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#38 自分のままでいることは、自分を愛すること

わりとボンヤリしている方だし、大雑把な性格ではあるのだけれど

知らず知らずに周りの雰囲気や相手の意向を読み取ってしまって

『きっとこれがわたしの求められていること』

という枠に、自ら形を変えておさまろうとするところがある。


その『きっとこれがわたしの求められていること』という枠は、私の経験や基準により想像したもので、相手が本当に求めていたかどうかはわからない。




小さいころから転勤族だったので、そうすることで自分を適応させてきたし、そうできるからこそのいい恩恵もたくさん受けてきた!

だけど『求められているであろうワタシ』になることを続けていたら、だんだんと自分が誰なのかわからなくなってしまい、自分が何を望んでいるのかがわからなくなってしまった。


それを何年もかけて少しずつ手放してきた今、
やっぱり私は私でしか生きられないことをヒシヒシと感じている。

私が私でいることを、一番怖がっていたのは自分だけだった。

誰も自分以外の人間を演じろなんて言っていないのに、自分のここがダメ、ココはこうしなきゃ、ってずっと自分に言ってきた。


「こういうときは、こういう人間でなければならないだろう」と自分で勝手に思い込んでいた。

(人に言われることも多少はあったけど)


常識、世間体、他者の価値観…

そういうものに自分を当てはめようとすると、怖くてたまらなくなり、今は顔が真っ赤に腫れてお知らせしてくれるシステムになってしまった。笑

それ違うよーって体からSOSが出るので、そこで立ち止まる。(その前に気づこ笑)

今でも、周りの期待に精一杯応えようとしている人を見ると「わたしもそうしないといけないんじゃないのかな」と思ってしまう時がある。


だけど、人はさておき、わたしはそれを望んでいるのかなあ。

"わたしも我慢してるんだから、あなたも。"

ではなく、

"
わたしも自由にしてるから、あなたも。"

っていう優しい世の中になってほしいなぁ。

いや、元々そんな世の中なのに、わたしが今まで気づかなかっただけかもしれない。


自分を繕わずに生きていくことは、自分に愛を送ることで。

それってどんどん周りに広がるから、素晴らしいことだと思う。


自分をさらけ出している人を見て「信じられない!」っていう人もいると思うけど、

そういう人は自分が自分をさらけ出せないツラさを、「信じられない!」と言うことで、表現しているのかもしれないね。

地元に戻ること(まだ分からないけど)の不安は、そういう「信じられない!」が、田舎だと多くなるんじゃないかっていうこと。


気づかないうちに、私が私を表現できなくなるのではないかということ。


というより・・・人の目を気にして、自分で自分を制限してしまうのではないかというのが心配。

でも、すべては自分次第なんだよね。

逆に、金髪にして派手な服を着て、いっちょ振り切ってしまえば《そういう人》っていうのでゆるされるかな。笑

今年は金髪にしてみようかな~なんて。

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