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23-47. 自分が捨ててきた自分を拾っていく|ライティングライフプロジェクト

今日はWLPファシリテーター養成コース最終日でした。

WLP(ライティングライフプロジェクト)は内観を引き起こすプログラムでさめじまみおさんが考案したものです。

WLPって、わたし個人的には「書くことで自分を知り、自分がどんどん成長していくプロジェクト」だと思っています。

WLP(ライティングライフプロジェクト)を実際に受けてみて、「このプロジェクトを提供する側に回りたい」という人が集まる養成コース全4回。

毎回みっちり濃い内容でめちゃくちゃおもしろかったです。受けて本当によかったな。

特に意識の話が面白かった!

私たちは”自分の心を知っている範囲”でしか、他者の心を観る/知ることができない、と。

これ、めちゃくちゃ納得じゃないですか?

自分のなかにある「一面」を知らなければ(見ないようにすれば)、他者のこともわからないっていうことだと解釈。

意識のテーブルが大きくなるほど、他者のこともよくわかるそうです。

でも意識って、成長する過程で自然と、どんどん狭くなっていくらしくて。

それを図で見せてもらったのですが、簡単に言うと、

①産まれた時は宇宙/自分の区別もない状態だったのが、
②だんだん「自分」が切り離されていく
そして、マナーやルールを覚えていく中で③体を精神が律するようになっていき(おしっこを我慢するとか、眠いけど頑張るとか)
さらに社会に適合させていくにつれて、ついには④自分の一部だったもの(影)を切り離して仮面で生きていくようになる。

こういうプロセスを歩んでいるそうで。つまり、どんどん生きづらくなっているんですよね~💦

で、WLPをとおして、④から③へ、③から②へ・・・と、回復していくんです。(これヨガと一緒なのよね~)

▼この"意識のスペクトル"についてすごく綺麗にまとめてる方のnoteを見つけたのでシェア!!

書くごとに、自分の切り捨ててきた一部を取り戻していく感覚。
そういえば、こんな自分もいた。あんな自分もいた。っていう気づき。
自分が捨ててきた自分を拾っていくことで、どんどん自分が回復していき、癒されていくんです。

自分のピースを拾っていく感じかな?

隅々まで自分を認識する=自己認識=自己受容=愛=他者へ拡がる

ってかんじ??

ヨガも瞑想で自分を隅々まで見る時間を取ります。
「空」の時間をつくり、「余白」のなかで自分を見る。

さらにアーサナ(動き)で自分の限界値(エッジ)を超えていって、あたらしい世界がひらけていく感じがあるけど、WLPでも同じことが起こったな~。おもしろいよね。

ヨガで、生徒さんが「こんなに体が固まっているとは」「こんなに動けないとは」って気づく瞬間によく立ち会うんですけど、まずは動いてみないとそのことに気づけない。

WLPでも、書くことで「こんな自分がいたとは」とか「ダメな自分を直視」する。そこに気づくことで、どんどんエッジを超えていった感じ。

うーん、いろいろと奥深い意識の回復プロセスでした。

いま読んでいる「アミと小さな宇宙人」にもこんなことが書いてありました。

もちろん思考は役に立つよ。もし考えることを全くしなくなったとしたら、植物と同じだよ。だけど思考は人間の持っている最高の財産じゃないんだよ。

好きということはひとつの愛のかたちだ。愛がなければ楽しみもない。意識がなくても同じことだ。思考は人間が持っている可能性の中で3番目に位置する。第1位は愛が占める…われわれは全てを愛するように心がけている。愛を持って生きる方が、ずっと楽しく生きられるんだよ。君は月が好きではなかったね。でも、僕は好きだ。だから君よりよけいに楽しんでいるし、より幸せなんだよ。

地球じゃ、思考こそが最高だと思っている。
思考では愛を味わうことはできない。感情は思考とは異なったものだ。

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