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はじめまして、えびちゃん先生です③

前回の記事が予想以上に長くなってしまいました。たぶん私の生い立ちについては今回が最後になる予定です。なるべくさっぱりまとめたいかな。

この記事を読んで欲しい人

はじめまして、えびちゃん先生です②を読んだ人

□これからもえびちゃん先生の記事を読んでみようと思っている人

□進路選択に迷っている人

□キャリアと家庭の両立に迷っている人

□他人の人生に興味がある人   かな?

えびちゃん先生の生い立ち(後編)

出産・育児へ

□2015 8月 お盆のちょっと前

切迫早産の危険性から脱し、とりあえずの帰宅が許されました。6月から、緊急搬送で病院を移るときに救急車に乗った以外は外出できなかったので、久しぶりに車に乗せてもらった時のあの光景は忘れられません。蝉の鳴き声も、大嫌いだった8月の蒸し暑ささえも、全てに感動して涙があふれてきました。その私の姿を見て「何泣いてんの?」と冷ややかに言い放った夫の顔も忘れられません(忘れたいのに)。

□2015 8月下旬

予定帝王切開にて娘を出産。部分麻酔でお腹を切られる感触は大変奇妙なものでした。

手術室に流れる、いきものがかりの「ありがとう」が狙いすぎていてどこか冷めた気持ちになったのもいい思い出です。

□2015 11月頃 通称2015ATM宣言 

他人の子供、しかも食事も排泄も自立した13~15歳の子供はたくさん育ててきましたが、自分の子供は初めてだし、何しろ目が離せない。日中日本語の通じない相手とずっといることに気詰まりを感じて、「早く帰ってきて欲しい」と夫に伝えたところ、

「育児のために早く帰ってきてもいいけど、そしたら俺出世コースから外れるけどいい?」

と返ってきました。私は彼に、「稼いでくる」ことより「私に寄り添ってくれる」事を期待していたので、この返答には開いた口が塞がりませんでした。と、同時に

「私が育休を取っていることで、私が出世コースから外れているとは思っていないのかな」

と不思議に思ったものでした。よく、産後の恨みは一生もの、と言いますが、ほんとそれはマジのやつです。この、通称2015ATM発言(夫が自分で自分の価値を【稼いでくること】のみに限定したためこう名付けました)は、産後史に燦然と輝く一言となりました。

夫転勤。単身アメリカへ。

2016 11月 夫は急に辞令をうけ、アメリカへ転勤することになりました。この時点で娘は1歳。私は娘が2歳7ヶ月を過ぎるまで育休を取るつもりでいました。年度頭に復職する方が、現場にも自分にもメリットがあると考えたからです。

育休中にはアメリカへ同行しようと思っていたのですが、夫が渡米してから半年が過ぎるまでは家族の帯同が許されません。そうなると、私たちが渡米できるのは2017年5月頃。復職しようと思っていたのは2018年4月。たった1年のために渡米するのは費用対効果が悪いな、と思い悩んでいたところ、学校事務の先生から「配偶者同行休業」という制度を聞きました。なんでも、遠方に転勤する配偶者についていくための制度だとか。それを使うと、娘が満3歳を超えても休業を継続することができ、なおかつ年度初めを狙って復職できます。またとないチャンスと思い、その制度を活用することにしました。

□2017 4月末 娘と渡米

厳密に言えば、私たち2人のために夫は一時帰国してくれていましたので、飛行機には3人で乗りました。ビジネスクラスの座席に、娘と母子2人でぎゅうぎゅうに収まり海を越えたのは今でもいい思い出です。

□2019 2月中旬 娘と帰国

夫の辞令は9月末まででしたが、自分のキャリアのために帰国しました。今回は文字通り娘と2人きり。シカゴの空港が雪で閉ざされて、なかなか飛行機が飛べずにいた事もまるで昨日のようです。

行きはビジネスのシートに2人で収まっていたのに、帰りは娘が1人で1席つかってくつろいでいたのを見たときには、成長を感じて涙が出ました(結構涙もろいので)。

□2019 4月 復職 中学1年を担任する

2014,2015と立て続けに1年生を担任し、療休・産休・育休に入った私は、復職1クラス目も1年生の担任となりました。

排泄も食事も自立していて、なおかつ日本語での意思疎通ができる生徒たち… 育児に比べたらなんてイージーモードなのかと感動しました。

同僚にも恵まれ、幸運な復職1年目でした。

2020年 現在の勤め先に転勤

□2020 4月 やっぱり中学1年の担任に

おそらく、これまで受け持った学年の履歴などを見て、転勤先の校長先生がお決めになった人事かと思いますが、4回連続での中学1年生への配属… そろそろ違う学年にはしてくれないものなのだろうか、と思いましたが、この年も同僚に恵まれ、毎日があっという間に過ぎ去るほど楽しく仕事ができました。

□2021 4月 やっぱり中学1年に配属…でも

5回続いた「中学1年」の担当でしたが、なんと今年は【学年主任】という立場を任されました。なんという事でしょう。担任する学級がなくなってしまいました。まだまだ担任がやれる、と思っていたので寝耳に水だし、不安で押しつぶされそうでした。でも、「学年主任なんて、私に務まるのだろうか」、という不安の中にいた私に、先輩が投げかけてくれた「学年主任はさ、学年全員の担任なんだよ」という言葉に後押しされ、毎日なんとか働いている、といったところです。

というところで現在に至っています。

長くなりましたが、ここまでが私の誕生から今日までの大体のところです。
「教員という道を選んだわけ」についてはまだざっとしか書いていないので、今後少しずつ書いていきたいと思います。

今日のところはこの辺で。お読みいただきありがとうございました。【スキ】していただけたら励みになるので是非お願いします🎵

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