら最近はデジタルではなくフィルムにハマっていて、ヤフオクやメルカリで中古のカメラを買ってはローテーションして色々試したりもしている。一言で表すとどういう感じの写真を撮っているんだろう。友人各位、わたしの写真はどんな印象を与えるかまた教えてください。でも、いつか友人たちをモデルにしてきれいなところで写真を撮りたいな~。あと、家族だけのオリジナルアルバムも作ってみたい。

 読書やドラマ・アニメ・映画鑑賞などは当たり前に好きだが、ゲームも最近手をつけすぎないようにと思いながら沼に落ちた。スマホで手軽にできるソシャゲは課金とかワンクリックで容易いからあかんてェ……と思いつつ。アクションが苦手なわたしにとって、ターン制のコマンドバトルで繰り広げられる戦闘ほど、楽しいものはないんだと最近気付いた。いや、アクションゲームも楽しいんだけどね、苦戦した末の倒せた時の爽快感とかは、あるよね。足りない頭を使いながら毎日育成表や動画とにらめっこ。あとちょっと小難しいけど普通にテキストボリューム莫大ながらもすごく面白い設定なので、脳を存分に使いながらそこを理解していくのも楽しかったりする。

 書ききれないけど、その他花を愛でるのも大好きだ。部屋が片付いていれば、生花・ドライフラワー限らず月に1度季節の花を買ってきたりもする。
 それから得意分野は声優さんとアイドルくんたち。10年以上の筋金入りのオタクなので、語り始めたら熱量がエグすぎて友人にドン引かれたほど。特に声優においては、原作よりも音声媒体を先行して聞き始めることが多いおかげで、声優目当てで聞いてみるとこれが意外と面白い話で原作も読んだら大好きになった、なんてことがよくある。本当によくある。いわゆる逆輸入パターンなんでしょうね。ここらへんの好きな人たちについての詳しい話はまたおいおい別の記事で重点的に書こうかな、とも思っている。

今後の活動について

 なんかこういう副題をつけると、えらい大げさだな…とも思うけど、そうでもなく。ヒーヒー言いながら書いた作品を製本したら、どこで売るのか。大体はここ数年ずっと関西の文学フリマに出店しています。1月の京都と9月の大阪、そこの2回はまんべんなく出ている。新刊がなくとも、たとえアンソロだけが毎度おなじみのラインナップで並んでいても、出ている。
 東京は2019年に一度出て、また出たいなーと思っているけど今のところどこで出るかは未定だろう。さらに今年は1回目が開催される文学フリマ香川にも申し込みしてみた。当落次第で出るか出ないかが決まりそうだが、四国生まれとして、このイベントは特に本腰を入れて応援したい一つだ。
 さらには、今年9月の文学フリマ大阪で、初版発行となる主催しているサナトリウムアンソロジーも控えている。とにかく今色んなことに向けて新作をこつこつと書いているので、今年こそは積極的に作った本を誰か一人でも多くの人に届けられる年になっていけばいいと思う。

 とまあ、ここまで書いてきたあたりでそろそろ5000字を迎えそうになったので正気に戻った。誰がここまで読んでくれるかは分からないが、最後まで読んでくれた方にはただひとつ、ありがとうと言いたい。
 
 今年はnoteも活発に記事を上げていこうと思っている。2024年が始まって3ヶ月、もうすぐ4月にもなろうとしているが、自分なりに思ったことや考えたことをしっかりまとめて今まで内に閉じこもっていた感情や考えをしっかり記録していきたい。 






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