23-20. 書いては消していく作業のなかで自分を知る|インプット過多でも書けなくなるのね

noteを書いては消して、書いては消して。
それを昨日からずぅっと繰り返しています😂

どれも自分の言葉のようで、借りてきた言葉のような気がして。ちょっとここ数日インプット量が多すぎたかもしれません。

インプットがないと書けなくなるという話は聞いたことがありますが、インプットが多すぎても書けなくなります。

自分が自分でいられるように、できるだけインプット量にアウトプット量を追いつかせたいところ。毎日毎日、モーニングページも書いてnoteも書いて(下書きして)るのに、追いつかないくらいなので、頭が重いです。

本のインプットだけではなく、小学校の入学準備や、ワクワクするような新しいお仕事など。

こんなときでも村上春樹さんの本だけはすっと入ってきます。これは読みながら脳から何かをデトックスしてるのかもしれません。不思議なもんですね。

お蔵入りしたいくつもの下書きは、ざっと5つくらいになるでしょうか。。こんなに書けないのも珍しいです。読者を意識しすぎるフェーズに僭越ながら入ってきてしまったのかもしれません😂

正直じゃない言葉が出てくることに気づいては消してました。出てきた言葉に違和感を感じ、正直さを絞り出している作業を何回も繰り返してると、これは自分じゃないんだなって気付けたりしておもしろい。

ほんとうにここにも書けないようなことはノートに殴りがいてスッキリ。

きのうときょう、
この作業を繰り返しての気づきを箇条書きにすると

ものごとにピリオドを打つときは、自分にとって不要なものを手放すときと、やれるのにやめてしまう諦めがあるのかも
自分を被害者にすると、相手を加害者に仕立ててしまい、被害者ヅラしてる人が加害者になる。無意識に自分もやってしまいそうになるので気をつけなくちゃ。
書いて・消して・自分を知る、っていう作業は時間がないとできなくて、わたしはこの時間をほんとうに大事にしてるんだなぁ。(でもそろそろ外に向いてもいい気もする)

この3つでした!

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