見出し画像

なれなかった自分たちが、そこにいる

ぼくは昔から、自分にはないものを
持っている人に惹かれる。

それは言い換えれば、
「なりたくても、なれなかった自分像」
を、その人に映しているから、惹かれるのだ。



児童生徒と接していると、なかには
「こんな生徒に自分もなっていれば、
学生時代を楽しく過ごせていただろうか」
とか
「中学・高校時代は
こんな感じの子が好きだったな」
など
もう取り戻せない昔の自分を
思い出してしまうような子に出会う。



アラサーを過ぎた辺りからずっと、
センチメンタルになっている要因の一つが
これだろうなと感じる。



その子たちが鏡になって
「あのときのぼく」が
「今の」ぼくのなかに飛び込んでくる


しかも、悲しいかな。
そんな「なりたかった自分像」
を備えてる子たちは、基本的に
ぼくたち心理士には無縁である。

どういうことかと言うと、そういう
「優れた」子たちは
「認められた」子たちは
「魅力的な」子たちは
まずもって、悩み相談には訪れないのだ。

そういう事実を、
ぼくは身をもって経験している。




その一方で、面談をしている思春期の子たちは
多くの子が、自分の能力や
容姿のコンプレックスを語る。
その子の話を聞いて、ぼくは支援者として、
しっかりと距離を取って、
なにか言葉を添えないといけない。
でも、時折、その子の言葉と
ぼくの奥底にいる過去の自分が
妙にリンクして
「過去の自分」が「今・ここ」の2人の空間に
溶け込んでくる状態になってしまう。

ぼく1人のなかには
過去のぼくと支援者としてのぼくが渦巻いている。




結局のところ、なりたかった自分を諦めても、
コンプレックスを忘れようとしても、
置いてきた過去の自分が、
忘れさせてくれなかった。



大人になると、出会いも、楽しいことも、
体力も減っていく。
気が付けば、とうに30歳を超えているではないか。

「若いうちが花」は、決して女性だけに限らない。
相対的に、楽しいことより苦しいことの方が
明らかに増えてくるし
今までできていたことができなくなってくる。
多くの同年代の人が、それに共感してくれる。

前の記事にも書いているが、ぼくには
自分の拠り所となるものや、強みが少ない。
頭の回転も知的能力も、平均より低い。
両親ともに50歳手前でぼくを生んだためか
ぼくは昔から身体が弱く、体調を崩しやすい。
さらに、発達的な問題もあって、
ケアレスミスが多い。すぐ周りが見えなくなる。
かといって、感性が鋭いとか、対人関係の能力が
高いかと言うと、まったくそんなことはない。
むしろ、対人トラブルのエピソードに
事欠かない生育歴の持ち主である。
幼い頃に犯した過ちは、今も覚えている。

今、何かの間違いで、高額の特別ボーナスを
もらえたとしたら、ぜひ渡したいと思う人間が
思い浮かぶくらいだ。



そんな人間なのに、
なぜ対人援助職をやっているのだろうか?

ここで、ふと思うのが、
もしぼくが容姿や運動能力、
そして知的に恵まれていて、
家庭環境、ひいては異性・友人関係で
幸せな思い出が豊富だったのなら、
この職業は選ばなかったのではないか
ということである。

全体的に人生を振り返ってみると、
思わず目眩がしてしまうくらいだ。
しかし、そんな人生を歩んできた
おかげかは知らないが、

ぼくは、ごく些細なことで
喜びを実感できる人であることに最近気が付いた。

特に30を過ぎてからは、悲しいときに泣けるし、
嬉しいときは喜べるようになった。
感情が素直に表現できるように
なってきたのかも。

「30過ぎていまさら?」「そんなことで?」
という声が聞こえてきそうだが、
20歳前後のぽくは、どういうわけか、
泣きたくても泣けない人間であった。
あまりに泣けないので、
無理やり悲しい映画を見て
涙を流せるかテストしたくらいである。

そんな人間が
だんだん素直になってきたのか、
子どもの頃に戻ってきているのかは分からないが
最近は、些細なことで喜んだり、悲しんだりと、
情緒が忙しくてたまらない笑


例えば、相手が生徒であろうが、
滅多に褒められない外見を褒められたりすると、
たちまち心の中は飛び跳ねる。
そのため、表情が綻ぶのを
出さないように必死である。
職場の人から、仕事内容について
肯定的な評価をもらえる嬉しさとは別だ。

そんなことで喜べるものなのかと、
自分で自分を滑稽にも思うが笑


今思えば、27歳の頃にはもう、
硬かった自分が少しずつ緩んできていた気がする。

当時、容姿が整った20歳前後の女子と
小一時間ほど話しただけで舞い上がってしまった。
女の子とそんなに話したこと自体、
久しぶりだったからだ。

分かってほしい
男なんて、そんなものである笑

ちょうど、その日の夜に
同業者の先輩とリモートで勉強会があったので、
そのことを報告すると、
「それでそんなに喜ぶなんて、、、」と苦笑された。

それでも、嬉しいのは嬉しいのだから仕方がない。
これでも、その先輩と話すまでは、
喜びを精一杯我慢していたのだ。





ぼくは大体、こんな人間である。
なにも能力を持っていないし、
人より色々と劣っているから、
俗にいう幸せな者同士のイベント事にも
無縁である。



しかし、このことが実は、
今のぼくを支えているはずだ。

自分だけの体験を、対人援助職という視点で
人に伝えられることも増えてきた。
この随筆も、その1つ。


この先も
なりたかった自分たちや
なれなかった自分たちに
会う頻度は減らないだろう。



それでも、
少なくとも

些細なことでも喜びを実感できるうちは

些細なことでも傷付くということだけど

まだ、幸せを味わえる機会には
恵まれているから



まだ、諦めずに
生きてみようと思えるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?