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高千穂峰と天の逆鉾

ずっと行きたかった霊峰・高千穂峰(たかちほのみね)。先日、念願叶って20数年ぶりに登頂し、天の逆鉾を拝むことができました。

1 霧島連山と高千穂峰
高千穂峰は、霧島連山の一角を成す、鹿児島と宮崎の県境にある山塊です。宮崎県北部に位置する高千穂峡とは異なります。

高千穂峰の場所
(Created by ISSA)

この一帯は、国立公園にも指定され、多数の群状火山と湖沼で成り立っています。
 
主峰・高千穂峰は約1万年前に噴火によってできた比較的に新しい山で、西部に活火山の御鉢(おはち)、東部に寄生火山の二ツ石を従えた山容となっています。

「霧島」の名は、この地を遠くから見ると、山々が霧(雲海)に浮かぶ島のように見えることに由来します(諸説あり)。
 
2 天孫降臨と天の逆鉾
昔々、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は、下界に新しい国を造るため、天浮橋に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)を海に下ろし「こおろ、こおろ」といって海水を掻き回すと、於能凝呂島(おのごろじま)ができあがった。
 
そして二神はその島に降り立って、目合ひ(まぐわい)によって大八島(おおやしま)を生み出した。

右:天瓊を以て滄海を探るの図
(小林永濯)

その後、天照大御神から、葦原中国(地上界)を高天原(天上界)のように素晴らしい国にするため天降るように命じられた天孫(天照大御神の孫)・瓊瓊杵尊が、三種の神器を手に、他の神々を伴って、猿田彦神(さるたひこのかみ)の道案内で「日向の高千穂のくじふる嶽」に降臨した。

「天孫降臨」狩野探道・作
神宮徴古館

これが、国生みと天孫降臨の日本神話です。

その後、葦原中国の平定に使った鉾が二度と使われることがないようにとの願いを込めて、瓊瓊杵尊が高千穂峰の山頂に突き立てたとされています。

この鉾を「天の逆鉾」と呼びますが、神々が於能凝呂島を作るときに使った「天沼矛」と同じものといわれています。

霧島東神社の御神体(社宝)である天の逆鉾
(Photo by ISSA)

何故「逆鉾」かと言いますと、通常、武器は刃の部分を使って突き刺しますが、この鉾は柄の部分が地面に突き刺してあるからです。

過去の噴火で刃の部分が折れてしまって、折れた刃は、一時期、荒武神社に祀られていたようですが、戦後の混乱で紛失してしまったようです。
 
したがって、原物の柄の部分は、今も地中に埋まっていますが、地表に出ている刃の部分は、模造品ということになります。
 
3 登山道の紹介
高千穂峰への登山ルートは4つありますが、今回は、初級コースとなっている高千穂峰登山ルートについてご紹介します。

往復約5km、登山口から山頂までの高低差は約600mなので、簡単に行けそうな気がしますが、足場の悪い急斜面が2か所あるので、初級コースといえども難易度は高いと感じました。

高千穂峰登山ルート《登山道掲示板より抜粋》
(Photo by ISSA)

(1) ビジターセンター
登山に際しては、先ず、ビジターセンターで、登山情報や霧島の自然・歴史の生い立ちを確認すると良いでしょう。

ビジターセンターの展示物
(Photo by ISSA)
ビジターセンターから登山道のある御鉢方面を望む
(Photo by ISSA)

ビジターセンター横の鳥居が出発点となります。伊勢神宮や神武天皇陵など、古(いにしえ)からの神社や御陵には、シンプルで威厳のある佇まいが特徴の神明鳥居(しんめいとりい)が多いように思います。

シンプルで威厳のある佇まいが特徴の神明鳥居
(Photo by ISSA)

煌びやかな明神鳥居(みょうじんとりい)に比べて、何か強い神力のようなものを感じさせます。

(2) 霧島神社古宮址(ふるみやあと)
歩きはじめてすぐに、霧島神宮古宮址(1235年の噴火で焼失した昔の霧島神宮の跡地)に突き当たります。そこを右手に進むと、しばらく樹林に囲まれた登山道が続きます。

(3) 最大の難所、溶岩道
樹林を抜けると、足場が赤茶けた急斜面の溶岩道に変わります。2011年の新燃岳噴火に伴い、火山礫等が堆積して滑りやすくなっているので注意が必要です。

足場の悪い溶岩道は最大の難所となっている
(Photo by ISSA)

一緒に来た友人は、溶岩道の中腹で断念💦
安全な場所まで送り届けたあと、ここからは単独で登頂を目指します。

(4) 御鉢
溶岩道を登り切ると、そこには荒々しくも雄大な景色が広がっていました。御鉢の山頂には直径約600m、深さ約200mに及ぶ大きな噴火口があり、現在も白いガスが立ち昇る活火山です。最近では、1913年にかなり激しい爆発があったそうです。

活火山である御鉢を見下ろす
(Photo by ISSA)

(5) 馬の背
そこから先は、御鉢の火口の縁に沿って、馬の背と言われる両側が急斜面になった幅約3mほどのスリリングな道が続きます。

馬の背は両側が急斜面なので、かなりスリリングだ
(Photo by ISSA)

(6) 背門丘(せたお)
馬の背を過ぎると、いよいよ高千穂峰です。高千穂峰と御鉢の間に背門丘と呼ばれる場所があります。

そこは、先述の霧島神社古宮よりも更に昔、初期の霧島神社があった場所で、瓊瓊杵尊が降臨した場所とされています(逆鉾は山頂にありますが、瓊瓊杵尊が降り立ったのは山腹ということになります)。

天孫降臨の地で、初期の霧島神宮があった背門丘
(Photo by ISSA)

最後の登山道は、再び足場の悪い急斜面が待ち構えています。火山礫が堆積し、滑りやすい道なので注意が必要です。ここを登り切れば山頂です。
 
(7) 高千穂峰山頂
山頂は、360°見渡す限りの絶景が広がっていました。北側には韓国岳(1,700m)、南側には新燃岳(1,421m)や桜島が見えます。

標高1,574mの高千穂峰の山頂から
(Photo by ISSA)

約20年ぶりに逆鉾と再会。心が震えました!

高千穂峰の山頂にある天の逆鉾
(Photo by ISSA)

4 日本人初の新婚旅行
1866年、伏見の寺田屋で幕府役人に襲撃されて深手を負った坂本龍馬は、西郷隆盛の勧めで治療と潜伏を兼ねて薩摩に入ります。
 
この時、龍馬は寺田屋の養女であったお龍(おりょう)さんを伴って霧島を訪れました。これが日本人の新婚旅行の始まりといわれています。

左:ビジターセンターの展示物         
右:つい、龍馬ゆかりのボトルを衝動買い (^^:
(Photo by ISSA)

龍馬はなんと、お龍さんと逆鉾を引き抜き、柄の部分にある天狗のような顔を見て、二人で大笑いしたそうです。
 
龍馬は、姉・乙女に宛てた手紙に、逆鉾のスケッチとともに「その形、たしかに天狗の面なり 二人大いに笑いたり」と書き綴っています。

龍馬が姉の乙女に送った手紙《ビジターセンター》
(Photo by ISSA)

なお、お龍さんは、翌1867年に龍馬が暗殺されると、各地を転々とした後に大道商人・西村松兵衛と再婚し、西村ツルとして余生を過ごし、没後は横須賀市大津の信楽寺に葬られました。

左:お龍さんのお墓《信楽寺/横須賀市》   
中:お龍さんの遺品《おりょう会館/横須賀市》
右:おりょう像《おりょう会館/横須賀市》  
(Photo by ISSA)

5 霧島神宮
登山を終えたあとは、麓にある霧島神宮に立ち寄りました。
 
初期の霧島神宮は、少なくとも6世紀頃には、瓊瓊杵尊が降臨した高千穂峰の山腹にある背門丘に存在していたようですが、788年の噴火によって社殿が焼失します。
 
940年頃、登山口に近い霧島神社古宮址に再興されましたが、1234年の御鉢の噴火で再び社殿が焼失しました。

その後、社殿を現・霧島東神社の地に移し、1484年に島津忠昌が更に現在の霧島神宮に分祀し、現在に至っています(諸説あり)。

左上:三の鳥居前の広場  
左下:さざれ石      
右:瓊瓊杵尊を祀る本殿
(Photo by ISSA)

6 瓊瓊杵尊、その後
葦原中国に降臨した瓊瓊杵尊は、大山津見神(おおやまつみのかみ)から娘をもらい、火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦)の3人の御子に恵まれました。

瓊瓊杵尊の家族団らん像《宮崎市青島》
(Photo by ISSA)

大山津見神は、磐長姫(いわながひめ)と木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)の二人の娘を送り出したのですが、瓊瓊杵尊は絶世の美女であった妹の木花佐久夜姫を妃にし、あまり美しくはなかった姉の磐長姫を親元に返してしまいました。
 
そのため、長寿の象徴であった磐長姫を娶らなかった瓊瓊杵尊に「寿命」が与えられたといわれています。
 
寿命を与えられたわけですから、当然、御陵が存在します👇

7 「霧島山」に由来する軍艦
これは参考ですが、日本神話にゆかりがあることや、そびえ立つ連峰の勇姿から「霧島」の名は大型軍艦にも使われてきました。

戦艦「霧島」

戦艦「霧島」

大日本帝国海軍の戦艦
金剛型4番艦
建造:三菱造船所(長崎)
進水:1913年
全長:222.65m
排水量:36,688トン

護衛艦「きりしま」

護衛艦「きりしま」

海上自衛隊のミサイル駆逐艦(イージス艦
こんごう型2番艦
建造:三菱造船所(長崎)
進水:1993年
全長:161m
排水量:9,485トン

おわりに
高千穂峰登山の魅力は、次のとおりです。
〇 日帰りで登山が出来る
〇 程良い達成感とスリルが味わえる
〇 荒涼とした風景と山頂からの絶景
〇 日本神話ゆかりの地
〇 坂本龍馬ゆかりの地
〇 近傍から見上げても美しい

登山中、高千穂峰山頂の手前で、流石に全身が鉛のように重くなってしまったのですが、ふと気がつけば、私は「母の苦しみが和らぎますように、その苦しみは、こうして私が背負いますから」と唱えながら、一歩一歩、荒涼とした大地を踏みしめていました・・・。
 
 苦難に満ちた日々にこそ
 訪れる価値がある場所🎗️

高千穂峰は、そんな風に思える霊峰です🍀

御池から高千穂峰を望む
(Photo by ISSA)