呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)

(本記事は2021年3月25日午前5:51に「●●●●●●と私のTwitter夜逃げ(仮題)」として仮公開し、同月30日午後7時ごろに「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)」として本公開した)

>>必読事項<<
ここを読み飛ばしたい方は以降の文章も読まないでください

この記事は急いで書きましたので、誤字脱字や説明不足、不適切な表現、リンクの張り間違い、時系列の混乱、事実の見落とし、誤解などがあるかも知れません。
それらは見付け次第、修正していくつもりです。
文章が何度か変化していくだろうということです。
こういうことをすると、分野に関係なく物書きとしての信用が地に墜ちそうですが、それでも今回ばかりは仕方ないと思っています。

文章を比較検証したい方は、お好きにスクショを取るなどしてください。
ですが、そのスクショを拡散したり魚拓を取ったりすることについては、くれぐれも慎重になってください
あなたのその行為によって、文章を公開した私こと森新之介だけが不利益を受けるのであれば、それは仕方のないことかも知れません。
ですが、もしその拡散されたスクショや取られた魚拓によって他の人が不利益を受けるようなことがあれば、あなたは私の加害行為に加担することになってしまうかも知れません
そういう危険を、どうか深く重く受け止めてください。

私の人生でこんなことを言う日が来ようとは思っていませんでしたが、この記事は末尾にあるシェアボタンなどを使ってURL(リンクアドレス)を、できれば私の実名とともに拡散してください(実名付きを希望する理由は後述)。
読んで、よく考えて、URLなど最小限の情報を拡散してくだされば、ただそれだけで結構です
それ以上のことは何も求めていません。
何もです。

もし誰か(含む私)への誹謗中傷や罵詈雑言を吐き出したくなったら、この記事の末尾にあるGoogleフォームから私宛にどうぞ。

凡例

この記事ではTwitterのこと。ロゴ頭文字の「t」が「ヒ」に似ていることに由来。略語、隠語)についての内容が多くなる。
ヒに馴染みのない人にとっては理解できない箇所がどうしても多くなってしまうだろうが、ある程度は仕方ないものと理解してほしい。

ネットスラングなども多くなる。
それらの一部は私が誤用しているかも知れない。

あまり重要でない箇所は

このように

表記することがある。
私としては、ただ目立たないようにフォントサイズを小さくできればそれでよいのだが、noteに慣れていないため上手い方法が分からない。
本来はコードを表記するための方法なので、自動改行されず(スマホなどだと表示が崩れる)、自動着色されてしまい不向きだ。
後日、表記方法を変更するかも知れない。

その他、分かりづらい箇所などがあれば、記事末尾にあるGoogleフォームから説明の要望を送ってほしい。
そのすべてに目を通すことは多分ないだろうが、善処したい。

後述するように、まさか自分がこんな記事を書くことになるとは思っていなかった。
もしなると思っていたら山のように記録を取っていただろうが、そうしていなかった。
なので、以下の記述は執筆時までに集められた限られた記録と、私の必ずしも正確でない記憶に多く依拠している。

この記事における「フォロー」はすべてヒ用語としてのものであり、日常用語としてのもの(「失敗をフォローする」など)でない。

Twitter夜逃げの理由

私はヒのアカウントの略語、隠語)を2011年3月15日から10年と少し活用していた。

最初は実名の「森 新之介」だった(そうせざるを得ない理由が当時あった)。
ほぼ実名の「森 Q之介」に変更したのは、それから数か月後のことだったように記憶している。
途中何度か、合計1年くらい施錠していたと思うが、原則として公開垢だった(原則公開していた理由などは後述)。
夜逃げ前で最後に施錠したのは2020年1月4日から同月24日までで、これは今回の問題とは関係がなく、またもともとすぐに再解錠する予定だった。

そして今月(2021年3月)23日(火)未明に夜逃げを決意し、25日(木)未明に実行した。

夜逃げ済み2
「夜逃げ」は他に適当な語が見付からなかったので、私が作った(つもりでいる)。
誰にも何も告げず、何の前触れもなく施錠し、当時691いたフォロワーをすべてブロックし、
フォロワー数を0にした。
現在は当時のフォロワー691のみを一律にブロック解除している(はず)。

こんなことをするのは私にとって初めてであり、多分もう元の公開垢には戻さないだろう(フォロー申請があっても一律に拒否する)。
夜逃げした理由はいくつかあり、関連するあれこれとともに後日別の記事を書くつもりでいる。

ここで1つだけ理由を挙げるとすれば、私は今回の問題の被害者の一人である(と私も思っている)北村紗衣氏のようになりたくなかった
先日から、北村氏のヒ垢にはあまりにも多くの人からリプや引用RTが押し寄せていた。
悪質なものもかなりあった。
それらへの対応だけでも十分すぎる負担に違いなかったところに、自分を正義の代行者か何かと勘違いした人たちの軽挙妄動まで発生し、それらへの対応を北村氏に求める声まで出ているようだった。
1983年生まれの研究者というところは同じだが、私にはとても堪えられそうになかった(もちろん、北村氏は堪えられているようなので労わらなくてよい、などということは全く考えていない)。

私と北村氏に面識などの接点はない。
私にとって北村氏は「ヒなどでたまに見掛ける、あまりお近付きになりたくない人」
というくらいの存在だった。
北村氏は私の実名も垢名も知らないだろう。

北村氏が私やこの記事の存在を知るべきかどうかも、率直に言って分からない。
負担をより重くしてしまうかも知れないからだ。

私はこれから呉座勇一など界隈の何人かを非難していくが、それでも呉座たちを含めた誰からも謝罪メールなどを受け取りたくない。
名指しされていなくとも、何かやましさを覚える人も出てくるだろうが、誰からも釈明されたくない。
(特にメールや手紙で)慰藉や激励もされたくもない。

呉座が今月24日付で、勤務先の日文研から
「傷つけられた方々に対し誠実に謝罪するよう厳しく指導」
されたことは同研の公式サイトで見て知っている。
https://topics.nichibun.ac.jp/pc1/ja/sheet/2021/03/24/s001/
だが、もし呉座から私への謝罪メールなどがあれば、それを追加(2次どころでない)加害と
解釈して日文研に抗議するつもりでいる。

この記事の読者には、私のメールアドレスや住所を知っている人もいるだろうが、そっとしておいてほしい。
一つ一つに「今後とも宜しくお願いいたします」などと返信することも、私にとって負担になるだろう(かと言って、無視するのもそれはそれで心苦しくなるだろう)。
疫禍のため、誰と次にいつどこで対面できるようになるか分からないが、その時に一言「何だか大変だったみたいだね」くらい言ってくれればそれで十分有り難い。
何事もなかったかのように、今まで通り接してくれても有り難い。

ただし、このページ末尾のGoogleフォームからでなら、お好きにどうぞ
すべてに目を通すつもりはないと明言しており、見なかったことにしたい内容は見なかったことに出来るからだ。

私は(文字通り)誰にも不当な泣き寝入りを強要するつもりはない。
だから呉座たちも、私への提訴を決定したのであれば私に連絡してよい

念のため言っておくと、私が現在所属している早大高等研に私の部屋や机はない。
もともと同事務所に立ち寄るのは月に1、2度なので、待ち伏せなどは効率が悪いと忠告しておく。

あと、読者には人間関係を「敵か味方か」「白か黒か」というような単純な構図で理解しないでほしい。
実際はもっともっと、誰にもすべては分からないくらいに複雑だ。

私と呉座の前史(読み飛ばし可)

私は2011年3月に東北大学大学院で博士(文学)を取得した、日本思想史を専門とする研究者だ。
自分でこういうことは言いたくないが、2014年に著書『摂関院政期思想史研究』(後述)で日本思想史学会第8回奨励賞を受賞し、2019年に同業の教授から「気鋭の若手研究者である森新之介氏」と評されたこともある(舩田淳一「平雅行著『鎌倉仏教と専修念仏』」、『仏教史学研究』61-2、p.60)。

現在の肩書きは、早稲田大学高等研究所招聘研究員。
2019年3月末で前職の任期が切れて以来、貯蓄を取り崩しながらの生活と研究を続けている(4月1日以降の2021年度も続ける予定)。

その私が呉座を初めて認知したのは、今から8年前の2013年のことだったように記憶している
私は博士論文を同題の著書『摂関院政期思想史研究』として2013年1月に思文閣出版から刊行した。
その前月の2012年12月、同社は広報誌『鴨東通信』第88号に販促のため拙文「摂関院政期と「民衆仏教史観」」を掲載していた。
この拙文を読んだ呉座が、2013年くらいに当時公開されていたヒ垢で「共感できるところがある」という趣旨のTWをした記憶がある。

私は、後に業界で名前が良くも悪くも知られるようになるが、当時はほとんど無名だった。
なので拙文や拙著に反応したTWは当時ほとんどなく、呉座のTWは私にとって目立つものだった。
当時の呉座は現在の渋緑色の似顔絵でなく、別のアイコンを使っていた記憶がある。

しかし、後述の解錠後に検索すると、呉座のそのようなTWは見付からなかった。
私の記憶違いだろうか、それとも呉座が削除したのだろうか。

もし呉座が拙文に共感したとすれば、どこにどう共感したかは、読む人が読めば何となく想像できるのでないだろうか。
ちなみにこの拙文は、当然ながら2012年当時の私の見解であるものの、今もあまり変わっていない。
また、今になって考えると、呉座の心には恐らく響かなかったのだろうと想像される箇所もある。

2013年くらい当時の私は、呉座のそれまでに書いたものの一覧を検索して、「一揆」という日本中世史ではかなり硬派な研究をしている若手なのだな、と思ったように記憶している。
分野や時代はやや異なるが、年齢が近かった(呉座は1980年生まれで私より3歳ほど年長)ので、日本中世史学でも新しい気風が出てくるといいな、くらいのことも思ったように記憶している。
呉座も、2014年3月に著書『日本中世の領主一揆』を奇しくも同じ思文閣出版から刊行したので、私にそのような親しみを感じたかも知れない(というより、自著が同社から刊行予定だったから拙文が目に入ったのでないだろうか)。
もっとも、呉座の当時の人間関係全体で私の存在が大きなものだったとは考えられない。

呉座を最初に生で見たのは今から7年前、2014年のことだった
ある研究会に聴衆の一人として参加したところ、(私にとって)やけに不快な人がいて、質疑応答の時間にその人が「呉座です」と名乗って質問した。
私は「これがあの呉座か」と思いつつその質問を聞いて、ますます嫌な気分になった。
とは言え、為人と研究は混同すべきでなく、あくまで是々非々であるべきだと考えていた(今でもそう考えている)
そもそも、気の合う人とだけ付き合っていけばいいような楽な業界ではない(どの業界だってそうだろうが)。

私はこれまでの研究活動で、誰のものだろうと先行研究を正当に評価して援用なり批判なり
してきたつもりでいる。
その方針は今後も変えない。
たとえその先行研究が呉座のものだったとしてもだ。

その後の同2014年の夏、私は去る1月に刊行された呉座の選書『戦争の日本中世史――「下剋上」は本当にあったのか――』(新潮社、2014)を読んだ。
その感想を当時の日記に「こうはなるまい」という題で、

いろいろと勉強になったし、本人が研究者として優秀なのもよく分かった。
だが、どうにも鼻に付く。

論壇に色気を出してるっぽいところも好きじゃない。
本書での「あまりに民衆万歳な歴史観には問題がある」という主張は、私の持論とも大いに共通している。
〔…〕
しかし、それでも最大の読後感は「こうはなりたくないな」だった。

と書いていた。
これはあくまで7年前当時の感想であり、今読み返したらまた違ってくるかも知れない。

何れにせよ、この時期、私の呉座への評価はある程度まで固まっていた。
今後お近付きになりたくないし、そもそも私とは違う道を行くような気がするからお近付きになる機会もないだろうな、と思うようになっていた
しかし、残念ながらそうはならなかった。

呉座界隈との邂逅

私はかなり早い時期から、ヒ垢のbiobiography、自己紹介文)に

気軽にフォローして気軽にフォロー解除します。

と書いて、その言葉通りにいろいろな垢を気軽にフォローして気軽にフォロー解除していた。

なのでいつのことだったか覚えていないが、私はある時「A」(仮名)という匿名垢を見付けた(誰かから教えられたのでない)。
Aはそのbioによると若手研究者(年齢など不詳)らしく、しかも当時は公開垢だった。
専門は明記されていたが、それは思想史でも日本史でも日本中世関係の何かでもなかった。
研究や時事などについていろいろ雑多なTW/RTを流していたので、私にとってなかなか有益であり、フォローせずによく見ていた(もちろんすべてが有益だったのでない)。

しかしそのAは、ある時(これもいつのことだったか覚えていない)から施錠して鍵垢になった。

若手研究者が、当初実名だった垢名を後に匿名にしたり、
当初の公開垢を後になって施錠し鍵垢にしたりすることなどは珍しくなかった
(今もそうかも知れない)。
当初は若く青くて将来の求職活動などにあまり現実味が感じられず、実名垢や公開垢で気軽に
TW/RTしていたが、だんだんと現実味が感じられてくると、自分は過去にあまり好ましくない
TW/RTをしていたのでないか、それが教員公募の選考過程で掘り返されるとまずいのでないか、
と不安になってくるからだ。

そういう不安は私にもないではなかった。
先輩の研究者から、一般論としてヒ垢は教員公募の選考過程で調査されるよと
忠告されたこともあった。
しかし私は、こんな大騒動になったから事後諸葛亮で言うのでないが、鍵垢はかえって危険だと
思っていた。

一度鍵垢にしてしまうと、フォロワー以外から見られることはないからと気が緩み、
より好ましくないTW/RTをしがちになる。
そんなことを繰り返していれば、すぐに二度と公開垢に戻せなくなってしまい、
より好ましくないTW/RTをしがちになるという悪循環に陥りがちだからだ。
また、もし選考過程で鍵垢を特定されると、何をTW/RTしているのか分からなくて危険だと
判断されるおそれもある。
それよりは、(ほぼ)実名の公開垢にして「自分はSNSの利用方法をちゃんと心得ていますよ」と
示した方がよい(私の垢運用がそれに成功していたとは言っていない)。

そもそも、鍵垢でなら何をTW/RTしようとスクショなどが流出することは絶対にない、
などと考えるのはあまりに愚かだ。

私は、あのAの流す情報が今後も欲しいなと思い、フォロー申請して承認された。
その直後(多分)にAもまた私をフォローしたので、相互フォローになった。
私とAとの相互フォロー関係が成立したこの時期は、先日の解錠で閲覧利用できるようになった呉座の垢記録から推測して、2016年の秋から2017年の初めくらいまででなかったかと思う。
私は当初気付かなかったが、このAは呉座の鍵垢とも相互フォローであり、「呉座界隈」に属していた(いつからかは不明)。

この「界隈」はネットスラングで、あまり明確な定義はないようである。
よく一緒につるんでいる連中、くらいの意味で使われることも多く、垢が公開か鍵かということは本来はあまり問題でない。
ただしこの記事では、「呉座界隈」呉座の鍵垢をすでにフォローしている垢(とそれら垢と行動をともにする垢)くらいの意味で用いることにする(あくまで私なりの定義であり、異論も有り得るだろう)。
この界隈には呉座以外にも影響力のある垢がいくつか存在したが、何と言っても呉座の存在とその垢が施錠されていることの意義が絶大だったため、「呉座界隈」と称してよいと考えられる。
ただし後述するように、呉座界隈は決して一枚岩の均質な集団でなかった。

私と相互フォローになったAは、たまに私のTW/RTをRTしたので、そのAによってRTされた私のTWが呉座のTL(タイムライン)に流れることになった(繰り返すが、私は当初そのことに気付いていなかった)。
以下が、呉座が公式/引用RTした私のTW一覧である。
古いものから新しいものへの順に見てほしい(最古は2017年1月12日)。

魚拓

魚拓

私は「公式RTは賛同を意味する」とかいう意見に(原則として)反対だが、しかし如何にも呉座が好みそうなTWばかりが公式RTされているという印象は受ける
なお、1年が365日であることや呉座が毎日何十もTW/RTしていたことなどを考えると、呉座による私のTWの公式/引用RTが全体に占める割合は非常に、というか極めて低かったと言ってよいだろう

もちろん、私のどのTWが公式/引用RTされたかということだけでなく、どういう順序で配列されたかということなども分析する必要がある
例えば2018年2月3日のこれである(上のものほど新しく、下のものほど古い)。

2018年02月03日

一見すると呉座のTW1つを私が見て4つTWしてまた呉座が1つTWしたかのようだが、各TW右上のタイムスタンプを見ると私の最初のTWは2日であり、呉座の最初のTWは翌3日である。
つまり、私が2日にしたTW4つを見て呉座が翌3日にそれらを自分のTLに組み込んだということである。
何度でも繰り返すが、私は呉座の鍵垢をフォローしていなかった(そして自分のTWが呉座の鍵垢に流れているということも未だ知らなかった)ため、私が呉座のTWを見て4つTWしたのでない。

恐らくこの時期の呉座は、私をさほど強く意識していたわけでもないだろうが、後方腕組み理解者面して、私を自分の同志か何かだと勘違いして私のTW(の一部)を見ていたのだろう
しかし前述したように、私は2014年からすでに呉座を好ましく思っていなかった(好ましく思わない相手を同志とすることなど有り得ない、とは言っていない)。

少し前後するが、呉座は2018年1月15日にこうTWしている。

魚拓
以下、魚拓では時刻表示が日本標準時でないので要注意

「森」という姓はさほど珍しくなく、この直前の文脈もよく分からない。
しかし、誰か(それも鍵垢か)が「呉座勇一さんも森新之介さんも思文閣出版から本を出していますよね」というようなTWをしていたのでないだろうか。

また、同2018年10月に刊行されて後に酷評するようになる私の査読付き研究ノート「源頼朝と天下草創」(『鎌倉遺文研究』42)を、翌11月1日には

2018年11月01日

と、このようにやんわりと異を唱えるだけにしていたあたり、今から考えると実に趣深い。

呉座界隈との衝突(第1次)

前章で見た時期くらいまで、私は呉座のことを自分とは違う世界の住人のように見ていた

呉座が2016年10月に日文研(国際日本文化研究センター)助教に着任し、同月刊行した中公新書『応仁の乱――戦国時代を生んだ大乱――』が異例の大当たりとなり、そしてヒの垢がいつの間にか施錠されたことくらいは知っていた(ちなみに、呉座が施錠した時期は2015年11月だろう)。
しかし、自分のTWがAを経由して呉座の鍵垢に流れ、しかもそれが公式/引用RTされていたことなどは当初全く分かっていなかった。
当時はAと呉座に、若手研究者であることなど以外に、共通するものを見出し得なかったためだ(もちろん、公開垢であるためどの鍵垢に流れてもおかしくないという可能性は理解していた) 。

ちなみに私は、後に呉座『応仁の乱』をある(今から考えると)少し面白い理由で
第三者(版元の中央公論新社の関係者でない)から贈られたが、まだ読んでいない。

呉座にとっても一つの画期となったのは、2018年11月に刊行された百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎)を翌12月に朝日新聞で批判したことだろう。

12月4日付「(呉座勇一の歴史家雑記)百田氏新作、過激と言うよりは
12月11日付「(呉座勇一の歴史家雑記)通説と思いつきの同列やめて
(以下略)

私は当時、百田のことをよく知らず(今もよく知らない。読みも割と最近まで「ももた」だと思っていた)、『日本国紀』も読んでいなかった。
「確かにネットでの検証に任せるだけじゃなく、誰か研究者が出ていく必要はあるかもなぁ。しかし、それが呉座かぁ……」と冷めた目で見ていた。

この呉座の百田『日本国紀』批判が飛び火し、翌2019年3月に井沢元彦や八幡和郎も参加する大混戦になった
まず、3月4日の井沢からの反論告知がこれ。

当時、呉座界隈がどのような空気だったかは、次のtogetterを見れば何となく追体験できるのでないかと思う。
ちなみに、当たり前だがこのtogetterに登場する垢すべてが呉座の鍵垢をフォローしていたのでなく、そもそも前述したように「呉座界隈」も厳密には定義できない。

(2019年3月4日付)@OOEDO4「呉座勇一vs井沢元彦、直接全面戦争ハジマタ

これらの反応が目に入った当時の私は、アホな連中だなと呆れていた。
呉座を「人斬りGOZA刀斎」などと持ち上げている垢もあり、これが和月伸宏『るろうに剣心――明治剣客浪漫譚――』の「人斬り抜刀斎」に由来していることは明らかだった。
しかし作中で、その抜刀斎は別に自分の天下無双を示したかったわけでも剣の道を極めたかったわけでもなく、ただ敵対勢力の要人暗殺を繰り返し、後に前非を悔いて不殺を誓うというキャラだった(と少なくとも私は記憶していた)。
ろくに『るろ剣』を履修していないだろう連中にこんなあだ名で持ち上げられて、呉座も気の毒だな、くらいに思っていた。
当時の私はまだ呉座界隈の存在に気付いておらず、これらの連中を勝手で厄介な呉座ファンたちだとしか思っていなかった

ただ、ファンたちのことを別にしても、呉座はやはりどうかしているなと思っていた。

この呉座の記事(3月6日付)に反応し、私が翌7日午後7:05にTW。

「過剰に歴史学者を攻撃している人は、本心では歴史の真実の探求などどうでも良く、炎上商法であろうと本さえ売れれば万々歳と思っているのだ」。下衆の勘繰りだなぁ……。/
八幡氏への反論:歴史学者のトンデモ本への向き合い方 - アゴラ http://agora-web.jp/archives/2037618.html
https://twitter.com/youkey_s/status/1103509834895257601

魚拓(夜逃げ後に取得)

これを呉座が同日午後8:38に引用RT(何度でも繰り返すが、当時の私は気付いていなかった)。

魚拓

呉座は、自分は森にとって敵である学界の敵である八幡の敵であるから、だから森は自分の記事についてこうTWしたのだろう、と考えたらしい。
アホらしくて仕方ない

そして決定打となったのが、呉座から井沢への反論文を読んだ私のTW(同月20日午前1:44)である。
なお、当時私はすでに呉座ファンたちを厄介な連中だと思っていたので、「呉座」2字が入らないように画像を取り、文中にも「呉座」2字を使わなかった。

読了。酷くて驚いた。歴史学においては「結果が大事なのであり、〔…〕動機はどうでもいい」と断言するのもどうかと思ったが、なのに次のページでは安土宗論で信長に「予断」や「用意」があったかどうかについていろいろ論じている。「結果」以外の「動機」とかは「どうでもいい」んじゃなかったのか。

2019年3月20日_1
2019年3月20日_2

魚拓

それへの呉座の引用RT(同日午後2:32)がこれ。

魚拓

後方腕組み理解者面はどこかに行ったらしい。
この呉座の引用RTによって、同夜午後9:20、呉座のファンネル(煽動されて代理攻撃を行う者。スラング)として日本史史料研究会の公式垢が襲撃してきた。

魚拓

面倒だったけど相手してやった(このレスバは時系列がやや複雑になるので要注意)。
私からの反論をまとめて示すと次の4つ。

2019年3月20日 午後11:10
2019年3月21日 午前1:10
2019年3月22日 午前0:34twishort
2019年3月22日 午前2:12twishort

このレスバ(レスバトル)の最中、呉座は鍵垢で私のTWをこう引用RTしていた。

魚拓

どうでもいいが、私はこの6年前の2013年、商業雑誌に該当するだろう
『週刊 新発見!日本の歴史』21(朝日新聞出版)に短文を依頼され寄稿していた。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15424
あと、半年だけながら某日刊紙の編集局で整理部員をやっていたこともある。

イキリまくって突撃してきた日本史史料研究会の公式垢は、私の補足説明も理解できていないようだった。

魚拓
(ちなみに、この「察してくれ。無理かな。無理だなあ。でも、理解できたでしょうか」は哀願でなく、バカなあなたには無理かも知れませんが、みたいな意味のようだった)

ここで、レスバにOOEDO(@OOEDO4)という垢が参加してきた(後掲魚拓参照)。
このOOEDOは別に呉座界隈とか研究者とかいうわけでもなく、ただ当時前掲のものも含めたいろいろなtogetterを作っている垢のようだった。

魚拓

研究者である私に突撃してきながら、研究者でもなさそうな垢(私のファンネルなどでもない)に返り討ちされたような格好になった日本史史料研究会の公式垢は、急に態度を変えてきた。

魚拓

人に変な誤解を与えるようなTWはお前が控えろ
あまりにアタオカすぎたので、私は日本史史料研究会の公式垢をブロックし、直後の同22日午前2:15に「どれとは言わないが、クソ垢をブロックだん」とTWした(魚拓)。
ファンネルである日本史史料研究会の公式垢からの戦果報告を、呉座はこう引用RTした。

魚拓

何が「こうなってくると」なのかは今も分からない

とにかく、この2019年3月の衝突を転機として、私も呉座界隈の存在を認知するようになっていった
当初、あまりのアタオカムーブに、そもそも本当にあの垢はあの日本史史料研究会の公式垢なのかさえも疑っており、たとえ公式垢だとしても中の人は代表の生駒哲郎でなくバイトか何かが詐称しているだけでないかと疑っていた。
だが、自分は生駒だと宣言したTWが削除されず、しかも同垢が呉座の鍵垢に鳴門(@)を送って何か会話しているらしいことなどから、あれは本当に呉座の鍵垢からのファンネル攻撃だったのでないかと考えるようになった

なおこの時期、日本史史料研究会の公式垢はbioで中の人について明記しておらず、あくまで会の公式垢として私と無関係なところでも問題行動(下品なTWを「面白すぎるものを見つけた」と引用RTするなど)を起こしていた。
中の人をbioに明記したのは翌4月のこと(ただし、何故それを明記すべきなのかなどは理解していないようだった)。
その後も、同4月に呉座と日本史史料研究会から悪質な脅迫DMを送り付けられたとして、評論家の山崎行太郎氏がそのスクショと再現画像なるものを連投TWで告発するという事件もあった(後述)が、それは何がどうなったのかよく分からず仕舞いになった。

日本史史料研究会は、その名前から想像されるようなよくある普通の研究会でない。
が、私もほとんど接点がないのでよく知らない。
公式サイトのURLなどからして、代表生駒の個人経営だろうか。
http://www13.plala.or.jp/t-ikoma/

ちなみにこの生駒は、業界ではよく知られたことだろうが、某研究機関で受け付け業務を
担当していることがある。
以後、私は年に12度必要に迫られて同研究機関を訪問して、受け付けに生駒を見付ける度に
心中「おっ、今日は私をバカ呼ばわりした生駒が受け付けか」と思いつつ、何事もなかったし
何も知らないかのように「これお願いします」などと言って生駒に接していた。

密告と困難、報復計画

この呉座の「こうなってくると」の直前直後、界隈から密告DMもあった(私はDMを開放していたため、どの垢からでも私の垢宛にDMを送信できた)。

ちなみに、このスクショを撮影したのは先日の呉座解錠後。
2年前当時、施錠されていた呉座鍵垢のTWはDMで表示されず、URLに飛んでも「このアカウントの所有者はツイートを表示できるアカウントを制限しているため、このツイートを表示できません。詳細はこちら」などと表示されるだけだった。

2019年3月22日

この密告で、私は思った。
くらわしてやらねばならん!然るべき報いを!
見てろ二度とツイッターできねえようにしてやる
と。

だが、私は興味なさそうにあしらった。
それにはいくつか理由があり、第1にこの密告者が全く信用できなかった
本当に、どこまで私に協力する(つもりな)のか分からなかった。
例えば、ここでもし私が
「そんなURLだけじゃ何も分かりませんから、スクショを送ってください」
と言えば、密告者は
「いや、そこまではちょっと……」
となるかも知れなかった。

また、もし私が呉座の鍵TWのスクショを1枚入手できたとしても、それが何の効果を発揮するのか極めて疑わしかった
ヒでそのスクショを曝したところで、呉座界隈から、ネットストーカーがスクショを曝して鬼の首でも取ったかのようだ、と嘲笑されるだけになりそうだった(この読みは完全に当たりだったと思っている)。

呉座の勤務先である日文研への通報なども論外だった
仮に、あくまで仮に私が日文研に次のようなメールを送ったら、どうなっていただろうか。

そちらの助教である呉座勇一は、確証はありませんが、ヒの鍵垢で私について何かTWしているようです。
是非このURL(https://twitter.com/goza_u1/status/1108239756670849025)の鍵TWを調査してください。
ただし、ヒのTWは一瞬で削除できますので、証拠隠滅して言い逃れようとするでしょう。
ですから、まず呉座を問答無用でいきなり後ろから羽交い絞めにして、しかる後にスマホを取り上げヒの鍵垢を確認してください

こんな怪文書みたいなメールを送り付けられて、まともに相手する研究機関がどれだけあるだろうか。
黙殺するか、本人に「何だかよく知りませんが、SNSの利用には気を付けてくださいね」とやんわり注意するくらいが関の山だったろう。

日文研は2020108日付で
「国際日本文化研究センター教職員が個人でソーシャルメディアを利用する場合の注意点について」
(https://www.nichibun.ac.jp/uploads/files/pdf/SNS_guidelines.pdf)
を策定していたようだが、これはこのような事案では全く無意味な規則だと思われる。
今回のように教職員のSNS垢が施錠されていれば、たとえ外部から通報があったとしても
所属機関は調査しようがないからだ(調査の動きを見せれば証拠隠滅されてしまう)。

私が某新聞社で派遣社員をやっていた89年前、会社から全社員(含む派遣)に
「どのSNSを使用しているのか申告せよ」という通達があった。
もし社員がSNSで炎上などした時、「当社は申告を命じていたがこの社員は申告していなかった」と
釈明できるようにするためだったろう。
当時は「どのSNSを使用しているのか」だけで、「どのSNSのどの垢か」までは
申告させなかったように記憶している。
今どうなっているかは知らないが、もっと危機管理が徹底しているのでないだろうか。

密告者が私に伝えてきたURLは結果として本物だったが、当時は真贋すらも判別しようがなかった。
密告者は本当に見るに見かねて密告したのか、ガセURLで私を躍らせようとしていたのか、それすらも分からなかった
何れにしても、私が「それを私が実見したところで何も好転しないでしょう」と返しただけでアッサリ引き下がり、二度と情報提供してこなかったので、この密告者は信頼しなくて正解だったと思っている

信頼できるのは自分だけだった。
厳密に言えば信頼できる人もいないではなかったが、この問題について相談したり力を借りたりすることは出来なかった。
どうすれば自分だけで報復できるかを考えた。

呉座が私の垢「森 Q之介(@mshin0621)」からのフォロー申請を承認するわけがないので、偽垢を作ってフォロー申請しようかとも考えた
そして呉座鍵垢のスクショを何百枚も取ってそれらをどうにか活用しようか、とも。
だが、呉座がフォロー申請を承認したくなるような偽垢に仕立て上げるには、何か月も掛かるだろうと思われた。
私の日常生活と研究活動が破綻してしまう。
それに、当時呉座の鍵垢にはフォロー申請が殺到していたらしく、「申請したものの承認されない」と待ちわびている垢がちょっと検索しただけでいくつも見付かった。

それよりも、非対称な現状を何とか利用すべきだろうと思った
真意がどうだったにせよ、あの密告者が言ったように、現状は呉座が鍵垢で私が公開垢だという非対称なものだった。
良くも悪くも、呉座が何を言ったところでそのTWが私に直接、届くことはなかった。
呉座に出来ることはファンネル攻撃くらいだろうから、今後とも呉座の矛盾を指摘するようなTWを(さりげなく、不自然でないくらいの頻度で)していき、呉座に私をファンネル攻撃させて私がそれを毎回撃退すれば、呉座の精神が動揺していき界隈が内乱になるかも知れない、と思った。
あまり成功の見込みがある作戦でもなかったが、このくらいしか思い付かなかった

かくして、この地味かつ(呉座とは真逆の意味で)陰湿な作戦を一応採用した私は、同3月29日以降、ヒで呉座を(不自然でないくらいの頻度で)「尊師」と揶揄するようになる(次のスクショは夜逃げ後に撮影)。

尊師

魚拓
(URL末尾にちゃんと"&f=live"があるのに、何故か時系列順になっておらず見づらい)

呉座が、森が自分を「尊師」とあだ名していると気付いたら面白いのでないかと思った。
最初だけ「某」を付けており「尊師」は一般名詞だったが、2回目からは固有名詞に格上げした。

結論から言うと呉座がこのあだ名に気付いたかは不明だが、とにかくも私から呉座への地味で陰湿な戦いが始まった
気分は、福本伸行『賭博破戒録カイジ』の45組を独りでやっているみたいな感じだった。

(2021年4月12日 午後6時15分ごろ追記)

(追記ここまで)

呉座界隈との衝突(第2次)

私と呉座界隈との第2次衝突はこの直後、2019年4月にあった

私は4月3日くらいに、たまたま刊行されたばかりの桜井英治「『応仁記』捏造説の収束に寄せて」(『歴史学研究』982、2019)という「批判と反省」(研究ノートのようなものか)を見付けた。
そしていつものように複写し、読みながら赤線を引いたのち、撮影した画像3枚に

桜井英治「『応仁記』捏造説の収束に寄せて」(『歴史学研究』982、2019)読了。面白いことは面白かったけど、この日本史業界で稀によく見る棍棒で殴り付けるような論調はどうなんだ……。

と書き添えて翌4日午前1:50にTWした。
ちなみに、私はこういう(画像付き)研究紹介などのTWを前々からたまにやっていた。

2019年4月4日_1
2019年4月4日_2
2019年4月4日_3

魚拓

赤線は引かれていないが、画像1枚目の左段中程をよくよく読むと

最近はもっぱら呉座勇一がスポークスパーソンを買って出て『応仁記』はダメだという評価を広く一般読者層にまで拡散させた。

という一文がある。
また、画像2枚目の右段中程の

目障りな史料をこれほど簡単に葬れるなら歴史家は万能である。小説家のように何でもいえるようになるからだ。

に赤線が引かれている。
このTWは、その「日本史業界で稀によく見る棍棒で殴り付けるような論調」もあってか、当時30RTくらいされて私のものにしてはなかなか拡散された。

呉座はこのTWを見付けたらしく、同4日昼と2日後の6日にこうTW&自己リプした(最初のTWのみ削除済みか)。

2019年04月06日
2019年04月04日

魚拓

これを承けてだろう、呉座界隈の研究者から、ヒで研究内容を批判するのは如何なものか、というお気持ちTWが表明された(後掲魚拓参照)。
それを呉座が反論のため同6日午後11:01に引用RTする。

魚拓

この時はファンネル攻撃がなかったので、当時の私には自分の仕掛けたTWが呉座の目に入ったかどうかも知る由はなかった。

なお、この時はヒで研究内容を批判するのは如何なものかというお気持ちTWに「理屈としては分かる」云々と引用RTしていた呉座は、後に私の研究成果を鍵垢でボロクソに批判するようになる(後述)。
また、呉座はこれと関連して「「お東大のおエリート様」みたいな人格攻撃は良くない」とTW(魚拓)していたが、後に私を「こいつは俺に難癖つけたいだけだな。そういう性格が就職活動にも影響していると思うよ」などと、当時からbioに「現在、アカポス求職中」と書いていた私を人身攻撃するようになる(後述)。

これとやや前後して、去る3月24日に八幡和郎が顔本(facebook)で呉座を「たかが助教」と評して炎上(2019年3月25日付@Kelangdbn「「たかが助教」」)。
呉座界隈は何たる暴言かと憤慨し、私もこれは暴言だなと思った。

しかし翌4月8日午後8:10、呉座は

魚拓

とTWし、直後に何故か自分のbio冒頭に「たかが助教です」と加筆
これに呉座界隈は、さすが呉座先生!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!みたいなノリでキャホキャホしていた。

そんな最中の翌9日午後6:01、呉座から井沢への反論文にあった「たかが助教」が、よりにもよって私のTWでつっこまれてしまう(今度はわざと「呉座勇一」が入るように画像を取った)。

読了。素朴な疑問なんだが、論争相手は「私の背後には数百万の読者がいるのだぞ」「たかが助教」なんてことをどこかで言ったのだろうか。もし言ったなら言った方がクソだし、もし言ってないなら言ったかのように書いた方がクソだ。

2019年04月10日

魚拓(夜逃げ後に取得)

この私のTWを、呉座が翌10日午後0:52に引用RT。

魚拓

ただし、怒り方があまりに意味不明だったためか、私のこのTWへもファンネル襲来はなし

また、呉座がbio冒頭に「たかが助教です」と加筆したことへの界隈のわけ分からない大盛り上がりが私の目に入り、私が同10日午後11:21にTWする。
こればかりは流石に報復作戦の一環としてでなくTWしたが、結果として作戦の一部としても作用した。

謙遜か自嘲か冗談か皮肉か知らないけど、自分で「たかが助教」と言っていることを不快に思う人もいるだろう。
助教になりたくてもなれない人や、助教として頑張っている人、頑張っている誰かを知っている人もいる。
面白がったり応援したりする助教や研究者もいるんだろうけど、そういう人ばかりじゃない。/
https://twitter.com/omikun_1603/status/1115299278195310593
https://twitter.com/Toshirou_m/status/1115911228268920832
https://twitter.com/enikuma/status/1115966785474273280

2019年04月10日

魚拓
twishort魚拓

またしても気分を害されたらしい呉座は、翌11日午後2:59に私のTWを引用RTし、午後3:07に自己リプ、午後3:55に会話リプ。

魚拓

魚拓

https://twitter.com/goza_u1/status/1116224903684870144

魚拓

魚拓

最後の会話リプは、文脈からして、井沢と森が対呉座さん同盟を組むかも知れませんね、みたいな界隈のリプへのものだろう。
鍵垢だろうとbioだけは公開されるわけで、それで界隈があんなわけ分からない大盛り上がりをしていたら、私の目にも入ることになる。
ちなみに、ブロックすると相手にはbioすらも表示されなくなるが、呉座は私の知る限り一度も私の垢をブロックしなかった(私も呉座の垢をブロックしなかった)。

何れにせよ、これによって私のTWにファンネルが襲来する(第2次衝突)
同11日午後3:17以降、私が(ほぼ)ファンネルである大学教員の馬場弘臣や編集者の平林緑萌たちに反撃する(前掲魚拓参照)。
馬場は同11日午後6:55に呉座へ「なんだQさんわざと絡みたかったんだ。説明して草❗だったわ」とリプ。

平林は私に「お気持ちヤクザじゃん……。」「「長者番付を見て傷ついた!」」とエアリプ(前掲魚拓ではサムネが見切れているが、この画像はエアリプがきっちり分かるように貼っていた)。

平林エアリプ
なお、前掲魚拓にある「私が西村さんと知り合いだったかどうかはこの場合どうでもいい」
というのは、あるファンネル(っぽい垢)が、当時私のTLに固定されていたTWから
私が西村玲氏と知り合いだったことに気付き、それについて何だったか反応してきたため。

ここまでの説明で読者も分かってきただろうが、呉座界隈はアンチ呉座(のように見える)TWを見付けると呉座の意を汲んでファンネルたちが襲撃し、攻撃対象が謝罪やツイ消し、施錠などをするまで追い込んで勝ち鬨をあげる、ということが常態化した極めて悪質な界隈だった。

この「呉座の意を汲んで」を当初は「呉座の意を体して」と表記していたが、修正した。
森などを攻撃しろ、と呉座が明言したということは今のところ確認できないからだ。
しかし、呉座がファンネルたちによる私などへの攻撃を制止したという事実もまた確認できない。
そのため、当初の「呉座の意を体して」という表記でも大過なかったと考えられる。

呉座は先日の解錠後、ファンネルたちによる北村氏への攻撃を制止しようとしたが、
これは解錠後だから生じた例外中の例外だろう。
https://twitter.com/goza_u1/status/1373258574793633792

つまりはネットリンチを繰り返し、これに研究者や編集者も加担していた
先日北村氏が見舞われた多数の悪質なリプ/引用RT/エアリプも、決して偶発のものでない。
ただし、恐ろしいことにと言うべきか悍ましいことにと言うべきか、加害者たち(の少なくとも一部)は自分たちが何をやっているのかさえも理解していなかったようだ

馬場と平林は先日、呉座が鍵垢を解錠した後になって北村氏(など)に謝罪している。
https://twitter.com/omikun_1603/status/1373240648824881155
https://twitter.com/omikun_1603/status/1373420192810692611
https://twitter.com/moegi_hira/status/1374244011993571328
だが、2人は呉座界隈において以前から悪質であったため、私はそれら謝罪を
呉座の謝罪と同じく全く信用していない。
また、当然ながらと言うべきか、私への謝罪はない(あってもどうせ全く信用できないだろう)。

この時の呉座は、ファンネルたちがなかなか勝ちらしい勝ちを収めないことに苛立っていたようだ。
同11日午後10:28に私の反論をまた引用RTし、午後10:30に自己リプ。

魚拓

魚拓

呉座は、これだけ自分のbioの「たかが助教です」について私のTWを粘着だ何だと主張していたが、誰かに何かを言われたのだろう、後(確か同年内)にいつの間にか鉤括弧で括り現在の「「たかが助教」です」に改めていた。
変更せざるを得なくなったことも、呉座にとっては不愉快極まりなかっただろう。

ただし、この2019年4月中旬の「たかが助教です」を最後として、私の垢へのファンネル襲撃がなくなる
そのため私は当時、自分の作戦が継続して効果を発揮しているのかどうか分からなくなった。
呉座はもう私のTWを見ていないのでないかとか、私を完全無視することにしたのでないかとか考えるようになっていた。

実際にはそのようなことはなく、むしろ呉座の私への不当な悪評拡散は(頻度が下がっても)程度が上がっていた。
いくら引用RTで攻撃対象を暗示してもファンネルが出撃しないことに、苛立っていたのかも知れない。
若手研究者56すにゃ刃物はいらぬ、悪評の一つもあればいい

翌12日午後0:54に私を嘲笑するリプ。

魚拓

10日後の22日午後2:36、私が追撃するかのようにTW。

八幡和郎を
「レフェリー顔してしゃしゃり出てくる前に、己の不明を恥じてはいかがだろうか」(agora-web.jp/archives/2037900…
と批判した呉座勇一が、
「最近はもっぱら呉座勇一がスポークスパーソンを買って出て『応仁記』はダメだという評価を広く一般読者層にまで拡散させた」
「目障りな史料をこれほど簡単に葬れるなら歴史家は万能である。小説家のように何でもいえるようになる」
と批判されて(twitter.com/mshin0621/status/…)、どう応答するのか気になっている。
応答文を執筆しても、研究誌に掲載されるまで最短半年は掛かってしまうだろうけど。

魚拓(夜逃げ後に取得)
twishort魚拓

呉座は直後の午後2:50に私のこのTWを引用RT(念のため言っておくが、もちろん私は「桜井さんの勝ち! 家永・呉座はバカ」などと吹聴していない)。

魚拓

3か月後の同2019年7月26日に私が

垢名とかbioに「こんな人たち」「たかが助教」「18歳人口の5.5%」とか入れるの、何が楽しいのか分からない。

とTWすると、3日後の29日に呉座が引用RT。

魚拓

また同2019年末の12月27日、私は桜井英治「『応仁記』捏造説の収束に寄せて」(前掲)への応答文である家永遵嗣「日野富子暗躍伝承は排除すべきである――桜井英治の論難に応える――」(『歴史学研究』992、2020)を複写し、読みながら赤線を引いたのち、撮影した画像2枚に

家永遵嗣「日野富子暗躍伝承は排除すべきである――桜井英治の論難に応える――」(『歴史学研究』992、2020)読了。門外漢なので、議論が噛み合ってるのかどうかよく分からなかった。

と書き添えて午後10:55にTWした。

2019年12月27日_1
2019年12月27日_2

魚拓

これを2日後の29日午前3:03に呉座が引用RT。
これに界隈の研究者らしき垢が何かリプし、呉座が午前3:26にリプ。

魚拓

魚拓

(2021年6月15日 午後3時45分ごろ追記)

呉座界隈から呉座へのリプ。

(追記ここまで)

これに界隈の別の研究者垢が何かリプし、呉座が同日午前11:10にリプ。

魚拓

どういうリプがあったのか現在では確認できない。
ただし文脈からして、呉座さんは森さんが切り抜いていると言いますけど、切り抜かずに全部の画像を掲載するのは無理なのでは、というような内容だったろうと推測される。

2020年からつい先日まで

前3章で述べたように、2019年3月に私は呉座ファンネルの生駒(日本史史料研究会の公式垢)から攻撃され、密告DMなどもあって呉座界隈の存在を認知した。
呉座への報復として、さりげなくTWで矛盾などを指摘して呉座に私をファンネル攻撃させ、それを撃退するという地味で陰湿な作戦を開始した。
しかし、2回とも撃退されたためかファンネルが私の垢に出撃しなくなり、苛立ったらしい呉座は私についての不当な悪評を拡散した。
つまり2019年は、私が呉座の鍵垢による陰謀を認知し、報復として界隈内乱などを目的とした陰謀を開始し、そして呉座が私についての不当な悪評拡散という陰謀で報復する、という大変錯綜した1年(実質10か月)になった

この間、私は月に何度かヒを「呉座」「@goza_u1」で検索し、情報収集するなどしていた。
すると、無数の称讃TWに埋もれるようにして、「呉座先生にフォロー申請して承認されたけどTW/RTが酷すぎるからリムった」とか「呉座の仲間たちからネットリンチされた」とかいう内容のTWもいくつか見付けられ、私は呉座界隈の実在と実態について確信を深められた。

しかし、2020年は一転して、良くも悪くも平穏だった
呉座界隈においてはいろいろな事件があったが、私と呉座の間には(少なくともヒでは。後述)何もなかった。
何もなかった理由については、もう少し記憶などを整理して考えたい(疫禍も関係していただろう)。

そしてつい先日、あの事件があった
私は当初、他者から提供されたという呉座の鍵TWのスクショ数枚を北村氏が曝したことについて、一方で風向きが変わるかも知れないと喜びつつも、他方で拙攻でないかと危ぶんでいた。
「ついにあの鵺が尻尾を掴まれたか。でも、これじゃあ自分の尻尾を噛み切って逃げてしまうんじゃないだろうか」と。

「拙攻」というのは、私が2年ほど地味で陰湿な、つまり慎重な作戦を継続していたことによる感想。
呉座の鍵垢を認知すらしていなかったらしい北村氏が、あのように反応することは自然だった。

「自分の尻尾を噛み切って逃げてしまう」というのは、呉座には最後の手段「垢消し」が残されていた
方々から非難が集まり追い詰められても、解錠しないまま自分の鍵垢を丸ごと削除し、「解錠して謝罪しなければと思いつつも、指が勝手に動いて垢消ししてしまいました」などと言い逃れようとするのでないか、と。
これは明らかに不誠実で極めてダサいムーブとなるが、十分に有り得ることだった(実際、呉座は解錠直後にまた施錠し、直後にまた解錠している)。

もし解錠すれば、北村氏についてのTWいくつかだけでなく、過去15.6万件すべてのTWが公開され、しかも(加工可能なスクショでなく)加工不可能な魚拓が取られてしまう。
ヒに精通していた呉座は、自分の鍵垢を解錠すれば何が起こるかを十分理解していただろう。

そもそも私が2年ほど継続していた地味で陰湿な作戦の目的も、界隈の内乱を誘発させて
告発の鍵TWスクショを数十枚ほど流出させ、呉座を垢消しまで追い込むことくらいまでだった。
それ以上のことは無理だろうと思っていた。
もし1か月前に、誰かから「お前は呉座が鍵垢を解錠し、過去のTWをほぼすべてそのまま
公開することになると思うか」と問われていたら、私は「呉座はそうしない」に
クレジットカードのキャッシング枠上限額までを張っていたんじゃないだろうか。
余談だが当時、私は今年510日〆切の『日本研究』第64集(日文研)に論文を投稿する予定で、
最後の仕上げを行っていた。
https://publications.nichibun.ac.jp/pc1/ja/announce/nike/
この投稿は去年の6月くらいから計画しており、たとえ査読者が呉座になろうとも落としようのない
論文にしてやろうと意気込んでいた。
もし先日来の急展開がなければ、今頃は完成していただろう。

今も予定通り『日本研究』に投稿するつもりではいるが、前人未想の奇説なので、
今回の問題とは無関係に査読落ちするかも知れない。
勝敗は兵家の常だ。

しかし何故かそうはならず、呉座は解錠した
ほとんど無抵抗で開城投降したようなものだ。
ああなった理由について、私には1つの仮説があるが、たとえそれが正しかったとしても公表すべきものではないだろう。

全く予想外の急展開によって、私の念願は成就したと思われた。
というか、念願以上のハッピーエンドを迎えたかに思われた。
だが、解錠後の展開が私の予想から外れ、夜逃げしてまでこの記事を書かざるを得なくなった

風評被害への懸念

私は去年くらいに、以前はブロックされておらず普通に見ることのできた某有名大学教授の実名公開垢が、私の垢(@mshin0621)をブロックしていることにたまたま気付いた。
その教授の専門は人文学でなく、ヒでも私との接点などが思い浮かばなかった(公式RTした記憶すらなかった)ため、いつどうしてブロックされたのかもまた思い浮かばなかった。
もっとも、些細な、ほんのちょっとしたことが気に食わなくてブロックする人もいるし、あまり深く考えても仕方ないか、と思うことにした。

だが、解錠された呉座の過去TWを検索していて、この教授もまた呉座と相互フォローであり、呉座とリプで会話する仲だったことに気付いた

また去年、私は某所の公募に応募したことがあった。
それは教員職などの公募でなく、「あなたの研究成果の一部をうちから発信してみませんか」という趣旨のものだった。
私の応募した企画案は書類選考の結果、入選でないが補欠候補みたいなことになり、6月に担当者とZoomで面談することになった。
その時の先方の反応は、「まあまあだな」という感じだった。

これは当然の反応。
私の企画案がもし最高だったら補欠候補みたいなことになっていなかっただろうし、
もし最低だったら補欠候補みたいなことにもなっていなかっただろう。

面談は最後に「では、この面談の内容も踏まえて、引き続き選考していきます」みたいなことを言われて終わった。
面談後、私はその担当者に

今日は〔…〕ありがとうございました。
〔…〕
企画案に改善の余地はあるでしょうから、今後ともご助言くだされば幸いです。

とメールしたが、何の返事も来ないまま今に至っている。
私はこの時も、まぁこの業界にはそういう人もいるだろうし、補欠候補みたいなことになった企画案は私の以外にもいくつかあるようだし、気にしても仕方ないか、と思うことにした。

だがよくよく考えてみると、この某所は呉座との関係が非常に強いところだった

真偽などについては判断を留保するが、前述のように2019年4月、呉座と生駒(日本史史料研究会の公式垢)が評論家の山崎氏に悪質な脅迫DMを送り付けたらしいという疑惑もあった。

なお、第2、第3のTWではLINEか何かを使ってDMを再現したらしいスクショが貼られているが、当初のTW(削除済み)のスクショでは「●●●●」などの箇所が伏せ字になっていなかったと記憶している。
この「(大手出版社)」は研究者でなくとも、というか読書が好きな人でなくとも知っているほどの、文字通りの某大手出版社だったと記憶している。

呉座が鍵TW以外で、私についての不当な悪評を(どこまで)拡散していたかは分からない。
もしこれが呉座でなければ、私のただの被害妄想として片付けるべきかも知れない。
だがすでに紹介したように、公開された過去TWを見ると、呉座は私の推測を遥かに超えて私を嫌悪(というか逆恨み)していた。
あれほど私を嫌悪しておりあれほど影響力のあった呉座が、TW以外では私についての不当な悪評を全く拡散していなかった、とは極めて考え難い
私についての不当な悪評は、呉座によって私の推測以上に拡散されていたと考えるべきだろう。

そうであれば、呉座の裏の顔が明らかになった後も、私についての不当な悪評は解消されず残存してしまうかも知れない。
過去に呉座がある人に「森新之介という研究者はゴミクズ」と言い、そのある人がまた別の人に「信頼できる研究者から聞いた話だけど、森新之介という研究者はゴミクズらしい」と伝えていた、ということも十分に有り得る。
これが、この記事を実名で公開した理由、そして実名とともに拡散されることを希望する理由である

私のことを嫌う人がいるのは分かる。
私について何も知らなかったけどこの記事を読んで嫌いになった、という人もいるだろう。
だが、呉座(界隈)からの不当な悪評で誰かに嫌われたくはない

呉座界隈への無理解

実名でこの記事と続篇を書くことにしたもう1つの理由は、このままでは今回の問題があくまで「呉座問題」として片付けられてしまい、「呉座界隈問題」として認知されなさそうだと感じ取ったからである。

この問題では呉座の存在が非常に重要であるが、それがすべてでない。
呉座界隈には、呉座の意を汲んでファンネル攻撃する悪質な研究者の(ほぼ)実名垢がいくつもあったが、そのようなネットリンチを快く思っていないだろう研究者たちも呉座界隈には存在した。

この「呉座の意を汲んで」を当初は「呉座の意を体して」と表記していたが、修正した(前述)。

それでも呉座界隈が存続してきた理由は何か、またそもそも呉座界隈は何故、どのようにして形成されたのか
これらの問題は、私や5年前に自殺した西村玲氏とも無関係だとは思われない(誤解されないように念のため言っておくと、呉座界隈が西村氏を自殺に追い込んだとかいうことでない)。

続篇は、何とかして4月前半に公開したいと考えている。

(「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その2)」に続く)

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最後まで読んでくださりありがとうございました。