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泥のように眠る・・・

 松賢堂講義の資料作成で毎晩遅くまで踏ん張り、当日は、3時間の講演会の後、懇親会をば・・・

  • 戦国の三英傑の政策比較のお話

  • 西欧と日本の戦争の終わり方(元和偃武とウエストファリア)の比較

  • 戦国期から江戸期への価値観大転換のお話

等々で、話が盛り上がってしまい、大雨でお店が満員御礼にならなかったことも手伝って、17時から23時まで、実に6時間の長丁場になってしまいました。

当然、バスとかはありませんので、駅から徒歩で帰宅(午前様)した私は、眠りにつきました。
でも、アルコールが入っていると、眠りが浅くなるんですよね。
また、体内に熱も籠るし・・・

ということで、睡眠不足の日曜日を迎え、しばらくボウとしつつ、
「まあ」の記事をUP。

そのあとは、家の用事で買い物等を済ませたり、風呂に入ったりで、ゆっくり過ごした後、爆睡しました。

おかげさまで、今朝はスッキリと目覚めました。

まさしく

泥のように眠る

状態だったようです。

そう思った際に、「泥のように」の【泥】って、沼とか川とかに沈んでいる泥のことなのかな? と、ふと疑問に思いました。

よもや、千と千尋の神隠しに出てくる神様(千に大量の薬湯をかけてもらい全快した川の神様)が関係しているとか?
などと、苦笑いしつつ、ググッてみました。

すると・・・

泥という生物?


中国の怪物? 想像上の生物? の名前が【泥(デイ)】というのだそうです。
この謎の生き物は、海の中だと普通に動き回ることが出来るのですが、一歩、地上に出てくるとグデ~~~っとなってしまい、動かなくなるそうです。

猫のグデ~は、可愛いんですけどね・・・

ひょっとしたら、かなり大きな海洋生物で、水中だと浮力で動けるけれど、地上だと自重でペシャンコになってしまうのかもしれませんね。

そう考えると、何らかの深海生物が、海に打ち上げられ、そのまま死んでしまったのを見た古代中国人が、【泥(デイ)】という怪物の伝承をつくったのかもしれません。

現代でも、深海生物は謎に包まれていますし、面白いですね。

なお、海の生物。特に哺乳類は、巨大化しやすい傾向にあります。
理由はシンプルで、体重があるほど、体温を奪われにくくなるからです。
人間でもそうですが、太っている人ほど、冷房を強くしたがりますし、冬に薄着で闊歩しているのも太っている人が多いです。
外気に触れて、熱を持っていかれても、体内の熱までは奪われにくいからなんですね。
だから、シャチやクジラ、ジュゴン等々は大型化しています。
イルカはそれほど大きくないですが、100Kg以上あるイルカは結構多いです。

さて、話を戻して、【泥】について。

泥炭、泥濘、泥酔、泥棒、拘泥、どろろ(って、それは漫画W)

あまり綺麗なイメージがない感じですよね。
で、泥の漢字がどのように成り立ったのか? についても、調べてみました。

サンズイは、「水」に関する感じですから、あとは、「尼」ですね。
どうやら、「尼」は、「人が死んだ姿」だそうです。
となると、水死体? キャア~~~~!?
(って、大のオッサンが、何をしとるんやw)
まあ、いずれにしても、良いイメージがない漢字のようです。

でもまあ、私は、泥という漢字に、哀愁のようなものを感じています。

【泥中の蓮】

という言葉が好きだからです。

濁った環境の中にあっても清浄を保つという意味ですが、
ウチの会社は、下請け町工場です。

世間の立派な会社さんたちと比べれば、
まさしく泥濘の中をのたうち回る泥魚のようなものです。

しっかりとした学問も受けられず、親が博打で身を持ち崩したとか、色々な問題を抱えつつ働いている子たちの受け皿のような会社です。
だからこそ、私は、彼らと共に何とか歩んでいきたいと、奮闘しているのかもしれません。

ここで、大作家と尊敬しているお一人の吉川英治先生の著作
「三国志(四)」より。
敗戦で落ち込む劉備を関羽が慰めるシーンから・・・

そこらの汀(なぎさ)に、泥にくるまれた蓑虫のようなものが無数に見えましょう。
虫でも藻草でもありません。泥魚(でい)という魚です。
この魚は天然によく処世を心得ていて、旱天(ひでり)がつづき、河水がひあがると、あのように頭から尾まで、すべて身を泥にくるんで、幾日でも転がったままでいる。
餌をあさる鳥にもついばまれず、水の干た河床でもがき廻ることもありません。
そして、自然に身の近くに、やがてしんしんと、水が誘いにくれば、たちまち泥の皮をはいで、ちろちろと泳ぎだすのです。
ひとたび泳ぎ出すときは、彼らの世界には俄然満々たる大江あり、雨水ありで、自由自在を極め、もはや窮することを知りません。
実におもしろい魚ではありませんか。

泥魚と人生。

人間にも幾たびか泥魚の隠忍にならうべき時期があると思うのでございまする。

吉川英治著「三国志(4)」より

ウチの会社は零細町工場。
下請けも下請け。
社会の中でも下層の部類に入るでしょう。

それでも、【ものをつくる】ということは、人々の暮らしに役に立つものをつくっている。
たとえ、些末な部品一個でしかないとしても。

汚泥にまみれ、喘ぎ苦しむことが多くても、世のため人のために【ものづくり】をしている。

その志は、【清浄】のままを保ちたい。

その願いを【泥中の蓮】に求め、我が社の経営理念には、

【欣求浄土】・・・【ものづくりで世の人々の役に立つという清浄な志をもち、いつしか大輪の花・極楽浄土を築き上げる】

という意味を篭めて、皆に説いています。

残念ながら、現実の厳しさの前に、なかなか浸透しない理念ではあるのですが・・・

そんなこんなもあり、【泥】という漢字に、不思議な愛着を持っているということを、改めて再認識した朝なのでした。

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