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子育ての記憶(02)保育園

 既に記憶が混濁し始めているが、自分の人生において最大かつ最長のイベントだった子育てについて記録しておきたい。娘が成人した今となっては、全ての事柄が振り返りになるので、当然に真実だけでなく、思い込みや記憶違いも多々含まれるはずだ。それは、もはや記録ではなく創造物に近い物になってしまう可能性も大きい。でも、今だからこそ書こう。明日にはボヤけ、明後日には忘れてしまうのだろうから。

子育ての記憶:イントロ

最初の社会資源利用=保育所


保育所の利用は産まれる前から既定路線

 世間では「保活」なる言葉が跋扈して既に相当の時間が経過している。
 当時のその活動を「保活」とは自称していなかったと記憶しているが、とにもかくにも、20年前の我が家も例に漏れず子育てにおける保育所利用は必須要件だったので、保育所入園戦線に参加して、可能な限りの活動を展開した。

 ふた昔前の体験者の記憶ですから、当然、サービスの多様化やニーズの変化を始めとして保育所を取り巻く環境が大きく異なっており、それに伴う保活ノウハウも全く違う部分もあるでしょう。かたや、普遍的に変わりようのないものあり、状況・条件が混在してしまって話の辻褄が合わない部分もありましょうが、歴史読物でも読む程度受け止めていただき、軽〜く流してくださいませ。

筆者からのお願い

 保活参戦の理由は、自分もパートナーも仕事を辞める気は無かったからだ。

 加えて、自分の中には「自分の娘には、保育園という場所で社会性を身に付けてもらいたい」という妄信的で揺らぐことない方針があった。

 最大限可能な限り育休を使い切って、祖母の支援を受けるなど一族郎党で総力戦を基本として、幼稚園に通うとか、家庭保育中心で子育てをするという選択もあるのだろうが、自分は保育所入所一択だった。
 三つ子の魂百まで…ではないが、三歳までにどのような経験をするかで、その後の人生が大きく変わる、という信条もあったので、是が非でも保育所に入所させたかった。
 それに、保育所任せで丸投げする気はないが、情操教育上の観点からも、家庭では軽くなりがちな季節ごとのイベントの華やかさも大切だ。
 運動会や夏祭りは言うに及ばず、節分のときの鬼の迫力や、七夕の短冊を付ける笹の大きさ、クリスマスのもみの木とサンタクロースの凝り方などなど、挙げればきりが無いが、各家庭で用意できるものとは雲泥の差があるはずだ。

 そして、何よりも、一人っ子にしてしまった以上は、せめて兄弟ではないが、一緒に成長する子どもに囲まれていて欲しいというのが一番の目的だったように思う。
 兄弟姉妹には及ぶべくもないが、とにかく異年齢の子どもとの接触は不可避だし、在園時間帯には自分の思い通りにならないことが多々あったり、嫌な思いをしたり、ウマの合わない子と一緒に過ごさねばならなかったり、家庭では絶対に経験できないネガティブ方向の経験の宝庫だろう。これはお金を払ってでも経験させておきたい。
(実際保育料を支払ってもいるし…)

 なので、またまた娘の意向は一ミリも考慮されないまま、保育所入所は既定路線として確定した状態で彼女の人生がまた一つ新しいステージに進むことになる。


保育所に入るために何を考えたっけ?

 基本戦略が保育所利用であることを踏まえ、戦術方針の中には、娘が生まれたことを契機に転居することが含まれていた。いや、正確に表現するなら、出生が契機なのではなく、入所を希望する保育所を中心に据えた住居選択をする結果として、必然的に転居しなければならないことなる戦術だった。
 保活指南が目的ではないので、推奨するネタも無いし、ことさら開示したいわけでもないが、備忘録の役割もあるので、記憶を掘り起こしながら昔を振り返ってみる。

戦略 : 子育ては公立保育園を0歳から利用
     →六年間利用による一貫した保育方針に基づくサービスの享受
戦術 : 希望園入園の為の諸条件クリア
     ○過去の選考倍率を考慮した希望園選定
     ○希望園と通勤利用駅を結んだ延長線上の住宅に入居
戦闘 : 役立つのか不確かでも個人的に可能な行動は全て選択
     ○入所希望園の個別見学
     ○共働き堅持、育休は最短
     ○勤務実績を図化して保育に欠ける説明書を申請に添付

出典:自分の脳みそ(育児の記憶領域)


途中で転園の無い0〜6歳受け入れを希望します

 子ども園という言葉を耳にすることも無かった時代だし、無認可の保育所も今より少なかったように記憶している。もしかしたら、たまたまそういうエリアだっただけかも知れないが。
 そして、今もあまり変わらない部分だと思うが、1歳児クラスからの入所よりも0歳児クラスで入所選考を戦った方が、入所枠の母数が多い分だけ倍率的に有利だったので、後ろ髪を引かれない訳ではなかったが、0歳児クラスでの入所に賭けた。
 プラス、3歳児クラスから別園に転園が必要となる乳児園も除外した。六年間を一区切りとして一貫した変化の無い環境を用意してあげたかったから。
 個別の条件としては、園庭が確保されてことと、指定管理者制度や委託などに出されていない公立直営園が必須だったが、そうなると、競争倍率云々の前に選択肢は無いに等しかったので、希望する園も即決となった。
 後は、日々の動線として、駅から歩いて保育所に立ち寄ったあとでその延長線上にある我が家に帰宅、というルートが成立する住宅を見つけてそこに入居するための段取りを踏むだけだった。幸運にも、不動産仲介業者さんから条件に合う物件を紹介してもらえたので、契約して転居、役所に願書提出となった。
 それやこれやの事務手続きに関しては粛々と進めるしかないものだと思うので、当時も今も、特に書きたい意見も感想も何もない。


公設公営の直営園を希望します

 なぜ、直営園に拘ったのかだけは語るべき部分がある。
 当時は、何度目か知らないがいわゆる行革推進が自治体のアピールポイントになっていた時代でもあり、保育園にも公設民営化の波が押し寄せていた。つまり直営園を選んでも、六年間の通園期間中に運営主体が変更となるリスクは高い状況ではあった。
 それでも、自分としては、公務員を盲目的に崇め奉って神格化する主義ではないにせよ、公務員としての保母さんのプロ性についてはかなり厚い信頼を寄せていた。民間事業体が嫌だ、とか、勤続年数の長さイコール仕事の質の高さだ、とか個々の論点だけを比較して単純に優劣を付けられるような割り切りやすい話ではない。事業主体が民間か公的機関なのかは重要な要素だし、経験値の話だって大切だが、「保育所設置の目的」というか「社会における保育所の存在意義」から逆引きして考えた時に、その時代における当該事業の担い手は官民のどこが適切なのか?という部分から考えるべき問題だという話だ。
 当時は、まだまだ保育という社会的事業は商売として旨味が少ない=公的機関が中心となって担うべき領域という社会全体の機運が色濃かったと思う。先駆的な民間事業体が将来を見越して参入してくるような発展途上の市場だった時代だったと思う。だからこそ、新規参入組である民間事業体がその現場に投入する人員は若い人材が中心とならざるを得ない、というのが自分の理解だった。まさか公務員の保母さんを高額報酬でヘッドハントして売り出せるほどの投資価値がある市場だと考える経営者も居ないだろうしね。となれば、民間保育所での人事が、経験三年目で主任を任され、五年程度で園長を勤める状況もあるやに聞くのも不自然なことではない。
 一方で、公立保育園では勤続十年で主任になれるか否かというのが公務員の世界での慣例だろう。この昇進スピードの違いは、一事業所での勤続年数に繋がる要素だし、ひいては、そのまま日々の保育の質に反映されるものだとも思っていた。
 保育の現場で毎日子どもと向き合ってもらうのなら、経験豊富な保母さんにお任せしたいと思っていたが、それならば公務員の立場にある保母さんの方が、その希望に合致する職員も多いのではないか?と思ったのだ。
 若い保母さんには若いなりのメリットがあり、ベテランにはベテランなりの意味があるだろう。でも、自分が望む保育の中身に関して言えばベテラン保母さんの方が希望を満たす可能性が高い。通園してきた子どもの日中の様子だけでなく、園に居ない家庭での時間の過ごし方を想像したり、そこに想いを巡らしたうえで園での様子とを関連付けて子どもを見てくれる程度にレベルが高いのではないか?と期待していた。

 実際、期待した通り、新米パパママである我々に向かって、「子どものことを待つのが親の辛抱のしどころなのよ。」「両親が同じ熱量で子どもにすり寄ったら息苦しくて当たり前。もっと引きなさい。」等々、自分の体験や経験に基づく意見や助言が頂戴できて、単純に子どもを預かるというだけにとどまらない親に対する子育て支援の引き出しがとても充実していた。
 毎日、何か収穫があったような気がするくらいにありがたかった。この毎日の送迎の短い瞬間的なやり取りの中からでも得られる情報の密度や満足度は期待した以上の収穫だった。
 園児だけでなく、その親も育てる機能が備わっていた公立保育所には今でも感謝している。


もしも今、保育所に入所するならば

 「タラ」「レバ」は好きではないのだが、一応、前項冒頭で公立保育園について力説した手前、保育所の運営主体に関してもう少しだけ考えを述べておきたい。
 もしも、仮に、今、保育所に娘を預けるという状況にあるとするならば?と考えて少しだけネットを覗いてみたが、公私比較は意味をなさない社会情勢のようだ。認証保育園、認可保育園、認可外保育園、幼保連携型認定こども園???
 結構な種類があって、当事者感覚を持って真剣に勉強しないとよく分からない。自分が保育所通いをする子の親を終えて、小中高とそれぞれのライフステージの渦中で試行錯誤して保育所界隈への関心が薄れている間に、国が色々制度を充実させ、改革を進めた結果なのだろう。こうなると、そもそも公務員の保母さんという存在だって珍しい部類に入るくらいに時代は変化しているのではないか?
 凄く馬鹿っぽい総括をするなら、私は「社会が発展する=複雑になる」と考えている人間なので、子どもを巡る制度やらサービスやらが複雑になったということは、社会が成熟したのだな、ということになる。
 はなから「入所する」ことは既決事項として、運営主体を選択の最重要項目として「役所か?民間か?」で悩むだけで済む時代ではないようだ。
 設置理念や運営方針の内容を重視して「NPOなのか?社会福祉法人なのか?株式会社なのか?」を悩んだり、家庭内保育併用も視野に入れた希望保育時間や経済的負担を考慮しての園の形態選択や、認証保育所が最終目的だがその通過点として「まず認可外入所で選考時の加点を狙う」など選択肢が多様化し変容していると理解した。
 保育に欠ける児童を行政が処分として入所措置する、という戦後からの保育行政が時代錯誤となり終焉を迎えた結果なのだろう。
 社会全体が、「豊かな人格形成のために、子どもを中心に据えたより良い成長環境を国として用意するので、成熟した市民として、その選択肢の中から自分の子どもに合った選択をしましょう」というレベル感にまで豊かになったという理解でいいのかな?
 サクッと見た感じ、昭和を引きずる自分なら「社福が受託している公設民営型認証保育所狙い」になってしまうと思う。
 当時は夢にも思わなかった「自分が育休を取得して娘が三歳になる春まで一緒に過ごす」ってのが一番アリだな。


後日談…と言うか余談

 途中で書いたように、娘の通っていた保育所も卒園までは直営を維持することは叶わず、途中の年度で指定管理者制度導入となってしまった。
 残念ではあったが、想定の範囲内の事態ではあったし、我が家の保育所通所ステージにおける目的は達せられた後の消化試合に近いタイミングでの出来事だったので気持ちの切り替えようはあった。
 決して悪い思い出だけが残るエピソードではない。それなりに良い側面だってあった……のだが、結構色々紛糾もしたので、いつかその事も書いてみたい。

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