呉座勇一と国際日本文化研究センター(その3)
(記事「呉座勇一と国際日本文化研究センター(その2)」から続く)
今回の記事では、呉座勇一の勤務先だった国際日本文化研究センター(日文研)を私が無能と思った理由や日文研にとっての呉座の存在、日文研の(外部から観察できる)内部事情について取り上げる。
鍵垢を中心とした界隈の悪質な非対称性などについても盛り込みたかったが、そうすると長くなりすぎるので、それは次回くらいの記事に回すことにした。
呉座の脅迫DM疑惑(読み飛ばし可)
私は今年3月、記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)」で、2019年3月に呉座界隈との衝突(第1次)や界隈からの密告DMがあり、呉座界隈の存在を認知するとともに呉座への報復を計画するようになったことを書いた。
同記事では
とも書いた。
論外だった理由は、そもそも日文研には呉座の鍵垢を調査する権限がないからだった。
そして同じ記事で書いたように、翌4月、真偽などは不明ながら、呉座と同界隈の生駒哲郎(日本史史料研究会の公式垢)が評論家の山崎行太郎氏に悪質な脅迫DMを送り付けたらしいという疑惑もあった。
なお、私は3月の記事で
と書いた。
最近になって知ったことだが、山崎氏はスクショで「●●●●」と伏せ字にした大手出版社の名を、2か月後の6月にYouTubeの対談動画「『再び「呉座勇一問題」について』2019年6月2日山崎行太郎と内山卓也の政治哲学チャンネル」で普通に喋っていた。
真偽などについてはあくまで判断を留保するが、これは私が2019年4月に山崎氏がTWした当初のスクショ(削除済み)を見た時の記憶とも一致する。
ともあれ、私はこの山崎氏の告発なるものを見た当時、「おやっ」と思った。
山崎氏は「よく「日文研」の助教が務まりますね。税金を使って、こんなことをやっていいんですか?」とまで書いているのに、呉座とともに名指しされている日文研は動こうとしないのだろうか、と。
もっとも、この告発なるものは当時ほとんど話題にならなかったので、もし山崎氏からの通報がなかったのであれば、日文研が気付かなくても無理はなかった。
呉座鍵垢の凍結と解除
そんな「日文研が気付かなくても無理はない」などと言っていられる状況は、翌月に終わった。
5月24日、呉座の鍵垢は凍結され、界隈が騒ぎ出した。
界隈の反応からして、呉座は同日の午前中、どこかの婚活垢に「○すぞ」と引用RTか何かしたらしかった。
これは伏せ字であっても軽口であっても、殺害予告と解釈され得る。
ヒ(Twitterのこと。ロゴ頭文字の「t」が「ヒ」に似ていることに由来。略語、隠語)運営の機械検閲がこれを検知したのか、それとも界隈の誰かが通報したのかは未詳。
呉座が何でそんなことをしたのかについては、あまりにアホらしいので私は解説したくない。
(2021年10月30日 13時50分ごろ追記)
私は今年3月、最初の記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)」で以下のように書いた。
この理解や定義は以後の記事でも一貫している。
(追記ここまで)
鍵垢を凍結された呉座はmixiに避難したらしかった。
当時の私は「二度とヒに戻ってくんな」と強く思っていた。
今となっては本人も「あのまま戻ってこなければよかった」と悔やんでいることだろう。
だが残念ながら、翌6月26日に呉座は戻ってきてしまった。
「弁護士さんが味方してくれたらしい」というのは多分、
呉座本人が避難先のmixiか復帰直後のヒでそう発言していたのだろう。
呉座は翌2020年に
とTWした(魚拓)。
この「相手に悪口が届いていないのになぜか凍結された人」とは、自分のことを指していたのだろう。
日文研への不信
話は少しだけ遡る。
2019年4月に山崎氏の告発なるものがあり、翌5月24日に呉座の鍵垢が凍結された当時、私は「これで呉座の鍵垢も終わりだな」と思った。
呉座鍵垢の凍結で界隈は騒ぎ出したが、それは恐慌したということでない。
我らが人斬り呉座先生の武勇伝がまた一つ増えただとか言って喜んだり、呉座先生の鍵垢が凍結されても陰謀論を唱えない我々はよく訓練されているだとか言って誇ったりしていた。
"#呉座先生凍結大喜利"というハッシュタグでの大喜利にまで発展した。
その異常な大盛り上がりは、界隈外部にもすぐ伝わるほどだった。
普通に考えたら、あの大騒ぎが日文研の目に留まり耳に入らないはずがなかった。
日文研は公式ヒ垢を2015年から運用しており、複数の個人ヒ垢もbio(biography、自己紹介文)に日文研所属の教職員であることを明記していた。
あの大騒ぎに気付いて呉座のヒでの前歴について少し掘り下げれば、前月に脅迫DM疑惑があったことはすぐに分かる。
さすがにこれで日文研も呉座の鍵垢利用を放置しておくのは危険だと判断し、重い腰を上げて呉座にヒを止めさせるだろう、だから呉座のヒ復帰はないだろう、と私は思っていた。
しかし前述のように、呉座は鍵垢凍結を解除させてヒに復帰した。
この時から私は、「日文研はよほどの無能か、または呉座の鍵垢での言動を知りつつ黙認しているかだな」と考えるようになった。
1987年に設立されて30年以上の歴史があり、国からの交付金で運営されている大学共同利用機関の日文研が、どうしてテニュアトラック助教でしかない呉座の問題ある言動を黙認するというのか。
常識で考えたら有り得なさそうな話だが、そんな常識だけでは片付けられないのがこの業界だ。
今年4月に記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その2)」で書いたように、「大学関係者(何故か特に人文学者)の多くは、正気を疑いたくなるくらいに察しが悪い」。
今でも「私は呉座さんのしたことの何がそんなに悪いのか分からない」みたいに言い張る研究者もいるくらいなのだから、当時の日文研が問題なしと判断して黙認することは有り得た。
また、もともと日文研には、傍から見ていて一種独特の気風があった。
上手く表現しづらいが、学者が歯に衣着せぬ物言いで物議を醸しても問題ない、とかいうような気風だ(ただし、日文研の研究者が全員そういう気風だということはない)。
日文研のプレゼンスと呉座
日文研は呉座の鍵垢での問題ある言動を知りつつ黙認しているのでないか、と疑わせるに足るより大きな理由もあった。
呉座界隈問題とは完全に別件だが、今年の夏、横浜市立大学の理事長・学長名で教職員に
という文書が届いた、という報道があった。
私はこの報道の真偽について知る由もないが、とにかく勤務先のプレゼンス(よい意味での存在感)を高める研究者は大学や研究機関にとって重要な存在となる。
そして日文研のプレゼンスにとっての呉座は、決して一介のテニュアトラック助教などでなかった。
日文研着任の2016年10月に刊行した中公新書『応仁の乱――戦国時代を生んだ大乱――』が異例の大当たりとなったことを皮切りに、日文研の研究者向けまたは一般向けの催し物への登壇はもちろんのこと、各地のカルチャーセンターや講演会での講義講演、NHKの歴史ものテレビ番組への出演、全国紙やネットメディアでの書評やコラムの連載、百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎)への批判とそれを発端とした井沢元彦や八幡和郎との論争、新書や共編著の出版、学習まんが『日本の歴史』(講談社)の監修、2022年放送予定のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代考証(今年3月に降板)など、数え切れきれないほどの華々しい活躍をした(以上、最初のテレビ出演がいつだったかとか細かいことは調べていないので、時系列を無視して列挙した)。
これら活動のすべて(多分)が「国際日本文化研究センター助教」という肩書で行われたのだから、呉座によって日文研のプレゼンスは大いに高まった。
今この記事を読んでいる読者にも、呉座によって「国際日本文化研究センター」の名を知ったという人や、「呉座先生のような優秀な若手研究者を採用した日文研は立派な研究機関なんだな」と思った人もいるだろう。
呉座はテニュアトラック助教でありながら日文研の看板研究者の一人となり、任期なし教授たちと並び称されるほどにもなった。
また、その鍵垢はファンたちとの交流の場にもなっていた。
ファンの多くは呉座の鍵垢にフォロー申請して承認されるのを待ち望み、承認されるとそれを栄誉のように感じて呉座をより応援するようになっていた。
呉座が鍵垢で次の講演会を告知するたびにすぐ申し込むという、追っ掛けみたいな人までいた。
呉座の鍵垢は、呉座が日文研のプレゼンスを高める後方支援をしていた。
あれほどまでに日文研のプレゼンス向上に貢献していたのだから、呉座が鍵垢で問題のある言動を繰り返していると薄々またはハッキリと知っていながら、日文研がそれを黙認しているということは決して有り得なくなかった。
何れにしても、呉座の鍵垢凍結が解除されて以降、前述のように私は「日文研はよほどの無能か、または呉座の鍵垢での言動を知りつつ黙認しているかだな」と考えるようになり、日文研のことを全く信用しなくなった。
そして、「たとえ私のことを誹謗中傷している呉座の鍵TWのスクショを1枚くらい偶然入手できたとしても、それを日文研に通報するのは自殺行為だな」と考えるようになった。
もしよほどの無能であれば、通報があってもろくに対応しないどころか、かえって下手を打って事態を悪化させていただろう。
またもし黙認しているのであれば、呉座に証拠隠滅を指示しかねなかった。
ジェンダーと卓越研究員事業、社会貢献
ここで話は2年後、今年3月の呉座の鍵垢解錠まで飛ぶ。
先日の記事「呉座勇一と国際日本文化研究センター(その1)」で書いたように、日文研は今年3月24日付「国際日本文化研究センター教員の不適切発言について」で、こう表明していた。
同じ記事で書いたように、「私は、「どっちに転ぶか分からないけど、追加処分は意外と厳しいものになるんじゃないか」と思っていた」。
3月の厳重注意は処分でないため、「追加処分」という表現は誤り。
しかし、当時はそう思っていた。
前述のように、日文研は国からの交付金で運営される大学共同利用機関だ。
どこかの億万長者の私財で運営されているなら好き勝手できるかも知れないが、税金を主たる財源にしていれば納税者からの視線に敏感にならざるを得ない。
しかも、現所長(2020年4月~)は朝日文芸文庫『美人論』(初刊1995)や朝日選書『パンツが見える。――羞恥心の現代史――』(2002)などで知られる風俗史研究者の井上章一であり、日文研としても2004年から「艶本資料データベース」を公開するなどしていた。
当然、ジェンダー関係の問題には敏感にならざるを得なかった。
私が「追加処分は意外と厳しいものになるんじゃないか」と思っていた理由は以上のもの。
また、私は4月下旬になって、呉座の日文研での助教職は平成28年度卓越研究員事業によるものだということを知った。
この卓越研究員事業は、
というもので、その支援内容は(最新の令和3年度では)
となっている。
つまり、日文研は若手研究者の育成を目的とする卓越研究員事業で呉座をテニュアトラック助教として採用し、文科省は呉座と日文研に5年間で合計千数百万円(多分)を支出した。
なのに、若手研究者育成の目的で採用された呉座は、自分より年下の若手研究者たちをネットリンチしていた。
ネットリンチなんてことは誰が誰にやってもダメだが、卓越研究員の呉座が自分より年下の若手研究者たちを標的にやっていたのはダメどころの話では済まない。
あと、国からの交付金で運営される日文研は社会貢献活動にも力を入れてきた。
例えば、一般向けの日文研フォーラムなどだ。
ちなみに、このYouTube日文研公式チャンネルの動画一覧
https://www.youtube.com/c/NICHIBUNKENkoho/videos
にある一番古い動画は2019年12月12日
「「歴史の物語性-実証主義とロマンのあいだ-」
国際日本文化研究センター(日文研)報道関係者との懇談会(2019年10月2日開催)」
https://www.youtube.com/watch?v=xqXPtizABy4
であり、
呉座と日文研教授が対談している(司会も日文研教授)。
教授2人とも「呉座さんは」「呉座さんが」と言って下にも置かない扱いをしており、趣深い。
これらのように、日文研はしょっちゅう一般向けの催し物もやっているのに、そこの助教である呉座は、非研究者に「雑魚が偉そうなことぬかすな」「ド素人が何様のつもりなのか」などと鍵TWしていた(記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その3)」参照)。
こういう発言はどこの研究者がやってもダメだが、学術研究だけでなく社会貢献も重要な使命となっている日文研の研究者がやっていたのは背信行為でもあった。
日文研の財務状況と呉座(読み飛ばし可)
以上のようなことを先日まで考えていたのだが、ここ数日で日文研の財務状況などを調べたところ、日文研にとって呉座の存在が如何に重要だったかがより見えてきた気がする。
なお前回の記事以来、私は概ね「人間文化研究機構(機構本部)は(厳密には大学共同利用機関法人だけど)国立大学法人のようなもので、日文研はそこの一学部のようなものみたいだな」と理解している。
日文研の財務は非常に逼迫しており、そのことは部内者によっても公言されていた。
日文研副所長(当時)の稲賀繁美は、2018年5月18-19日執筆の「世界のなかの国際日本研究を再考する――国際日本文化研究センター創立30周年記念シンポジウム「世界のなかの日本研究 批判的提言を求めて」の反省から――」(『国際シンポジウム』53、2021)でこう述べた。
国からの運営費交付金が毎年減らされ続けているため、国立大学などでは教員を増やす余裕なんてなく、それどころか定年退職による欠員が出ても2年間は補充人事を凍結し、足りていない人手でやりくりする、というような話はよく聞こえてくる。
日文研もその例に漏れていないようだ。
またこの前年の2017年、稲賀は「「国際日本研究」の現状と課題――機関としての日文研の運営との関連で――」(『日本研究』55)でこうも述べていた。
2003年の国立大学法人法による法人化から第3期となる6か年中期計画が発動しており、3年後の中間評価によって日文研も存続か廃絶かの分岐点に立つだろう、と。
そして、その中間評価が(2017年から3年後の)2020年から今年前半まで行われていた(大学改革支援・学位授与機構「第3期中期目標期間における4年目終了時評価のスケジュール変更について(令和2年8月)」)。
中間評価のため、機構本部が提出した2020年7月付「学部・研究科等の現況調査表」は、日文研の「若手研究者の確保・育成」「研究成果の社会還元」という小項目2つでこう書いている。
もっとも、この記述には(虚偽はないけれども)やや無理がある。
呉座が卓越研究員事業で日文研にテニュアトラック助教として採用されたのは2016年10月であり、
『応仁の乱』の刊行は同月25日付。
同書の「あとがき」は前9月12日付で、そこには東京大学史料編纂所の読書会での
「議論からも多くの示唆を得ている」(p.287)とあるだけで、日文研への謝辞はない。
常識から考えて、これら2つの文章は日文研が起草して機構本部から承認され、
機構本部(6機関全体)の現況調査表に組み込まれたものだろう。
そのため、呉座の日文研着任によって『応仁の乱』が誕生したかのような記述に
やや無理があることを、機構本部が認識していたかは不明。
日文研の存廃を左右するだろうとされていた中間評価のための現況調査表で、機構本部は呉座を「若手研究者の確保・育成」「研究成果の社会還元」の具体例として特筆大書していた。
その呉座が、こともあろうに若手研究者たちをネットリンチしており非研究者を罵倒していた。
大学改革支援・学位授与機構の今年6月付「中期目標の達成状況に関する評価結果」を見ると、今年3月に露見した呉座の一件は機構本部や日文研への中間評価に(さほど)悪影響を与えなかったようだ。
ただし、与えなかったようなんだからそれでいいじゃないか、というような話ではもちろんない。
(記事「呉座勇一と国際日本文化研究センター(その4)」に続く)
予告
次回の記事は、鍵垢を中心とした界隈の悪質な非対称性や、停職1か月という懲戒処分の当否について取り上げる予定。
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最後まで読んでくださりありがとうございました。