目に止まらないほどに無色でも

中学生くらいの頃、
母親に車で1時間ほどかけて
ある田舎町の服屋まで、
連れてってもらっていた。

思春期の少年には田舎町にある
唯一に近いその服屋は魅力的で
小さな店内の数少ない洋服を
吟味しながら購入していた。

あんなに頻繁に店に行っていたのに
新作は緩やかなペースしか更新されず
寂しい気持ちを抱いていた。


今では潰れてしまったのか、
調べても痕跡すらヒットしない。


スマホで検索すれば
嘘の情報がいくらでも蔓延しているこの時代で

自分の記憶の中にしか
あの店の名前は残っていないのだろうかと
思ってしまう。



特定の誰かには
記憶にひっそりと残っているけど、

目に見える形には残らないし、忘れられていく。

きっと多くの人の人生や
多くの人の仕事がそんなもの。

自分の仕事、つまり
学校現場でいうカウンセラーも、
それに近いだろう。

自分という、黒子のような
何の結果も出せない人間が、
いったい何人の記憶に残っただろうか。

もしも、特定の誰かに響いているのなら、
何かしらのルートでそれを
知りたいと思う。




自分が誰かに影響を与えているとか
自分の存在が、誰かにとって
必要であるとかいう事実は

自分を救う
最大限のエネルギーになる。


それだけでも、
十分な見返りだ。


細い糸でもいい。
相手からそれを切られないのなら

繋がっているという実感だけ
与えてくれるなら


その事実を
ハッキリと「肉声」で
教えてほしい。


期待と誤解の間で
「それ」を汲みとるのは
積年の実体験で
そろそろ疲れたから


せめて
それだけでも。


自分の名前が
接した記憶が
事実が

細い糸でも
目に止まらないほどに無色でも
それを切られませんように。

時々でも思い出してもらいますように。




頑張れるから。

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