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アメリカ大学院留学生活 その3 アメリカ学生のパーティーと1セメスターの恋

アメリカ大学院留学生活 その3

その2からだいぶ時間があいてしまいました。こんな昔の話、誰か面白がる人いるのかな・・・と思いながら徒然なるままに綴っておりますが、意外とスキしていただけて嬉しい限りです。調子に乗って「その3」も記憶をたどって綴ってみたいと思います。

前回、どれだけ私が英語ができなくて毎夜枕を濡らし、ライティングセンターに通い詰めだった日々を書きました。今回は、その後、どのように英語ができるようになっていったのか、について書いてみたいと思います。

アメリカ人はパーティが好き!  

前回の話から、私は必死で脇目も振らず勉強していた・・・と思われるでしょうが、好奇心から「パーティ」なるものに、幾度かは参加しておりました。アメリカの学生の「パーティ」ってどんなものでしょうか。以下に解説して参りましょう。


日本の大学生がよく「合コン」ってやっていますよね。(はい、私も日本の大学生時代は毎週のように行っておりましたっw)今もやっているのかな。大抵の場合は、居酒屋やカジュアル系のレストランで男女同数が一つのテーブルに向かい合って「はじめまして、〇〇大学の△△です。よろしくおねがいします❤」みたいな感じで、男性側と女性側の幹事同士がお知り合い、あとは初対面の男女数名ががあわよくば・・・という淡い期待を膨らませながらぎこちない会話をする、アレです。

対するアメリカの「パーティ」はまったくそんな感じではありません。たいてい、誰かの借りているアパートで行われることが多いです。一つの家を数人でシェアしているいわゆるシェアハウスが一般的なので、その家を開放して大抵はパーティが行われます。そして、日本のように人数の取り決めや、かしこまった自己紹介はありませんw。授業の後など、「今日俺んちで8時からパーティやるから来れるやつ来て〜」みたいな感じで声をかける男子がいます。ビラみたいなのを配っているときもありましたね。それには住所とか時間とか書いてあったりします。で、「マリ、君も来るでしょ?」とか言われると、(うーんどうしようかなぁ・・・課題があるんだけどなぁ・・・ま、これもお付き合いの一つ、大事大事、なんて考えながら)「行こっかな」と返事して、そして差し入れのビール(6瓶入りの紙ケースに入っているやつ)をスーパーで買って持参します。そして、その家の近くには車がズラッと並んでおり、大音量の音楽が鳴っているので、住所を調べなくても、あ、この家ねとわかりますw。そしてピンポーンってチャイムを鳴らすと、主催者かその友達が顔を出し、”Hey、よく来たね!入って入って!” みたいなノリで招き入れてくれます。

大抵の場合は、お家の中はざっと10数人から20人くらいかな、結構な人数がいます。皆好き勝手にビール瓶を片手に誰か彼かと話をしていて、音楽が常にズンズン流れております。周りがうるさいので、必然的に耳に口を寄せて大声で話します。私のように英語に不慣れな人間には非常に聞き取りにくい状況です。食べ物はあんまりありません。ポテトチップスとか、ポップコーンとか、ピザ・・・日本のような気の利いたおつまみはあんまりないです。知り合いに会うと、“Hey Doug! What’s up!”(ダグ、元気?) とか ”Has going?”(調子はどう?)みたいな会話が繰り広げられます。知り合いでなくても、かる~く自己紹介しあって、友達の友達は、みな友達だ、が実践されまくります。椅子やソファに座る人は稀で、みんな大抵、立って話をしています。立ったままビールを飲み、話をし、疲れないのかな・・・という感じです。私はただでさえ、英語が不得手で、シャイでもありますから、自分からは絶対知らない人に話しかけられません。話しかけられても、”Not much”くらいの返ししかできず、気の利いた会話ができないため、悲しいかな、新しい友達なんてほぼできません。ビール1本飲んで、ポテチつまんで、クラスの友達と少し話して早々に帰る・・・というのがいつものパターンでした。

それ以外にも、Potluck Partyと言って食べ物を何でもいいから一品持ち寄って集まったり、ハロウィーンパーティは皆本当に趣向を凝らした格好で集まります。今でこそ、日本でもハロウィーンパーティが完全に市民権を得ましたが、私は初めてのハロウィーンパーティだったので、悩んだ挙げ句、パンダの格好で参加したら、クラスメイトに「全然怖くないよ」と笑われました。そこでも集まって何するかっていうと、ただビール飲んで立ったままお話して終わりです。アメリカのパーティって皆こんな感じなんですね。

そんな中、とあるパーティで、コーネル大学のビジネススクールに通っている中国系アメリカ人の男子学生と知り合いました。私の通っていたIthaca CollegeとCornell大学は大学院同士にExchange programがあって、1セメスターに1教科、お互いの授業を取ることができました。なので、私もCornellビジネススクールの「ブランドマネジメント論」という授業を取っていたのでした。そこで知り合いになった人に誘われたのだか、誰に誘われたパーティだったのか記憶が定かではありません。その中国系アメリカ人の男子は、なぜか私に興味を持ち、電話番号を教えてくれとしつこく聞いてきます。今なら、さしずめLine教えて〜とかWhat's UPやってる?なんでしょうが、携帯電話もない時代でした。好みではなかったのですが、悪い人でもなさそうだと思い、覚えられるわけないと思って、口頭で早口で言いました。彼はメモも取らなかったので、酔っ払ってるし明日には忘れるだろうと思っていましたw。

翌日、彼から電話が!!

忘れているだろうと思っていたところ、アパートの固定電話が鳴りました。パーティであった彼です。どうしましょう、デートのお誘いです!貧乏で、勉強ばっかりしている色気のない大学院生活に変化が訪れようとしていました!

彼はプレゼント魔で色々と変なものをプレゼントしてくれました。一つは、掛け布団。もう一つは、懐中電灯のついたアメリカの警察官が持つ警棒みたいな重いやつw。布団は、君が寒い思いしないように、警棒は、誰か悪い人が家に押し入ってきたときに抵抗できるように・・・さすが発想が豊かです。そして、たまに美味しいご飯に連れて行ってくれました。私は1週間に使える食費が20ドルくらいだったのでw、彼が連れて行ってくれるレストランは天国のように思えました。でも、今考えると大したお店ではなかったようです。就職関係の書類を提出に、車に載せられて4時間かかるマンハッタンに付き添って行ったこともあります。その間私は何をしていたんだか・・・記憶もないですねw。友達カップルとどこか湖畔でBBQしたこともあります。その頃には、たどたどしいながらも普通に会話が成立するようになっていました。やはり英語上達には現地の彼氏彼女を作るのが近道というのは正しいようです。

サブプライム危機、1セメスターでの別れ

彼はCornellのMBAを取る予定だったので、大手金融会社から複数内定をもらっていました。その頃はバブリーで、年収は初任給なのに高額で、内定書へのサイニング・ボーナスが何千ドルももらえるようなことも言ってました。彼の将来はバラ色に輝いているようで、いつも「結婚したら君を幸せにしてあげる、君は家事も何もしなくていいんだよ」みたいなことを言ってくれていました。私はというと、誰かに養ってもらうつもりはそうそうなかったし、「付き合い浅いのに本気かいな?」と半信半疑で聞いておりました。英語がうまくないと、あまり突っ込んだ会話はできないのですw。逆にうるさく言わない分、彼にとっては都合が良い彼女だったのかもしれません。そんなバラ色の未来に影を指す出来事が起こりました。そう、1997年頃のアメリカ住宅経済バブル崩壊、サブプライム危機です。若い方には耳馴染みがないかもしれませんねw。

内定をたくさんもらえて将来安泰だった彼が、その頃を境に急に忙しく冷たくなりました。いつ連絡しても忙しい忙しい、君と遊んでいる暇はないんだ、云々。彼とは少し時間と距離を取ることにしました。そしてそのままジ・エンド。1セメスターだけの短い恋は、あっけなくアメリカのバブル崩壊と共に崩れ落ち、少しだけほろ苦い思い出を残して去っていきました。そこまでゾッコンじゃなかったとは言え、それでもちょっぴり悲しかったのは覚えています。

長くなりましたので続きはまた後日書きたいと思います。






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