生かされている立場

もうすぐ
33の歳になる。

感覚的には
大学生の頃からなんにも変わっていない。
しかし、
肉体的には確実に老化を感じている日々なため、
辛うじて現実を直視できている。

若さを失って唯一良かったことが
20代の頃より生きやすくなったことだ。

仕事に関しても、

やっと、、、本当に、やっとちょっと

カウンセラーとして
やっていける自信が付いてきたから
そこが大きい。

自分の中に、
1つでも
経験則による自信が身につくことは、
生きる支えになる。


誰もいないし
ずっと独りなのは変わりない。

でも、
「恃むもの」が自分の中に出来てくると
自分に対して頼もしく感じる。

自分には自分がいるという感覚。

きっとこれからも生きていける。

その一方で、

生きやすくなるということは
だんだん悩まなくなる、ということであって

そこが怖い。

「悩まなくなる」自分には馴染みがない。
でも、少しずつ悩まない自分に出会いつつある。

悩んでない自分なんて、
自分じゃないと思っているから
逆に不安になる。

しかも、職業上、
人の悩みや困り感に寄り添う仕事のため
自分の感情を常に固定させず、
いろいろな感覚を味わわせて
揺さぶり続ける必要があるのだ。

就職してからずっと、
この仕事を続けてこれているのは、
自分で自分に対して、気持ちを揺さぶり続けて、
かつ、それを感じ続けれているからこそ
できている営みだと思っている。

きっと、悩みを感じれなくなったり
考えることができなくなったときが
この仕事と縁を切るべきタイミングなのだろう。


そして、幸運なことに
この仕事を始めて、
自分を頼ってくれるクライエントが
完全に途切れたことが
まだ無い。


そのことが、自分を生かすことに繋がっている。


去年までは
色々と生きる希望も自信もなかったため、
もし、今年度に今の仕事が途切れて、
給料も途切れてしまったら
「そういう運命なんだ」と割り切って、
自分自身をこの世から途切らす準備をしていた。

約3ヶ月前に、
配置される勤務校の連絡を待っているときは
「死刑宣告を待つ受刑者はこんな気分なのだろうか」
と思わず錯覚したほどだ。

しかし、
奇跡的に仕事を増やしてもらい、
死刑宣告は免れた。

この死刑宣告の恐怖は、
毎年4月に必ずやってくる。

来年度からはまた仕事が途切れるかもしれないが、
とりあえず今年度は生きていていいらしい。


仕事が増えただけでなく、
自分を頼ってくれる人も、その仕事の中で増えた。

まだ生きていいんだという
メッセージを汲み取った気がする。

自分は、間違いなく仕事に、クライエントに、
生かされている立場だ。

まだこの世に居ていいのだと思わせてくれる。

「カウンセラーとしての自分」を
頼ってくれる先生や保護者
そして子供たちが

途切れない限りは。

明日からも、
自分を生かしてくれるクライエントたちに
感謝しながら
生きていきたい。


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