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自分にはこれがある

「一つのことしかできない」という人に惹かれる。
しかも、最初からそれが出来るのではなく
時間をかけて、それを身につけた人が。

そういう人になりたい自分もいる。

1つのことしかできないということは、
自分を表す代名詞となるものを
技術として所有していることになるからだ。

「自分にはこれがある」
と言えるものが、1つあるとないとでは
その人を支える軸の太さがまるで違う。

でも、今の世の中、
マルチに色々なことができる人の方が評価される。
一つのことしかできない人は、
もう必要とされないのだろうか。


やっぱり大学生などの
時間も余裕も保証されている
大人になる前のモラトリアム期間に
色々と手を付けた方が良いのかもしれない。

ところが、周囲の大学生を見ていると
あれもやりたい、
これもやりたい、
と、あちこち手を付けて
結局何も身につけないまま
社会へと旅立つ子がとても多い。

美味しそうな料理があちこちにあるせいで
一つ一つ味見をして、
それでその料理を分かった気になっている。

それとも、
「もっとたくさんの料理を味見したい」
といった心境だろうか。

でもそれよりは、1つの料理の味見から入って、
もっとこの料理を味わってみたいと
思うようになり、一度食べつくした後、
今度は自分でその料理を
作って食べられるようになる人の方が
ぼくは圧倒的に好きだ。

もちろん時間もかかるし、
その間は他の料理を味わう機会も少なくなるけど
結果的にその料理を作れるくらいまでやって
それが自分の技術として身に着くのなら
そっちの方がよっぽど価値が高い。

他の料理を味見することは良い。
ただその中で、
自分が没入できそうなものを絞って、
その味を追求してほしいとは思う。


中には味見の段階から
もうその料理を自分のものにできる
天才肌の人も見かけるが
そんなのは極一部だ。


ぼくたち凡人は
そもそも一つ身に付けるだけでも
大変な労力なはずだ。



みんな、10代や20代のうちは
できれば色々見たいし
色々味わいたいだろう。

でもその若いうちから、
なるべく一つのことに
時間もお金も労力も投資して
技術として身につける方が
後々、歳を取ったとき自分の支えになる。


自分の軸になる。

軸が一本出来るということは
自分を支える土台ができるというわけで
土台がない人より
ある人の方がぶれないし

辛くなったときに
そこに還ってこれる。


ぼくはあんなに時間があった学生時代、
何一つ、自分の技術として
身に着けてこなかったせいで、
この歳になって、とても苦労している。

だから今になって
軸を作ろうと必死だ。


でも、すでに古くなっている木を使って
土台を作ろうとしているわけだから
そもそもの柱がしっかりするかすら危うい。


30を過ぎて、
そういうものを欲しいと思っても
なかなか甘くないということだ。


若いうちは、なにかに没頭するための
時間も体力もあるし
環境も用意されやすい。

ある程度の年齢を過ぎると
時間も体力も足りなくなるし、
環境すら厳しくなってくる。


さらに苦しいのが、
それを共に追求していくための
併走者がいないことだ。

大人になると、時間や体力だけでなく
併走者の方もいない。
精神的にはそっちの方が辛い。

色々と孤独に頑張らないといけない。

だから、みんなには
10代や20代のうちから
そのことに気付いて
「自分にはこれがある」と言えるものを
見つけてほしいし
一つのものを、技術として
身に着けてほしい。

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