第5話 箱の中の人

「今はおとなしく家にいてください」

 そうマネージャーから告げられて、3日が過ぎた。

 分かっていたことだが、プライベートなんてものはない。どこに住んでいるのか、事務所の関係者しか知らないはずなのに、マンションの前にはマスコミが詰めかけているようだった。

 最初の連絡がマネージャーから来たとき、部屋からはマンションの出入り口が確認できないことを伝えると、すぐにマンションの近くまで来て確認してくれた。早朝だろうが深夜だろうが、マンションの前に誰かしらいるらしい。

 住人のことを考えないメディアの無神経さには呆れる。

 自宅にいる間、事務所からは何度も連絡がきた。事実確認や今後の対応についての話がほとんどだったが、最後に毎回「SNSやブログは絶対に更新しないように」と、釘を刺された。

 言われなくても分かっている。今、口を開いたところで、何を言っても無駄だろう。火に油を注ぐだけだ。

 テレビも、ネットニュースも、SNSも、みんな勝手なことばかり言うが、今は黙っているしかない。

 はじめにSNSで批判のコメントを見たときは、憤りが先に来た。事情も知らずに好き勝手言うなと。その後すぐに「SNSは見ない方がいい」とマネージャーに言われ、スマートフォンからアプリを消した。コメントに言い返してしまいそうだったから、正しかったように思う。

 しかし、いくら自分が口をつぐんでいてたとしても、他人が何も言わなくなるわけではない。

 今、自分が世間からどう思われて、どんな言葉を浴びせかけられているのか一切分からない。

 週刊誌や世間の批判に対して、はじめは怒りしかなかった。

 ——今は、少し怖い。

 メディアがさらに煽っていないか。誰かが嘘の情報を流していないか。それらをみんなが信じてしまっていないか。

 SNSは今、どうなっている?

 実は、それほど話題になっていないんじゃないか?

 自分を信じてくれている人もいる?

 それとも、やっぱり批判の声が広がっている?
 
 何でもいい。

 知って、安堵したい。

 何も見えずに、ただ待っているのは、耐えられない——。

 そう思ってしまってからはすぐだった。

 スマートフォンにSNSを再インストール。

 アプリを立ち上げる。

 通知の数は表示の上限に達していた。

 3日間投稿していなかったからだろう。今回のことに関係のない過去の投稿に対して、たくさんのコメントが書き込まれていた。

 批判、謝罪の要求、憶測。それに対する同調や反論。本人の言葉を聞かないとわからないというコメントも、僅かにあった。

 コメントだけではない。SNS上で自分の名前を検索すると、タグが付けられた投稿が数分ごとに行われている。

 『こいつの演技は前から気に入らなかった』
 
 『逆に性格悪そうな顔』

 『今までの女全員にDVしてそう』

 『裏切られた』

 『俳優ってろくな奴いない』

 『隠してた事務所が悪い』

 『これに限らず女性への暴力問題とは』

 『これだから男は』

 『どうせ女が』

 『そもそも社会問題として』

 
 気持ち悪い。

 なんだこれは。

 記事にも関係ない、ただの悪口ばかり。

 いつ、何を裏切った?

 人を利用して、お前の思想を語るな。

 お前らは、何を知っている?

 その場にいなかったお前らに何がわかる?

 確かに、相手にケガは負わせた。でも、故意ではない。原因は、相手にある。だから、しっかりと説明させて欲しいと事務所には何度も伝えた。

 でも、事務所からの回答は毎回同じだった。

『結果が事実なのであれば、経緯を説明しても無駄。それに本当の事を明らかにすると今後に関わる。謝罪会見の準備をするから待っていてくれ。大丈夫、じき冷める』

 何が大丈夫なんだ? 
 
 これを見てもそう言えるのか?

 事務所は所属している人間を守る立場ではないのか? 

 少数かもしれないが、本人の口から聞きたいという声もある。

 このまま、殴られ続けるしかないのか?

 誰か、本当のことを伝えてくれ……。

 スマートフォンを持つ右手の力が抜け、だらんとソファに落ちる。
 
 自分に出来ることは何一つない。

 天井を見上ると、だんだん視界が狭くなっていく。

 手からスマートフォンがこぼれ落ちる。

 ソファを滑り、床を叩く。

 目をつむると、深く息が漏れた。

 これからどうすればいいのか。

 重たく、働かない頭で、ぼんやりと考える。

 足下で、スマートフォンが振動した。

 身体を前に倒し、画面を見下ろす。

「メール……。マネージャーから」

 静かな部屋に独り言が響いた。謝罪会見の日でも決まったのかと考えながら開く。

『お疲れ様です。今日、緊急で取材入れました。1時間後です。詳細はこのあと電話します』

 予想していなかった内容だった。

「……取材?」

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