野性を取り戻せ!恐怖に向き合え!高尾山単独行
最近私は、野性について考えている。
私は、野性を取り戻すために、通信機器を家に置いて出かけることを始めた。
(前回)
身軽になろう。
今回の行き先は高尾山だ。
関東近郊では、日帰りで気軽に登れる山として親しまれている。
前回の教訓で、本を持っていたところで読まないということがわかっていたので、今回はとにかく荷物を少なくすることにした。
カメラもコンパクトカメラにして、あとは財布と手帳と筆記用具、衛生用品と水を持った。
とても身軽な格好で家を出た。
私は、これまでに高尾山に登ったことがない。
前回同様、ろくすっぽ道順を調べずに出かけてきた。
もより駅で路線図を見ると、JR高尾駅という駅が中央線にある。
高尾山が、この駅の近くになければモグリだろう。
まずは中央線に乗り換えられる駅を目指して、電車に乗った。
神田駅で乗り換えるつもりだったが、電車は神田駅に止まらなかった。
通信機器を持たずに進むと、こうであろうと向かった先が間違っている、ということがよく起こる。
今回は、すぐ隣の東京駅でも乗り換えられるので、大した問題ではなかったが、これが駅と駅の間がずっと離れていて、1日に数本しか電車が無いような場所だったら大変だった。
普段、いかに油断して生きているのかがよくわかる。
意識しなければ問題ではないが、知ろうと思えばわからない。
東京駅で中央線のホームに登ると、ちょうど高尾行きの快速電車が停車していた。
さらに、後発の高尾行き中央特快が侵入してきた。
先発の快速電車と、後発の中央特快、どちらが先に目的地に着くのかわからない。
普段ならスマホでぱぱっと調べられることがわからず、数分のうちにどちらに乗るのか決めなければならない。
今は急いでいないので、別にどちらでも問題ないが、これが選択を間違えれば家に帰れないような場面だったら大変なことだ。
インターネットに接続していないなら、事前によく調べて行動しなければならない。
そもそも「中央特快」とはなんだ。
中央線を走る電車に、わざわざ「中央」とつける意味があるのか。
「特快」というのもよくわからない。
「特別快速」なのか「特急快速」なのか、どちらなのだ。
「特急」というのは「特別急行」の略であろうから、「特快」というのは「特別快速」か「特別急行快速」のどちらかなのであろう。
「特別」というのは、他とは違うということであろうが、私はどう違うかが知りたいのだ。
「中央」などという情報はいいから、もっと咄嗟の判断に役立つ情報を表示してほしい。
などと考えながら、私は結局「中央特快」のほうに乗った。
高尾駅までは57分とある。
本を持ってきてもよかったのではないか。
アテンションエコノミーのばかやろう。
ぼうっと座っていると、私はいつのまにか、電車内のデジタルサイネージに目を奪われていた。
会計ソフトの広告が、インボイス制度に対応しなければいけないと訴えかけている。
個人事業主としては、どのような対応をしなければならないのだろうか。
最近、国税局がパブリックコメントを募集していた、300万円以下の事業所得は雑所得とする、という税法の改正案も気がかりだ。
私のような零細副業家にとって、300万円以下の所得は損益通算できない、というのは由々しき事態だ。
私は、いつのまにかデジタルサイネージに意識を奪われていた。
デジタルデトックスをするために、通信機器を持たずに出かけているのに、電車さえもネットワークに繋がっていて、私の注意を奪っていく。
現代の経済活動は、私たちに直接金銭を要求しない。
私たちの注意を奪い、時間を奪い、もっとうしなってしまうのではないか、という焦燥感をいだかせて課金させる。
私たちの意思決定は、誰かの経済活動の介在なしに、本当に自分自身の自由意志によってなされているものと言えるのだろうか。
1時間弱の乗車時間のうちに、いくつの決定を、自分自身の意思によって行うことができるのだろうか。
私はこれまで、移動の利便性と引き換えに電車の運賃を支払っているのだとばかり思っていたが、電車内の広告やスマホを通じて、注意力と時間を支払い続けていたのではないだろうか。
自分の感覚器で世界とつながろう。
三鷹あたりから電車が混み合ってきた。
普段ならスマホに視線を落としているが、今日は何も持っていないので、混み合う電車の中で、どこを向いていたらいいのかわからない。
私は目を閉じてみた。
電車内は、常に何かの音が鳴っていた。
コロナ以後は、換気のために窓が開けられているので、車外の音も入ってきて、電車内の騒音レベルはかなり高くなっていると思われた。
みんな平気な顔をして電車に乗っているが、実は相当なストレスであろうし、聴覚過敏の人には耐え難い苦痛なのではないだろうか。
耳栓をするなどして、セルフケアに努めるしかないのだろうか。
幸い、中央線は屋外を走っているので、電車外からの騒音はそれほどでもなかった。
目を閉じて、耳をすましてみると、いろいろな音が聞こえてくる。
私は、電車の進行方向に対して左側のベンチシートに座っていたので、いわゆる「ガタンゴトン」という音が、左側から聞こえて右側へ流れていく。
「ガタン」の音は、左側の遠くからやってきて、一瞬で右側に通り抜けていき、「ゴトン」のほうは、右側の少し遠くから聞こえて、さらに遠くへ走り去っていく。
電車が走っている間は、窓の外からモーターの唸り声がずっと聞こえている。
車内には、空調のゴウゴウという音が、絶えず聞こえている。
耳から得られる情報だけで、自分が、地面を高速で移動する機械の塊の中に座っている様子がよくわかる。
山の前にはピザ。
そのようなことを考えているうちに、電車は終点の高尾駅に着いた。
人が登る山のふもとには、たいてい「●●山口」という駅があろうと思ってあたりを見回すと、「高尾山の最寄りは高尾山口駅です」との表示を見つけた。
改札まで行くと、京王線に乗り換えるのだということがわかった。
京王線で高尾駅から高尾山口駅までは1駅だった。
130円の切符を買って、京王線に乗り込んだ。
すぐに高尾山口駅に着く。
駅には、たくさんの人が訪れていた。
改札を出ると、温泉に直結していた。
駅には、靴や足についた泥を落とすための水道も備え付けられていて、まるで海水浴場の道路とビーチの間にシャワーがあるような、生活圏との境界性を感じた。
とりあえず腹ごしらえをしようと、駅舎の上階にあったイタリアンレストランでピザをいただいた。
一人で食べるには少し量が多かったが、十分なエネルギーを蓄えられたと思う。
山に来て山に登らず
高尾山口駅には、土産屋が並ぶ商店街があり、かなり賑わっていた。
登山用の服装の人もいたが、まるで渋谷にでも遊びに行くかのような軽装の人もいた。
さまざまな楽しみ方に対応した、裾野の広い山とは、こうゆうことをいうのであろう。
私は、登山用の装備の人々を観察する。いつか高尾山を登るときの参考にするためだ。
というのも、私はヒザを少し傷めていて、登山をするのは難しい状況だった。
3ヶ月ほど前から、1日1万歩を目標に退勤時に歩く生活をしていた。
風邪で寝込んだ時や、大雨の日以外は毎日歩き、2ヶ月ほど続けて、習慣化したと言ってもよかろうという状態になった。
体重は5kgほど、体脂肪率は5%程度落ちた。
これに気をよくして、もう少し運動量を増やそうと、3ヶ月目からは1日1万2千歩を目標とした。
調子良く運動量を上げていけると思っていたが、1週間ほど前から、膝と足首に違和感を感じるようになり、ついには痛みを覚えるようになった。
疲労が蓄積していたのだろう。
過度な負担をかけないように、普段のウォーキング以外には、負荷の高い運動はやめているところだった。
では、なぜ私は高尾山に来たのか。
恐怖と向き合え。
高尾山には、登山を助けるリフトがある。スキー場のリフトのような、2人乗りのやつだ。
私は、それに挑戦しようと思って、高尾山に来た。
私は、高所恐怖症だ。
いわゆる恐怖症の背景には、不適応的な学習があると言う。
不適応とは、この場合、本来の生存の安全を確保するための恐怖の範囲を逸脱して、不必要な恐怖にさいなまれている状態と言えるらしい。
この不適応を、学習によって更に強化してしまっている状態。
それが、恐怖症なのだという。
おそらく私は、小さい頃に高いところで怖い思いをしたことがあるのだろう。
それで、高いところを避けるようになり、高いところを避けた方がうまく行くという学習を繰り返して、どんどんと高いところへの恐怖が増してしまって、しまいに高いところに近づけなくなったのだろう。
私は、高いところで足がすくむ自分があまり好きではない。
恐怖から逃げていては、いつまでも恐怖を克服することはできない。
恐怖から逃げている自分を好きになることは難しい。
高いところで怖い思いをし、それでも死ぬわけではない、自分の命が脅かされるわけではない、と確信する経験を通じて、恐怖心を克服したいのだ。
私は、高いところに向き合わなければならない。
逃げ出したい。
リフト乗り場に到着する。
切符売り場の前で、色々な掲示などを見ながら、私はもたもたしている。
逃げ出したいのだ。
リフトの運賃は、片道490円、往復で950円、とある。
往復で買った方がお得だ。
しかし私は片道切符を買う。
くだりのリフトに怖くて乗れないかもしれないからだ。
恐怖は、合理的判断を妨げる。
これがまずいのだ。
今は平和な日本の生活も、いつ大変なことになるかもわからない。
人間は、恐怖で判断を誤ることがある、ということを自覚しなければならない。
私は、リフト乗り場までの階段を登る。
ちょっとした勾配ではあったが、それにしてもやたらに息が上がっていた。
怖いのだ。
乗り場に着くと、前の乗客が、次々リフトに乗り込んで、山の上を目指して運ばれていく。
私の番が来る。
2人乗りのリフトはとても弱々しく感じる。
リフトに腰掛けて、足を宙に浮かせると、ぐわんとリフトを吊っているワイヤーがたわんで、体が空中に沈み込むような、妙な感覚を覚える。
ついにリフトに乗ってしまった。
逃げられない。
リフトに乗って初めて気づいたが、足下は斜面が盛り土されてスロープ上になっており、リフトから地面までの高さが1.5メートルから2メートルぐらいに保たれている。
これぐらいなら、流石に怖くはない。
多くの人が訪れる山なので、事故の無いように整備がされているのだろう。
本来の目的から外れてしまうが、私は安心してリフトに乗っていられると思った。
しばらく進むと、足下のスロープがなくなって、山の斜面そのままになり、リフトは地面から遠く離れてしまった。
足下には、じょうぶそうな金属製のネットが張られていて、吊り橋のように板が引いてあって、万が一にも大きな事故が起きないように工夫してある。
しかし、そんな気休めは、私には通じない。
地上から数メートルの高さに放り出された私は、途端に全身から冷や汗が吹き出して、背中を滝のように流れ、ヒザから下が、冷え切って棒のようになってしまった。
私は、リフトの手すりを力いっぱい握りしめて、こわばった表情で固まってしまった。
恐怖に向き合わなければ、恐怖を克服できない。
足下や周囲を見渡そうとしてみたが、体が動かない。
今すぐこの恐怖から逃げ出したい。
だが、逃げ出すすべはない。
なぜリフトになんか乗ったのだ。
私は過去の私を恨んだ。
少し先に、また地面がスロープになるのが見えてきた。
よかった、もうこの恐ろしい区間は終わりのようだ。
最後の数秒間、意を決して手すりから手を離し、リフトに身を委ねてみた。
私の手は震えていた。
リフトに身を委ねると、少しリフトが揺れただけで、奈落の外に落下してしまうような感覚を覚える。
リフトが吊られているワイヤーがほんの少したわんでリフトが上下するだけで、空中に思い切り放り出されるような恐怖が襲ってくる。
恐怖は、想像力を豊かにする。
イメージが頭の中に湧いてきて、恐怖が過ぎ去ったあとにも、それを鮮明に思い出し、夢に見て、何度も恐怖を体験する。
そのうちに、高いところを思い浮かべるだけで恐ろしい思いをするようになる。
まったく不適応だ。
やがて、地面がスロープになり、私は安堵して深く息を吐いた。
このまま安心して山上駅まで乗っていられるのだと思っていたが、実はまだリフトは半分も進んでいなかった。
またスロープの無い区間がやってきた。
しかも、今度は勾配がもっと急になり、地面はずっと低く感じる。
またあの恐怖に襲われるなんて、正気でいられるかわからない。
そうだ、カメラを覗いていたら少しはマシかもしれない。
従軍カメラマンが、ファインダーを覗いていたら、恐怖を忘れて兵士のように前線まで進んでいける、というのと同じだ。
そう思ってカメラを構えてみたが、景色は変わり映えせず、特に撮りたいものもない。
恐怖のあまり、カメラの操作もままならない。
こんなことは意味がない。恐怖に向き合わなければ。
震える手でカメラをバッグにしまい、手すりから手を離して再びリフトに身を委ねてみる。
先ほどよりも激しくリフトが揺れている気がする。
リフトがガタガタと揺れると、私はマスクの下で「あああ」と情けない声を出してしまう。
リフトの行き来する脇に陣取って待機している記念撮影のお兄さんが声をかけてくれる。
「よかったらお写真どうですかー?撮るだけでも。こっちみてくださーい。」
私は、カメラを見ているやら見ていないやら、うつろな表情で固まっていた。
カメラに向かってポーズすることも、笑顔を作ることもできなかった。
お兄さんも撮って欲しいのか撮らないで欲しいのかわからないが、とりあえず撮っておこうという感じで、シャッターを切ってくれた。
それからどのぐらい登ったのかよく覚えていないが、そのうちに山上駅が見えてきた。
恐怖に苛まれる12分というのは、とてつもなく長い時間だ。
くだりの乗客が、山上駅から出た途端に「あ、登りよりこわい!」と言ったのを聞き逃さなかった。
くだりの方が怖いのは容易に想像が着く。
私はリフトを降りて、ふらふら歩きでなんとか山上駅の改札を出た。
山界の渋谷。
山上駅の出口のすぐそばで、先ほどお兄さんが撮ってくれた写真が、早速プリントされて売られている。
そこには、全身をこわばらせた無表情の私の写真が並んでいた。
私はそれを面白がる余裕もなく、ふらふらと近くのベンチに腰掛けた。
まだ冷や汗が出ている。
座っていただけなのに、ひどく疲れている。
日差しが暑かったが、じっとしているとどんどん体が冷えていってしまう気がした。
少し休んで、気分転換に山頂方向に歩いてみることにした。
すぐに登山道に合流した。
道は舗装されて歩きやすく、たくさんの人が行き来していた。
屋上ビアガーデンなどもあり、登山道というより観光地だ。
人通りはふもとの駅よりもずっと多く、さながら都会のようであった。
高尾山はきっと山界の渋谷なのだろう。
私は弱虫。
少し歩くと茶屋があり、人々が景色と一緒に写真を撮ったり、そばを食べたりしてくつろいでいた。
坂道を登って、体も少し暖まった気がする。
私は、山の上には特に用事がない。
すぐにくだりのリフトに乗ればよい。
でも、もう少し周囲を見てみよう。
舗装された登山道の脇に、土が剥き出しの細い山道があるのを見つけた。
その先には蛇滝という滝があると言う。
滝は旅の目的ではない。
ヒザが痛くて登山は諦めたのだから、山道を歩く理由もない。
しかし、私は、気づくと蛇滝へと向かう山道に入っていた。
くだりのリフトに乗りたくないのだ。
蛇滝へと向かう山道は、先ほどまでの人通りの多い登山道と違い、人がすれ違うのがやっとの細道で、それなりに歩きやすくはなっているが、山歩きというていであった。
はじめに2組ほどすれ違ったのみで、人気は全然無かった。
山道をずっと降っていくと、甲州街道に出て、そこからバスに乗って高尾駅へと帰れそうだ。
この道で山を下るのもいい。
私は、そうやってまた、くだりのリフトから逃げることを考えていた。
山道の入り口の地図では、少し下れば滝があるようだったが、いっこうに滝らしきものは見えてこない。
水の音も聞こえない。
本来の目的と違うところで、いたずらに体力を消耗してどうするのだろう。
そのうち、だんだんと足元が悪くなってくる。
山道の脇の勾配も剥き出しになってきて、滑落したら大怪我をしそうだ。
坂道をずっと下ってきたので、元の場所に戻るには体力を使うだろう。
滝は一向に見えてこない。
私は滝が見たかったのか?
いや、滝など見たくない。
ただ、くだりのリフトが怖いだけだ。
私の足は、どんどん山道を下っていく。
山道の脇の勾配が、やたらと目につくようになってきた。
さっきから誰ともすれ違わない。
ここで滑落したら、きっと助からないだろう。
私は恐ろしくなってきて、そしてだんだんものが考えられなくなっていた。
私はどこに向かっているのだ。
滝は一向に見えてこない。
もう少し下れば、滝が見えてくるかもしれない。
もう少し下れば、滝の音が聞こえてくるかもしれない。
私は滝など見たく無いのだ。
私はくだりのリフトから逃げているだけだ。
私は立ち止まった。
引き返そう…。
きびすを返して振り返ると、地面に落ちたガラスの破片がきらりと光るのが目に入った。
私は、そのガラスの破片がとても大きくなって、私の体を引き裂くような気がして怖くなった。
私は、こんな小さなガラスの破片が怖いのか。
私は、今きた山道を登った。
下ってきた時よりも早いペースで、ほとんど駆け上がっているような感じで、どんどん登っていった。
こんな怖いところからは一刻も早く立ち去りたい。
私は弱虫だ。
逃げ出したい!ふたたび。
元来た登山道に戻り、ベンチに座ってしばし休憩した。
蛇滝とは何だったのだろうか。
恐怖のあまり冷静な判断ができず、無闇に体力を使ってしまった。
気を取り直して、元来た道を戻ってリフトの山上駅へ向かう。
リフトについての案内看板に、「高所恐怖症の人は乗らないほうがいい」と表示してあるのを見つける。
私もそう思う。
道の途中に、「高尾山口駅まで40分」の立て看板を見つけた。
徒歩で40分なんて、毎日歩いている距離だ。楽勝だ。
緑の中を歩くのは気持ちが良いだろう。
いい運動になって、よく眠れるだろう。
くだりのリフトになんか乗らずに歩いていきたい。
だが逃げてはいけない。
私は、恐怖に向き合うのだ。
山上駅が見えてくる。
トイレに行かなくちゃ。
用を足したら、山上駅の前のベンチに腰掛ける。
少し歩き疲れたし、無理をしてはいけないので。
逃げ出したい。
なぜあんなこわい思いをしたリフトにふたたび乗るのだ?
私はバカなのでは?
考えていても、このまま動けなくなるだけだ。
立ち上がって券売機に向かおう。
バッグから財布を取り出す。
「何か落ちましたよ!」
後ろから男性に話しかけられた。
財布を取り出したときにバッグからカメラのバッテリーが飛び出して、地面に落ちたのだ。
「あ、ありがとうございます」
私は男性にバッテリーを拾わせる前に駆け寄って拾おうと思った。
ところが足が動かない。
ぼさっと突っ立って、男性が不審そうな顔でバッテリーを拾い上げ、私の手に運んでくれるのを待っている形になってしまった。
気が動転している。
切符を買う。
係の人が切符を切ってくれる。
「合図をしたらベルトコンベアに乗ってください」
「はい、ベルトコンベアに乗ってください」
「乗ってください!」
「乗ったら立ち止まってください」
「歩かないでください!」
「リフトか来るから立ち止まって待ってください」
「はい、リフトが来ますよ、座って」
恐怖!ふたたび
リフトが私を空中に放り出した。
こわい!
登りの何倍も恐ろしい、私はすぐに後悔した。なぜリフトに乗ったんだ。
今飛び降りれば、地面までは2mほどしかない。
多少怪我をするかもしれないが、こんな恐ろしい思いをするよりマシだ。
今すぐ飛び降りたい。
こんな恐ろしいところに、あと十数分もいるなんて考えられない。
私はかたく目を閉じた。
目を開けていられない。
しかし目を閉じてもこわい!
リフトがほんの少し上下するだけで、今しがみついているリフトが消え去ってしまって、空中に放り出されてしまうイメージが頭の中を支配する。
薄目を開ける。
前が見れない。
眼前はずっと低いところまで勾配が続き、リフトから滑り落ちて飲み込まれてしまいそうだ。
リフトの脇の木々を見てみる。
視界の隅の方に奈落の底が見え隠れして、死が私の冷え切った足にまとわりついて引き摺り込もうとしている。
上を見てみる。
空とリフトを吊るワイヤーとそれを駆動する巨大なローラーが動いている。
死が私の腰の辺りまで這い上がってきて、私をリフトから揺り落とそうとしている。
全身が冷え切って、ダラダラと冷や汗が全身を伝っている。
死が、すぐそばにいる。
恐怖は、死を避けるための機能だ。
私はいつも、ビルのガラスの向こうから、岸壁の向こう側から、吊り橋の下から、死が私を引き摺り込もうと、手をこまねいているのを感じていた。
私は、高いところに強い死の恐怖を感じている。
私はここで死ぬのだろうか。
いや、死ぬことは無いだろう。
仮に本当にリフトから投げ出されたとして、足下には丈夫な金属製のネットが張られていて、地面に叩きつけられることはない。
せいぜい腰を抜かすぐらいで済むだろう。
私は恐怖に向き合うためにリフトに乗ったのだ。
逃げてはいけない。
助けを得たり。
私は、なんとかもう一度目を開けてみた。
すると向かい側のリフトの方向から、「こんにちわ!」と元気に声をかけられた。
見ると、小学生ぐらいの男の子2人がリフトに乗って、嬉しそうにこちらを見ている。
私は思わず「こんにちわ!」と返して、横を通り過ぎていく男の子らを見送った。
男の子たちは、一瞬で視界から消えてしまった。
私は、前を向き直した。
あの子たちは、向かいの乗客の顔を見る余裕ががあるのだ!
私は、どうしてこんなに力を入れて、全身をこわばらせているのだろう。
少し力を抜いてみよう。
周りの様子を見てみよう。
向こうからやってくる、登りの乗客たちは、それぞれいろいろな表情をしている。
楽しそうな親子連れ。中の良さそうな若いカップル。おっかなびっくりのおじいさんと、それを笑っているおばあさん。皆それぞれに、自分の人生を楽しんでいる。
高いところはこわい。
私の足はまだ震えているし、背中には冷や汗が伝っている。
だけど、今は少し力が抜けている。
またこわくなったら、あの子らの笑顔を思い出せばよい。
高所恐怖症の克服には至らなかったが、私は恐怖に向き合い、助けを得た。
素晴らしいことだ。
帰りの電車ではよく眠った。
今度は山を登りにこよう。
おわり
Reference
参考資料等です。
恐怖症を最も効果的に治す方法が意外すぎる【ゆる学習学ラジオ】
「不適応的な学習」について、ざっくり知りたい人向け。
恐怖と向き合え
この日の体験を元に描いたマンガです。
Photo
その他の写真です。
Taken by FUJIFILM X70
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2022年9月8日
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