#32 わたしに必要だったのは「不安」からの行動よりも、今ある「安心」に気づくことだった。
5月くらいからかな。
頭がドクドクし、地に足がついておらず、顔はむくんでいた。
そして6月に入ると、顔の皮膚が作られなくなって、ところどころまだらに赤くなっていた。
悲しみや不安、恐れが自分を支配していたかな。夏至の影響もあったかな。
それにしても、自分と向き合うことより、外の状況を変えることに必死だった。
世界は、自分の内面が外に反映されるとよく言うけど、本当にその通りだった。
体の「不調」も、自分の内側からのサインだった。
娘の癇癪もわたしの影響だったんだね。
わたしが落ち着いたら機嫌のいい日が増えてきた。
一番ちかくにいるから、こどもはわたしの鏡だ。
前回の記事でも書いたとおり、ここ数カ月のわたしは、
行動ができない自分も、行動することも、とても恐れていた。
そして、早く選択しないと・・・って焦っていた。
不安なのが苦しくて、無理に状況を変えようとしていたように思う。
苦しくて、答えを外に求めたけど、やっぱりわたしの内側にしか答えはないね。
もし行動が自信につながったり、安心につながるのであればよいのだけれど、
私の場合は、不安定な感情をぶら下げたまま、無理に動いてもあまり状況が好転しないのもわかってた。
だから、安心できる人に会いに行った。
これも行動か!
でもこの行動に、不安はなかったんだ。
その人から
「どちらに行っても、自分の行きたいところ、自分の好きなところに辿り着くよ」
そう言ってもらえて、急に肩の力がふ~っと抜けて安心した。
「わたしはこのままでいいんだ」
って思えて
それからしばらく、自分が安心できる状態を選択するように心がけた。
数日たってから急にトイレで大粒の涙がポロポロと落ちてきた。
嗚咽まじりの本気泣きになり、自分でも動揺した。
「え?なんでこんなに号泣してるの!?」って。笑
悲しいわけではなくて安心した涙だったんだよね~。
その日はずっと涙が止まらなくて。
家族を守るためにできることを必死で探していたけれど、
それが自分を傷つけていたことに全く気付いていなかった。
そんなこと家族は求めていないのにね。。。
ずっと外に引っ張られていた。
自分の内側に向き合っていなかった。
「つらいでしょう。休んでいいんだよ。よく頑張ってるよ」ってなかなか言ってあげられなかったんだけど、そのトイレの中でふっとその言葉を自分にかけてあげられて、そしたらすんごい涙が出てきて。
その時、「ああ、もう私は大丈夫だな。この不調もよくなるな」って妙に冷静に思った。
何度も同じことを繰り返すんだけれど、きっと必要なのだろうし、螺旋階段のように少しずつのぼっているのだと思う。
きっと、これでもう良くなるだろうという予想は当たっていて、
翌日から、すーっと体調がよくなって顔の赤みも引いた。
今、わたし(たち)に必要なのは、
「安心」「心地よさ」「リラックス」だと思う。
しなければいけないことなんて何もなく、自由に選んでいいのだから。
わたしはいままで、休むことも、頑張ることも中途半端だった。
休み切る前に、頑張っていたし
頑張りすぎたら「また、頑張りすぎちゃった」ってそんな自分も責めていたし、休みすぎたら「グータラしているなぁ」ってそんな自分も責めて。
ずっと自分を責めていた・・・(笑)
自分が自分を、心のどこかで否定して責めるから、
怖くて、不安で、それに対抗することにエネルギーを使っていた。
そりゃあ、エネルギー枯渇するよね。汗
そうやって失敗しながらバランスを取っていくんだろう。
不安でもいい。怖くてもいい。
その中で、とにかく安心する言葉を自分にかけていく。
自分をゆるして、ゆるして、許し抜く。
誰の許可なんていらない。
自分の許可すらいらない。
いつも自分を安心させられるのは、自分だということに気づいて。
少しずつのぼっていこうー!! 1歩ずつ。気楽に♪
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