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背筋が伸びない人たち

 今は通勤はしていないけれど、東京に住んでいると移動するのに電車が便利なのでよく使う。時々気になるのはドア付近にもたれるように、よりかかっているお兄ちゃんやオジさんが多いことである。さすがに女性はほとんどしないけれども、男だったらいいよね、とは思わない。あくまで外見の話ではあるけれど、やはり、姿勢が悪いと人間の中身までだらしなく見えてしまうのである。

 一つは私が昭和の人間だからかも知れない。私が子供のころは周囲に戦前生まれの大人たちが多かったから、親や教師から「背筋を伸ばせ」とよく言われていたものである。そういう親や教師たちが育った家は、玄関から上がると廊下から畳を敷いた各間に通じるという和風建築の家がデフォルトだっただろう。畳の上に座布団を敷いて座って過ごすとなると自然に背筋を伸ばすことになるのだ。

 また、明治以降は西洋の国民国家と同じように国民皆兵となり、尚武の気風が昭和の敗戦まで続いていた。日本の武道は両手で剣や弓を操作することが基本になっており、技術的な面においても背筋を伸ばすことが基本にある。また、実際に大きな戦争がなくなった江戸時代において武術家が精神面の強化を求めて禅に接近するような傾向も生まれた。

 そうしたことが前提としてあって、背筋を伸ばすことが人としての基本であり、そうすることによって、身も心も真っすぐになり、正しく事に当たることができるのだ、という暮らしの思想のような常識があったと思う。これをアナクロな精神主義と嗤うのは容易いが、的を射ていると思われる点もあるのだ。

 私が電車のドア付近で寄りかかるように立っている人を見る時に思うことは、(この人は体幹を鍛える機会がないまま成長したのだな)ということである。寄りかかっている人たちは、十人が十人とも右足か左足のいずれか片足に重心をあずけており、上体はだらしなく歪んでいる。

 私は前期高齢者だが、電車の中で立つときは、吊り革につかまりながら両足に均等に体重をかけて背筋を自然に伸ばしている。重心は両足の間というよりはイメージとしては臍下丹田(下腹部)に置く感じである。頑張ってそうしているわけではなくて、若かった頃に武道で体幹を鍛えたので、そうしている方が楽なのである。反対に上体(=脊椎)が歪んでいる姿勢の方が疲れる。

 さて、体幹を鍛えられるのは何も武道だけではない。水泳、サッカー、野球のように広く普及しているスポーツでも鍛えられる。ピアノを弾くのだって背筋が伸びていないと上達できない。マンガはソファに寝そべっても読むことができるだろうが、本はそうはいかないだろう。なにより、机に向かって勉強するならば背筋を伸ばさないと長時間続けられない。

 つまり、身体的な疾患がなさそうなのに、背筋を伸ばして立っていられない人たちは、体幹を鍛える機会がなかったということで、それは、裏を返すと何か一つのことに打ち込む機会がなかった人たちなんだろうなぁ、と私には思えてしまうのである。電車のドア付近で、寄りかかって立っている人たちは、残念ながら十人が十人とも目が虚ろでもある。

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