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みっつ通信

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慣れ親しんだ日々を、日々、書き換えようと模索しています。
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#愛

自分から愛してみせろ。

不機嫌な人が多い気がする。笑いをこらえるとちょっとしたことでぶはっと笑ってしまうことがあるように、怒りをこらえるとおかしな方向でドカンと噴火するようにキレるんじゃないかと思っている。感情を我慢することは美徳でもなんでもなく、ただ自分の感情に対して無関心か雑なだけだと思う。 か弱いふりをして愛されようとしても無駄だ。そんなふりをして得られる愛なんて愛でなく、相手にとって都合のいい対処法に過ぎない。本当に優しさのある人とは、言うときはビシッと言う人だと思う。今の時代で叱責なんて

君の人生は一回じゃ惜しい

自分は何もしないくせに、いっちょまえにマウントだけはとるという謎の態度、あれは一体なんなんだろう。恥ずかしくないのだろうか。とりわけイエスマンに多い気がする。そしてダントツ、男に多い。嫉妬心からくる羨望のまなざしなのだろうか。負けたくないという闘争本能なのだろうか。どちらにせよ、人に嫉妬する暇があったら、なんでもいいからやってみたらどうだと思う。負けた気になっているなら、なんでもいいからやってみろと思う。文句を言う権利があるのは、それからだ。 下の名前で呼ばれることの少なさ

人生から試されている

ツイートのいいねの数や、誰にいいねされているかなんてことまで気にされるという事案が度々起こるのだが、そんなに他人からの評価が重要な指針になるのだろうか。いいねの数や誰にいいねされているかを基準に、その人のことを評価しなければいけないのだろうか。この人はウケてるぞだからすごいなんて今どき小学生でもやらないんじゃないか。一体、何を気にしているのだろう。 評価や賞レースなんて、あくまで大衆受けするかどうかくらいの基準でしかない。特に芸術なんて評価の外にあったほうがいい。例えばの話