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幕末のコレラ・パンデミー

 以下は、あくまで昔話である。幕末に米国から開国を迫られた日本はこれに応じることになったが安政5年(1858年)に長崎に来航した戦艦ミシシッピ号にコレラ患者が出た。これを発端として、瞬く間にその感染は江戸や下総にまで拡大した。文政5年(1822年)にもコレラの感染が日本に及んだことがあったが、この時は西日本中心で関東にまで波及することはなかった。

 コレラはもともとインダス川流域の下ベンガル地方の風土病であったが、英国によるインドの植民地化に伴って全世界での流行を繰り返すようになった。その病原体がロベルト・コッホによって発見されたのは、明治16年(1833年)のことだったから、安政5年の時点では、まだ原因が特定できていなかったわけである。

 このコレラという病気の特徴は、発症から3日ほどの短い期間で亡くなり、致死率も高く、その病状も異様だった点にある。嘔吐と下痢を繰り返し、患者は脱水状態になる。こぶが出来、痙攣を起こし、黒くひからびて行ったともいう。

 現代においては風邪と言えば感冒のことを指すが、前近代においては広く病気一般のことを風邪と呼んでいた。しかし、さすがにコレラについては江戸時代の人々も「ただの風邪だ」と済ますわけには行かず、「コロリ」など特別な呼び方をするようになり、「狐狼狸」のような当て字をしたそうだ。

 コレラは極めて重大な脅威だったが、その情報は少ない。ましてや、当時の水準の西洋医学すら、ようやく佐倉順天堂などで普及が始まったところだった。オルポートとポストマンの定式によると、流言が流布する量は、状況の曖昧さと問題の重要さの積に比例するという。幕末のコレラについても様々な流言飛語が生まれた。

 例として、現・富士宮市で酒造業を営んでいた枡弥(ますや)弥兵衛が残した記録によるとコレラの症状を狐憑きと結びつけた流言が流布した。本来は人間が見ることができないミクロな小動物で、微細な管をも通って人体に侵入し、悪さをして命を奪う「くだ狐」という、もともとあった伝承が妄想となって甦り伝播していったらしい。

 ここで再び、オルポートとポストマンの研究によると流言が流布するに際しては、三つの心理的なプロセスを識別できるという。すなわち、平準化leveling、強調化sharpening、同化assimilationである。かいつまむと、流言は、流布する過程で簡潔で平易になり、一定の限られた要素に絞られ、聞き手の関心や期待に応えるように整序されていく、というのである。

 上述の「くだ狐」の流言は、初出の翌日には特定の病人を名指しして定説化した。四日後には、目に見えない微小な「くだ狐」ではなくして、猫ほどの大きさで顔が馬、胴に毛、人の赤子のような足を持つ異形の獣として具象化されて伝わった。

 一週間後には、更に具体的に、誰それが聞いた「実話」として、猫ほどの大きさで狐に似た異形の獣が出たので、村の若者が撲殺したという話になった。平準化と強調化が進んで、コレラの原因がイメージしやすい異形の獣という形となるとともに、実話として流布されたのである。

 これに附会して、日本を侵そうとする異国と、それに手を貸す日本の野師(香具師)とが狐に似た異形の獣を使ってコレラという恐ろしい病気をばらまいているのだという「陰謀論」の形になっていった。開国によって異人の船舶が沖を往来するようになり、庶民にとっても不安な時代背景がそこにはあったのだが、流言の同化プロセスの結果であろう。

 この疫病から逃れるために様々な除災儀礼すなわち神仏にすがった儀礼が試みられた。病の原因が狐ということであればと、三峯神社の御犬様の威力を借りた話が記録されている。御犬様の威力を借りると言っても神社からは御幣をいただいただけであり、その効験には庶民も疑いを抱くようになったそうである。

 他方で、少しずつ普及し始めた西洋医学を応用して一定の効果をあげた動きもあった。佐倉順天堂で医学を学んだ関寛斎という人物は、治療法としてはキニーネの服用と身体を温めること、予防法としては滋養を摂り衛生を徹底することで江戸の台所であった銚子にコレラが流行することを防いだと言われている。

 この関寛斎はコレラ対策に先立ち、天然痘を予防するためにワクチンを接種する種痘の実施にも力を注いだ。しかしながら、そのワクチンは牛痘のウイルスを培養し不活化したところから、種痘を接種すると牛になってしまうという流言も流布して、関らは種痘の普及に苦労したらしい。

 この流言が「実話」や「陰謀論」として流布されたのか定かではない。だが、西洋医学を敵視していた伝統的な漢方医たちは、彼らが流言の出処ではないにしろ、積極的に流言を利用した面もあったらしい。人間は似たようなことを繰り返すものである。

《参考図書》
「江戸のコレラ騒動」高橋敏(2020年、角川ソフィア文庫)
「コレラを防いだ男 関寛斎」柳原三佳(2022年、講談社)
《関連する拙文》
「英国のコレラ騒動」https://note.com/mshr3033/n/n12ad52563354


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