会計の話

会計は数字で物事を表そうと言う手法。

数字といっても使うのは「通貨」。数量とか数式ではない。平たく言えば、お金の額で物事の価値を計る。従って、お金で表現できない物事は会計では表現できない(厳密には、感覚的ではなく、客観的に測れることも必要)

そのため、法定通貨価値が「会計」というフレームワークの前提にあり、これは画期的な発明であったともいえる。「会計」の発展形として「金融」があり、現代社会を支えている。

現在、会計で表現されているもの(財務諸表)は、交換価値で計測されたもの。しかし、実際の価値は使用価値。使用価値は計測することが困難なので交換価値が使われる、結果的にそれが独り歩きしている(シュペングラー「西洋の没落」、中野剛志「日本の没落」参照)。金融は独り歩きした交換価値そのものの価値増減を助長した。
一方で、法定通貨価値を超えた価値観が重要視される時代(現在は、おそらくSINIC理論(立石一馬=オムロン創業者)の「最適化社会」であり、そういった時代に突入している)では、制度疲労が発生する。

自他同一の概念からすれば、そもそも交換価値という概念は必要ない。
現実社会において人間(自然界も含めて)に不快な事象をもたらす、会計と金融は本来は必要ないものなのだが、これも発達のプロセスで必要と理解している。


価値観の変化により、「会計」のフレームワークも変化していくであろう。


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