最近読んだ詩集(1): 『きらきらいし』古溝真一郎(七月堂)

詩を書くようになっていつのまにか7年が過ぎた。詩を書くきっかけは偶然が重なったことと、場の勢いみたいなことで、詩人になりたい、という明確な目標があった訳では無い。ただ、若い時から文章などで表現することの興味はあった。ブログとかで色々書いたりはしていた。

詩を書きはじめたのが遅かったこともあり、詩を書いていく技術を吸収することも上手くいかず、書いたもの=作品、という状態になる事にかなり時間がかかった。今だって作品と言えるようなものが書けているかはわからないけれど。

でも、書くと同時に他の方の詩やすすめられた詩集を読んだりしていくことを続けていたら、詩を読むことはとても好きになった。今でも書くより読む方が好きだ。

自分の呼吸にぴったりはまってくれる詩集に巡り会えると、本当に嬉しい。最近購入した古溝真一郎氏の『きらきらいし』はまさにそんな嬉しい出会いと思えた詩集だった。

静かで平易な言葉で淡々と紡がれている生活の描写の中に、見落としてはいけない生きていることの凸凹がこの詩集におさめられている。

詩を読む時は、なるべく私の状態を白紙にし、詩人のことばを白紙になった私の体にインクで落としてもらえたら、という気持ちで読んでいるが、『きらきらいし』は最初のページを開いてから、すぐに白紙になれた。

古溝氏の言葉は優しい。それは読みやすい、ということではない。言葉の置き方や次の行の動き、連の区切り方、全てリズミカルで音楽的で、繰り返しに用いてる表現も、たたみかける感じではあるが強くなくゆっくりと浸透していく感覚があり心地よかった。不思議なグルーヴを感じるのだ。 そのグルーヴに優しさを感じるのである。

静謐な空気の中、音がない状況でも自然と体がゆれている、そんな作品がつまった詩集である。特に好きな作品は「ソーシャルネットワーク」と「いきてはたらく」の2篇。「ソーシャルネットワーク」は繋がっているようで、繋がっていない今を生きる人たちの影の希薄さを浮き彫りにする一方で、でも、生活を過ごしている人たちの体温の雫をすくいあげ、しっかりと作品にそそいでいる。「いきてはたらく」は、どこが良いかなんて書き表すのが陳腐になるくらい、愛おしさがつまった詩だった。最後の1行を読み終えた時に涙が自然と落ちていた。この作品にも"生活"に関しての肯定が満ち溢れている。

"生活"という言葉は時によってはあまり好かれない。でも生きていくための営みを描くことは大事なことだと私は感じているので、それを美しくうたっているこの詩集を大切にしたいと思う。

私もこういう詩をかけたら良いな、と感銘をうけた詩集だった。好きになった詩集は繰り返し読むことになるが、この『きらきらいし』もその1冊になるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?