MacBookのステッカーというデスゲームに参加できなくて
macbookを買った。
本来ならもっと安いパソコンでも私のやりたいことを実現できたのだが、文字が美しいという理由でこれにした。
初めはiPadとキーボードにしようかとも思ったのだけれど、注文してから家に届くまで2カ月かかりますよ、と言われて「じゃあこのさい思い切ってmacを買いませう」と決意したのである。
このnoteを書くのも楽しくなった。キーボードはやや頼りないものの、文字がとにかく美しいので書いてて気持ちがいい。
私は今Androidのスマホを使っている。昔はiPhoneを使っていた。もしここに若き求道者、仮に名前をディーンとして、ディーン君が私に「iPhoneやMacBookの良さは、他の製品との違いは、ズバリ何ですか?」と問われたなら、私は間髪入れずこう答える。「機能より官能じゃよ」と。
どういうわけか、ヨーロッパ系民族の方がこういう直感に訴えかける製品を作るのがうまいような気がする。日本の製品でいうなら、デジタル機器よりはアナログの道具の方が美しい。
例えばこの鉛筆とか。これはApple Pencilより美しいと思う。
ところで、MacBookを買った者はHUNTER×HUNTERよりも複雑な心理戦、すなわち「どんなステッカーを貼るか?」というデスゲームに否応なく参加させられる。
最近oasisというロックバンドにハマっているから彼らのステッカーでも貼ったろうかしら、なんて思っていたら、彼らのステッカーがまあ売ってない売ってない。
MacBookのステッカーはある意味、カッコよくすることよりもダサくしないことが大切になる。ハライチのラジオによると、岩井さんはガムテープ2枚を貼ってリンゴマークを隠しているらしい。それで彼はラジオリスナーたちがどんなステッカーを貼っているかを尋ね、どの回答に対しても「ダサい」と言ってのける。
しかしガムテープ2枚はさすがに尖りすぎている。スニーカーをダサいと言われないために下駄を履くようなもんである。他人に対する護身用のトゲがむしろ自分自身に刺さるなんて、むなしい話だ。
私はアンチ・ファッションもまたファッションの奴隷だと考えているので、やっぱりMacBookには何か思い入れのある物のロゴを貼り付けて飾るのがいいんじゃないですか、と考えている。
しかし私にとって思い入れのあるものってなんだろう、と考えたら、辛い時はいつもボブディランを聴いているな、ということを思い出した。しかしボブディランのステッカーなんて見たことがない。
そういうわけで、私のMacBookはいまだにノーマルのままである。