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みっつ通信

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慣れ親しんだ日々を、日々、書き換えようと模索しています。
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#ブログ

初めての合鍵

お先真っ暗の皆さん、おはようございます。三森正道です。名前だけは覚えて帰ってくださいね。義務教育を受けず、虐待を受けて育った割には逞しく成長したはずの三森くん、この度なんと人生初の合鍵を授けられました。心優しきMさんのお計らいにより、横浜駅から徒歩10分の家を今月の28日まで自由に使わせて頂けることになりました。先日の佐渡島カツアゲ事件をご存知のお方はござりましょうか。詳しくは下記の坂爪さんのnoteをお読みください。ハッピーエンドにするのは自分。ハッピーエンドにするのは自分

自分と世界がつながるとき(ブログ)

以前、録音したラジオの書き起こしをしてみました。 世界観ってあるじゃないですか。あの、自分の世界。で、よくまぁそのなんだろ。対極に社会があるとしたら、やっぱ社会に馴染んで、あの、初めて一人前というか。この社会でどうやって生きていくかっていうのに、まぁ学校で育つとかっていうのがあって、でもそこからはみ出した者は、まぁ負け犬というか落ちこぼれっていう扱いになる。 でもその人たちがじゃどこへ逃げるかっていうと、たぶん、自分の世界に逃げるしかない。で、自分の世界に閉じこもるってい

会って数日後の余韻がその人との相性

Mさんに奢っていただく形で海鮮料理をご馳走になってきた。お通しでウニが出てきて、自分の普段の生活は道端で百円玉を拾って歓喜レベルなのに、どうしていま俺は個室でこれほどまでに美味い飯が食べられているのだろうかとぼんやりと思った。「なぜ俺はいまここにいる?」という謎の症状に脳が支配されつつ、楽しく雑談を交わして帰路についた。 会って数日後の余韻がその人との相性――友達もいて、終始和やかな空気だった。余韻。最近、余韻についてよく考える。会っている間はそつなくそれなりに楽しい会話が

お役目の多い三森正道

ブログを更新しようと思っていたら、日常が慌ただしくなり、下書きの状態で止まっていた。本日、このような動画をアップした。 慣れない作業に四苦八苦した。30を超えた大人たちが集まって、こんなにくだらないことをやるとは。あまりweという言葉を使いたくないのだが、私たちは阿呆だった。が、楽しかった。 傍から見たら、好き好んでヤケドしている人間に見られるかもしれないが、失うものなど何もないような三森にとってできることはただ一つ、体を張ることだけだ。目に見えない、たった一人でも笑って

工夫しながら生きるとやりたいことが明確になってくる

「不労所得より浮浪所得」などと意味のわからない言葉が頭をよぎる。一瞬、名言が生まれたと思い込むが、すぐ冷静になる。ただの駄洒落だ。――今、駄洒落という字面を見て、駄目な洒落と書くんだなと思った。駄洒落の語源を調べてみたら、Wikipediaにこう書いてあった。 洒落で思い出したが、お洒落に気を遣うようになった。身長が低いので何を着てもキマらないのだが、それで諦めたら、破滅的なダサさを受け入れることになるので諦めず、服を買うときはサイズや色味など慎重に選ぶようにしている。最初

「どこにいるか」ではない、「どこからきたか」だ。

久々にブログを書く。正直言ってnoteはあんまり好きじゃない。しかし嫌よ嫌よも好きのうちなのか、気付いたら更新しているのはこのnoteとTwitterだけになってしまった。ブログを書きまくっていると暇に思われそうだが、他人の目線を気にして……と、いつもならこの後に「いる場合じゃない」と続くところが今日はそうはいかないみたいだ。他人の目線を気にしないならブログをやっている意味がない。気にしながらも自分の思いを出す練習だ。 私事だが……と書き始めようと思ったが、自分のブログで私

俺は俺の人生を肯定する

俺ももう31だ。若者のふりをしてられない。順調に年を取っている。これはまずい。何かしなくては、と思う。直後に「何もできないよ......」と落胆する。もう少し自分にスキルがあればなんとかなるのに、と思う。直後に「勉強なんてしてこなかったじゃん......」と落胆する。こういう時は自分ばかりではなく外も見るべきだと言い聞かせ、外を見る。みんなハッピーそうに見える。落胆する。 諸事情あって一ヶ月間くらい病みまくっている。理由を模索したところ、どうやら自分自身と向き合いまくってし

書かされるのではなく書く

ノートは誰にも評価される心配がないから、安心して物を書ける。だが、ブログになると公開するか非公開にするかでまず迷い、公開するための質を考慮しないといけない。それがしんどさであり、良く言えばやってる感がある。もっとも大事なのは、自分の脳内の澱を吐き捨てるように書くことである。書くという行為はそれ自体が療養的で、書いているだけでスッキリしてくるし、創作感(やってる感)がどことなく心地よかったりもする。悩みは得てして堂々巡りする。それをアウトプットすることで客観的に自分の悩みや思い

ブログを書くということについて。

ようやく自力でノートPCを買うに至ったので、基本的に外出して作業する日が多くなった。家にいると落ち着かない。ずっとソワソワする。俺はいったいいつ落ち着いているのだろうかと自問自答してしまう。カフェで集中してブログを書いている最中なんかは幸せなのかもしれないが、二日連続で客が怒鳴り散らすという現場に出くわしてしまい、恐れおののき、ゆっくりできる場所を失ってしまった。しかも別店舗。怖くてもうあの周辺には近寄れない。せめて間を置きたいという気持ちから、今日は自宅待機中である。何も待

すべては創作意欲を取り戻すため。

自意識過剰でシャイだということは知っている。それでも、無意識に周囲の目を気にしているのだろう。多分、根源は親に強く当たられた記憶。そのせいで何をやっても、お前には才能がないと怒られるのではないかとビクビクしている。 勝手に傷つく。岡本太郎風に言えば、他人の目は自分の目なのだろう。特別、他人から直接ディスられた経験は多くはないと思う。それでも、一応、これは遠回しに攻撃されているなと感じた経験は何度かある。 すべては創作意欲を取り戻すための日々だなと思う。内気とはいえ、他人の