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映画「遠くでずっとそばにいる」(ネタバレあり)


あらすじ


 27歳の志村朔美(倉科カナ)は病院で目覚めるが、自分がどうしてここにいるのかわからない。彼女は、まだ高校生だった10年前の12月までの記憶はあるのに、その後の記憶をなくしてしまったのだった。[念の為、朔美はサクミと読みます]

 朔美は、交通事故に遭ったために入院したのだったが、その少し前からつきあい始めたという高校の同級生だった細見(中野裕太)と、同じく元同級生で朔美とともに美術部員だった性的マイノリティーの薫(伽奈)の手助けを受けながら17歳以降の記憶がない生活を、なんとなく楽しんでいた。

 しかし、よくわからないことがあった。
 朔美の退院祝の宴席を昔の美術部員たちがもうけてくれたが、そこにいない一人の元部員の消息について朔美が尋ねると、皆が困惑してしまった。
 見知らぬ女に飲食店の化粧室で、また公園で、憎悪の言葉を投げかけられた。
 どこのものかわからない鍵を朔美は持っているのだが、それは細見の家のものではなかった。
 朔美の母が再婚したので朔美には義理の父と妹ができたのだが、その義父が朔美が棄ててしまった油絵を拾って保管してくれていた。朔美はその画を棄てた時に「半分だけじゃ持っていても仕方ない」と言っていたという。
 朔美が事故に遭った日のこと、母親に「今日は好きな人に会いにいくんだ」と言って出かけたのだという。だが、細見とはその日に会う約束はしていなかったことがわかる。

 不可解なことが多く、記憶を失った間に何があったのかを朔美は探り始めた。朔美が事故に遭う前まで勤めていたデザイン事務所に話を聞きに行った時に、彼女は一年半前にも交通事故に遭っていたことを元の雇い主から知らされた。

 そうしてわかったことは、朔美は最初の事故に遭った時に、高校生の頃から好きで美術部で一緒だったテシマという男と一緒にいて、テシマは亡くなり朔美だけが生き残ったのだった。そして、朔美に憎悪の言葉を投げた女とはテシマをめぐって三角関係にあったのだった。[女はテシマの妻のようにも思えるが、そうだとすると朔美が鍵を持っているのが不可解だ]

 朔美はテシマの住んでいたアパートを探して見つけ、その部屋のドアに謎の鍵を差し込むと開けることができた。室内は、如何にも絵描きのアトリエという感じだったが、そこには朔美が持っていた画の片割れの油絵もあった。

 朔美はその画を持ち出すが、ちょうどバッタリ出会った女と争いになる。なんとか強引に画を持ち帰ったものの、朔美が思い出すことができたのは、テシマが10年前の12月に朔美に赤いベレー帽をプレゼントしてくれたことだけだった。今でもお気に入りで冠っているのに、どうして思い出せなかったのだろう、と自分が情けなくなったのだった。

 朔美は事故以来、包帯に厚く覆われていた左の手首にリストカットをした跡を見つけた。また、耳が悪いので読唇術ができる義理の妹から、朔美が事故に遭う前に、これからテシマのところに行くとつぶやいたのを、たまたま見たとも教えられた。

 そして、義理の妹は朔美を抱きしめながら「これからも、その人のことを嫌いになることがなくて、ずっと好きでいられるんだから、朔美ちゃんは幸せなんだよ」と言って慰めてくれた。

 朔美は女にまた会い、自分はテシマのことを思い出せない。テシマとの思い出は貴女のものです、と言ってテシマ(と女)の部屋から持ち出した画と鍵を返して和解する。そして、朔美はテシマと分かち合った油絵に代わる新しい画を描こうと思い立った。

感想

 初めは少々ミステリー仕立てに見えないこともなかったけれど、朔美が事故に遭う前に、どういうことがあったのかは、ほどなく察しがつく。

 朔美が愛したテシマがどのような男で、二人がお互いにどのくらい真剣に愛し合ったのかは皆目わからない。何しろテシマについては回想シーンもなく彼の名前しか出てこないのだ。もしかすると、テシマにとって朔美は単なる浮気の相手だったのかも知れない。反面、テシマと朔美は一緒に絵を描いて分かち合っていたのだから彼は女(妻?)よりも朔美を愛していたのかも知れない。

 いずれにしても、朔美にとってテシマは本気で愛した男だったのだろう。だからこそ、テシマが交通事故で死んでしまった後の喪失感は大きく、朔美は自傷行為を繰り返しもした。

 そして、二度目の事故の後で、10年前の12月から後の記憶を失くしたのも、その時にテシマからプレゼントをもらったからであろう。つまり、彼女はあまりにも喪失感が大きかったので、テシマの存在を記憶から消してしまったのだ。

 この映画には脚本家がものした原作小説があるそうだが、映画を要約すれば、大切な人を失った者の死と再生の物語ということになる。朔美は肉体的には死んでいないが事故に遭って記憶を失くしたのは死と等価であり、新たに生き始めることでもある。

 朔美は自分は死にたかったのではなくて、先に死んだテシマと一緒にいたかったのだ、と記憶が甦らないまま総括する。だが、絶望して死にたかったのではなくて、前向きに死にたかったのだと言い換えても、行為そのものは同じである。

 おそらく二度目の事故に遭った日、朔美は死に場所を求めて街を彷徨っていたのであろう。しかし、その前に思いがけず事故にあってしまったのだ。そして、事故の後、朔美が生き続けることができるのは忘却したからであり、喪失感が大きければ大きいほど、救いはそれしかないのかも知れない。

 朔美の母親が再婚したこと、そのために義理の妹ができたこと、いろいろ手助けをしてくれた薫が性的マイノリティーであることは、おそらく意味があるのだろう。

 原作を読まずに勝手な解釈をすれば、(再婚を果たした)母親は朔美には再生のヒントになる存在なのかも知れない。そして薫はそもそも相思相愛のパートナーを得るのが困難な立ち位置にいる。また、義妹は難聴というハンデキャップを負いながら清らかで聖女のような人格。この二人は言わば、朔美の鏡になるような人物だろう。

 薫は蓮の華が咲くところを見たいという望みを持っている。蓮は水底の泥に根をはり、水面に美しい華を咲かせるので仏教で尊ばれている。映画の中ではモネの睡蓮の画も登場するが、朔美の義妹が独りで蓮の華咲く湖上のボートに寝そべる姿の映像は緑と生命に溢れて美しい。[朔美が細見と二人で風車(風力発電機)を背景に歩くシーンには荒涼とした美しさを感じた]

 まあ、なんと言っても倉科カナは可愛かった(笑)。

【映画情報】

2013年製作/108分/G/日本

キャスト
志村朔美:倉科カナ
細見良彦:中野裕太
大島薫:伽奈
阿部浩一:徳井義実
谷口正之:六角精児
スタッフ
監督:長澤雅彦
脚本:狗飼恭子

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