23-36. ついSNSを見てしまうあなたへ|自分で自分をしあわせにしたい人におすすめのツール
一人でいるとついついSNSを見てしまうのは何故だろう?と考えていました。
ラクに受け身に楽しませてもらおうとしているからだと思っていたのですが(それもありますが)、もしかしたらこれって"自分"を保つための自傷行為でもあるのかもと思いました。
エーリッヒフロムの愛するということという本の中に、どんな技術でも身につけるためには規律と集中力が必要とあります。
ひとりでじっとしているというのは、実はとても難しいことだと思います。
「いや、一人が好きだよ」というわたしでも、スマホもなく嗜好品もなく、ただひとりでじっとしていることはとても難しいです。
一人でいるとついついSNSを見てしまうという話に戻りますが、やめようと思いつつついつい開いてしまうのです。
人とコミュニケーションを取れるのはうれしいので、いいね・コメント・DMなどが来ていると、快楽ホルモンのドーパミンが出るため、ついつい「きてるかもしれない」という期待から開いてしまうようになるそうです。(詳しくは「スマホ脳」を。)
わたし自身がどうしてついついSNSを見てしまうのか?を観察していると、そういうドーパミンの作用も多くあると思いますが、自分の内面や本心と向き合うことから逃げているときにもそういう状況に陥りやすく、自分を愛することを避けている時でもあるのかもと思います。
その気づきに至ったmugiさんのnoteも勝手ながらご紹介させてください♡
♢
回りくどく難しいことを言ってすみませんが、自分のことを見てあげるというのは自分を愛することです。
自分の体の状態や、感情を、ただ静かに観察することは、先に引用したとおり、自分を愛するために必要です。
ですが、それをしたくないときがあって、そう言う時って自分の中に大なり小なり「暴力性」があるときなんですよね。
そういうときにやりがちなのが、わたしの場合ついついSNSを見ることだったんです。人によっては、ついつい酒を飲む、ついつい買い物をする、ついつい仕事をする、ついついタバコを喫む、だと思います。
大袈裟に言うと自暴自棄のようなときです。自分の中に暴力性があるとき。自己否定や、自己卑下したいときです。そうやって自分で自分に暴力的になることは、ある種クセになりやすいです。自分というもののカタチを保つためにやっているからだと思います。
なので自分に対して暴力性を持つことで、すこし安心してしまうのです。
つまり何が言いたいかと言うと、一定数の人にとって、SNSを見てしまうのは自分に対して愛を注ぎたくないときで、自分の中に愛ではなく、暴力性を持ってるときなのかな、と。
できるだけそのクセを発動しないようにするには、「自分を見てあげて、愛してあげることは安全なことで、いい結果をもたらすことを身体に覚えさせる」必要があるとおもいます。
そのためにSNSから意識的に距離を置くことは必要で、そしてなにより、ひとりでじっと座ること、つまり瞑想すること、体に意識をむけること、つまりヨガをすることは何よりの自己愛で、暴力性を手放すことにつながります。
なので、自分で自分をほんとうにしあわせにしたければ、ヨガって最強ツールなのだと思うのです。うまく伝わったかなあ。。笑
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