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私を構成する音楽3選(民俗学的回想)

 菊地暁氏の「民俗学入門」(岩波新書)にある、この学問においては「私(たち)が資料である」という言葉を頼りに、自分が親しんだ経験から日本の音楽を勝手に振り返った。題して、「私を構成する音楽3選」。

 大学生になってからクラシックを聴きかじるようになった。大バッハやベートーベン、ショパンにドビュッシー、マーラーなどを好きな音楽家として挙げたいし、今はクラシックギターを習っているからフランシスコ・タレガも外せない。

 でも、よくよく考えたら、もっと幼少の頃から受動的に聴いていた(聴かされた)音楽があって、そちらの方が「わたしを構成」しているのかも知れない。何かと言えば、①懐メロ、②フォークソング、③ブルグミュラーである。

懐メロ

 たしかテレビ番組で「懐かしのメロディー」というものがあって、主に戦前・終戦後に流行った懐かしい曲を御本人に歌ってもらっていた。浅草オペラの田谷力三、ブルースの女王と言われた淡谷のり子、青い山脈の藤山一郎とか父親が好きであった。

 これらの人たちはクラシックの声楽を勉強した人たちだったが、懐メロの出演者には他にもいわゆる歌謡曲の大御所のような人たちもいたのに父は興味がなかったようだ。昭和のオヤジだから嫌いな歌手がテレビに出てくると評論が五月蝿いこと。

 私の父のことはともかく、面白いことに戦前は大衆音楽の世界で声楽出身の歌手が活躍したのである。声楽出身とは言え、田谷以外はクラシックそのものを歌うわけではないが淡谷はブルースとシャンソン、藤山はメジャースケールの歌謡曲を歌った。

 だから懐メロとは幅が広く、泥臭い歌謡曲とハイカラな西洋音楽風の歌の両方を私は聴いたのだった。戦後、新たにジャズが米国から入ってきたが、戦後の歌謡曲や演歌といわれる大衆音楽とクラシックやジャズとの間には垣根があるように思う。

 もちろん、戦後の昭和歌謡曲の中にはジャズの影響を受けてお洒落なコードを使った曲もあるようだが例外的である。それほど目新しさは感じられず、私の意識の中では懐メロの中の歌謡曲と高度成長期の歌謡曲とは繋がっているように感じている。

フォークソング

 テレビから流れる懐メロや歌謡曲の他は、ロックンロールもビートルズも私の生家には浸透しなかったのだが、その内に形をビートルズから借りたグループサウンズ(略してGS)というフォーマットの大衆音楽が世間に流行りだした。

 代表的なバンドには沢田研二がヴォーカルのタイガース、萩原健一がヴォーカルのテンプターズに、音楽性が高くて異彩を放っていたジャッキー吉川とブルー・コメッツなどがあった(井上忠夫=大輔さんのフルートとヴォーカルが印象的)。

 GSの多くは、エレキギターにエレキベース、ドラムセットという装置(楽器)にヴォーカルという構成で若いイケメンたちが演奏し、若い女性たちが熱狂した。ただ、中身はロックの音とリズムを取り入れた歌謡曲で作詞・作曲も専門家が担っていた。

 GSのメンバーたちには洋楽をカバーしたりオリジナルを演奏したかった向きもあったようだが大人の事情によって歌謡曲の作家が書いた曲を主に演奏していたようだ。いかんせん、長髪にエレキのGSは大人からは不良の音楽と見做されていたのだった。

 だからGSは形は新しかったけれど音楽の中身には新しさを感じなかった。しかし米国から並行して入ってきたフォークソングは私には新鮮で初期のモダンフォークまたはカレッジフォークは明るいメジャースケールと美しいハーモニーが印象的だった。

 音楽的にはカントリーがルーツにあるがゆえの素朴さや親しみやすさもあった。ただ、初期の明るいカレッジフォークはやがて、政治的な時代を反映してメッセージ性の強い歌に取って代わられていったが、それがフォークソングの本質とは思わない。

 やがてベトナム戦争が終わり、消費社会が到来すると新たな世代の若者たちの意識は政治よりも自分個人の生活や内面に向くようになった。メッセージ性が濃い関西フォークから吉田拓郎が人気を博す時代への移り変わりは文字どおり画期的だった。

 その後、四畳半フォークという支流も生まれたが、フォークが日本に入って以来、歌い手が書いたオリジナル曲が増え、荒井由実の出現を一つの転機として、ジャンルにとらわれない現在のシンガーソングライターたちに繋がっていったのだと思う。

ブルグミュラー

 ピアノを習った人は誰でも知っていると思うけれど、そうでない人には知られていない19世紀ドイツのピアニストで「25の練習曲」を書いた人。私はピアノを弾けないけれど妹が習っていたので聴かされた。特に「アラベスク」は耳に残っている。

 バイエルやチェルニーも聴いていたはずで、私は意外にも子どもの頃からクラシック音楽の端緒にふれていたことをあらためて発見して驚いた。そう言えば、クラシック音楽は意外な所で形を変えて聴かれているものである。

 映画音楽にはこっそり、しかし、枚挙に暇がないくらいクラシック音楽が使われている。また、古くは1965年にバッハというか「アンナ・マグダレーナの音楽帳」のト長調のメヌエットをアレンジしたラヴァーズ・コンチェルトが米国でヒットした。

 日本ではベートーベンの「エリーゼのために」をオールディーズ風にアレンジした「キッスは目にして!」が1981年にカネボウ化粧品のキャンペーンソングとなった。ちなみに編曲を担当したのは前述のブルー・コメッツにいた井上大輔さんだった。

 私は妹のピアノを聴きながら育ったわけだが、私の小学校の同級生の女の子にはお稽古ごととして琴を習っていた子もいた。もう少し後の世代ではエレクトーンを習った女の子も増えたようだ。邦楽的な音楽教養から洋学的な音楽教養への転換の時期でもあったのだろう。

  

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