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「◯◯人」ってこうだよね

突然ですが、いざモノを書こうとすると、頭の中が真っ白になることってありませんか?あれも書きたいこれも書きたい、って思っていたのに、結局自分は何を伝えたかったのかわからなくなる。

私は、文章とは「読む側」だけのためにあると思っていました。でもこの考えでは、相手に自分を良く見せようとするために、本当に「自分」が一番書きたいことではなく、二番目・三番目を選んでしまう。どうやったら面白いモノが書けるか、ウケがよいか、時代の流れに沿っているか。これらを考慮することも、もちろん大事ですが、長く続けることはできないんです。心の奥底から、自分の伝えたい文章ではないから。

だから私はこれからは自分のために、自分の心を、自分の言葉で綴っていきます。今まで誰かの真似をしてきたとかではなく、自分の気持ちに正直になろうということです。きっとその方が無理なく継続できる。

ここに留学に来て約2ヶ月が経ちました。毎日前を向いて歩いていたし、充実の意味を考える必要がないほどここに慣れることに必死でした。でも最近はずっと、ここに来た意味を考えるようになっていました。

留学に来る前、日本で自分たちの話をする時、「日本人は◯◯だから視野が狭い」とか「日本人は差別意識が高い」という意見をよく聞いていたし、私も軽い気持ちで使っていた。でも、この「◯◯人」だから、というステレオタイプ的な言い草ほどアホらしく、説得力のあるものはないと留学に来て気付きました。

私の一番仲の良いエジプト人の友人は幸運なことに、私と二人でいる時は、親切で言葉選びに思いやりがあって、「ああ、日本人も一緒に暮らしやすいタイプだ」と、彼女のナショナリティを完全に忘れてしまう。ところが彼女は、エジプト人の友達と一緒にいる時は、声を荒げて喋る、人の話を聞かない、時間を守らない、散々言い合った挙句恨み合いっこなし。こういう時に自然と「全くエジプト人は、、、」という思考に至ってしまうんです。彼女を一人の人間ではなくエスニシティとして見てしまう。

先述の通り、この思考はアホらしいと同時に説得力を持ちます。なぜなら、相手と自分の行動が相容れない時、反対に相手を羨む時も、自らを納得させるためにはこう考えることが、一番楽な方法だからです。そしてこの思考が絶対的に良くないものだとも思いません。それを研究したり、ビジネス要素にしている人もいるからです。でもこれがパターン化してしまうと、憎しみや差別を生みかねない。9.11の後に、テロで家族を奪われたアメリカ人が、ガソリンスタンドでただターバンを巻いていたという理由だけで、一人の男性を射殺してしまったように。

私は先日インスタグラムで「あなたの中東のイメージは?」と知り合いのみんなに問いかけました。「砂漠、治安が悪い、ラクダ、石油、アラジン」という回答が圧倒的に多かった。普通に生活していると中東の情報なんてほとんど入らないし、必要がない。これは誰のせいでもない。たまたま私が中東を専門に勉強しているだけで、例えば私自身、「東南アジアのイメージは?」と聞かれたら、ステレオタイプ以外の回答をできる自信はないです。

だからこそ、出来るだけニュートラルな情報を伝えることが現地にいる私の役目であって、エジプト人のイメージを良くしたいとも、悪くしたいとも思っていません。自分の発言には責任を持ちながら、その後どう感じるかは読者に委ねる、というスタンスです。ただ、エスニシティがメインではなく、サイドディッシュくらいの立ち位置で一人一人の人間にフォーカスした文章をこれからは書きたい。ステレオタイプをどんどんぶち壊す人間でありたいです。

余談ですが、留学というのは、語学や文化を学んだり、いろんな人間関係を築いたり、新しい考えを構築するための貴重な体験だと思います。それと同時に、そんなに沢山欲張りすぎる必要ない、と個人的に思っています。そもそものキャパシティが大きい方ではないし、これからもゆるく生きて生きたいです。

終わり🐫





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