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お地蔵さまと事故

道端のお地蔵さん

 日本では道端によくお地蔵さんを見かける。正確には地蔵菩薩と呼ぶが、はるか未来に弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間、人々を救済する菩薩で僧形をしている。万物を生む大地を神格化しているとも言われる。

 お地蔵さんへの信仰は、平安時代中期以降に末法思想と浄土教信仰が広まるとともに広まって、民衆がさまざまな現世利益の宿願を寄せるようになったため、その内容は多種多様とされる。しかしながら、神仏習合の観点からは、お地蔵さんが日本固有の塞の神(サイノカミ・サエノカミ)と重なっているものと理解できる。

 塞の神は村と外界の境におわすものとされ、境の内側の村を守るカミである。中国で行路、旅路の守り神である道祖と結びつけられて道祖神とも呼ばれるようになった。お地蔵さんが道端でよく見かけられるのは、塞の神や道祖神と習合したからであろう。

発心地蔵菩薩

 立川市教育委員会が発行した「立川のむかし話」という本には、半世紀ほど昔に土地の古老らから聞き取りを行った昔話が収められているが、その中に発心地蔵菩薩の話が出てくる。このお地蔵さんは村の境におわすわけではない。

 その一帯は昔、松林・雑木林だったところで人が少ない場所であった。しかし、それゆえにこそとも言えるだろうが、現JRの中央線の線路がまっすぐに敷かれたところでもある。そして、お地蔵さんがおわす場所は中央線の踏切があった場所なのだった。

 その踏切について「立川のむかし話」には次のような話が収められている。

  • 農家のお父さんと男の子が、朝畑からとってきた西瓜を荷車にたくさん載せて、市場に運ぼうとしたのだが、重い荷車をようやく踏切に運び入れた途端に荷車を引いていたお父さんが電車に轢かれてしまった。

  • お昼すぎに養鶏所から卵をたくさん買って帰ろうとしたお年寄りが、この踏切で轢かれてしまった。

  • ある夜のこと、若い女性が踏切で電車に飛び込んで自殺してしまった。立川駅近くのある料理屋で働いていた女中さんだったが同僚との喧嘩が原因だったという。

 そのように不幸な事故や自殺事件が続いて起こったという。 昔のこととて、駅の近くの踏切は係の人が手作業で遮断器を降ろしていただろうが、駅から遠い小さな踏切は無人で警報も遮断器もないのが当たり前だったのだろう。

 それにしても、線路そのものは、まっすぐに敷かれていて見通しがよい場所でもあったのに、なぜか事故が起こるし、わざわざ遠方から来て自殺をはかる人までいるので「魔の踏切」とさえ呼ばれていたという。そこで、亡くなった方の家族や地元の方が相談して、お地蔵さんをお祀りすることにしたそうだ。

事故について

 現代では警報機や自動遮断器がある踏切が多くなっており、踏切事故は減少傾向にある。そうは言っても、令和元年のデータで全国の踏切事故は208件あり、死亡者は92人とのことである。国土交通省も引き続き注意を呼びかけている。

 同省の運輸安全委員会の広報によると、踏切事故の多くは、列車が通過する直前の踏切横断や自動車等が停滞・エンスト・落輪することが原因で発生しており、警報機や自動遮断機がある踏切でも、踏切事故は発生しているとのこと。そして、自動車の踏切事故は、60 歳以上の運転者による場合に比較的多く見られるのが実情だとされている。

 自動遮断器がある踏切で歩行者の踏切事故は想像しにくいが、2021年7月の東武練馬駅での事故が記憶に新しい。これは31歳の女性がスマートフォンを見ながら歩いて、踏切内で立ち止まって電車に轢かれたという事故であった。スマートフォンに夢中のまま前の人について歩いていて警報やアナウンスに気づかないまま、自分は踏切の手前で立ち止まったつもりでいたのではないか、と推測されている。

 この方の場合は事故が起きた場所の近くにお住まいだったそうで警報に対する「慣れ」も事故の一因だったのではないか、という専門家の意見もある。会社勤めをしていた時に、労働基準監督署の管理職の方から労働災害防止の講習を受けたことがあるのだが、この練馬の事故にも通ずるような驚くべき話を聞いた。

 たしかビルの屋上での工事現場からの墜落事故という状況だったと思うが、踏切における警報や遮断器と同じように二重三重のフェールセーフの工夫が現場ではされていたのだそうだ。それなのに、事故で亡くなった方は、ふつうではしないようなイレギュラーな行動をして結果的にフェールセーフが効かなかったそうだ。
 
 ハインリッヒの法則が示すように、多くの潜在的な事故は、フェールセーフの仕組みによって未然に防止されていたのだろう。しかし、重大事故が起きてしまった後で調べると亡くなった方が普段はしないようなイレギュラーなことを何故かしていて、フェールセーフをかいくぐって事故が起きているというのであった。

人の認知能力の波

 フェールセーフは絶対に講ずるべきで、効果はあるのだが、こうした事故の例を知ると、それでも防げない事故もあることに驚かざるをえない。慣れも一因という見方も紹介したが、人間は機械ではないので、もしかすると認知能力にはムラや波があるのかも知れない。

 あるお坊さんが書いた本には、ご自分の経験として踏切で一瞬立ち止まったら、電車がすぐそばに来ていたことに気づかなかったので、びっくりしたという話があった。そのお坊さんは占いのようなことには言及しなかったけれど、日常生活で小さな不調(しくじりなど)があったら運気が下がっているかも知れないので気をつけるとよいと書いておられた。

 私見では、運気の上昇や下降の波というのは体調や認知能力の波なのではないだろうか。いわゆるバイオリズムなるものは統計的に有為な実証結果が得られているわけではないので、そのまま真に受ける必要はないだろう。ただ、バイオリズムのように万人に共通で正確な周期は認められなくても、自分自身の好不調の山と谷については気をつけたほうがよいだろうと思う。

 さて、件のお地蔵さんが祀られている場所は、現在では高架線になっていて魔の踏切もほんとうに昔話になっている。お地蔵さんは道祖神でもあり、亡くなった方への回向とともに通行人の安全を願う気持ちが込められたのであろう。今は安全な場所になったけれど、花が絶やさず供えられている。人間はいつポカをするかわからない。お地蔵さんに限らず、寺社や祠を目にしたときには注意を怠らないように自戒することとしたい。

(2022年5月)

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