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ホロコースト否認論を否認するテスト-10

今回は以下サムネリンク記事を、DeepLを中心に翻訳に用いつつご紹介します。ロイヒターレポートそのものを自分で逐次批判ていうのをやりたいんですけど、とにかくこれが読みづらくて、今回は部分的な反論をしているものを紹介します。どこかに読みやすいロイヒターレポートの翻訳ってないのかなぁ?💦なお、脚注番号、脚注は省いていますので原著等を知りたい方はサムネの中のリンクから直接たどって下さい。

▼▼▼翻訳開始▼▼▼

AUSCHWITZ-BIRKENAU CREMATORIA: CIVILIAN OVENS COMPARISON

民間の火葬場で1体を燃やすのに何時間もかかる。アウシュビッツ・ビルケナウのオーブンは、どうやって2年間で90万人近くの犠牲者を火葬したのでしょうか?

ホロコースト否定派の主張:

民間の火葬場では1つの遺体を火葬するのに数時間かかるので、90万人近くのユダヤ人の遺体はアウシュビッツ・ビルケナウでは火葬できませんでした。
ホロコースト否定者のフレッド・ロイヒターは、ロイヒター報告書の中で、民間の火葬炉では1体の遺体を1.25時間、24時間で19.2体を火葬できるので、1941年末から1944年末までにアウシュヴィッツ・ビルケナウで火葬できたのは85,092体だけである、と理論的に述べています。

事実は:

アウシュビッツ・ビルケナウでは、当局は死者に対する敬意を払わず、火葬の民間ルールを守らなかった。彼らは一度に複数の遺体を燃やし、そのプロセスは連続していました。アウシュビッツ・ビルケナウの火葬を民間の火葬場と同一視するのは間違った比較です。

民間の火葬場では、どのような流れで火葬が行われているのでしょうか?

民間の火葬場では、法律に基づき、死者や遺族を尊重するために、遺体を一人一人火葬し、灰を集めて遺族に返すことができるようにしています。

民間火葬場のオーブンは、火葬のたびに加熱・冷却されます。このような民間の火葬炉も、使用後は毎回清掃されています。遺体は通常、棺などの容器と一緒に焼却されるため、プロセスを完了するのに必要な時間が長くなります。炉や火葬する遺体にもよるが、平均して1回の火葬に2~3時間かかる。

アウシュビッツ・ビルケナウでの火葬のプロセス。

アウシュビッツ・ビルケナウでは、ナチスの収容所当局は、死者への敬意や、火葬に関する民間人の規則を考慮する必要はありませんでした。炉は、その中に入ることができるだけ多くの遺体で満たされていました。例えば、ゾンダーコマンドーの男たちは、太った人、骨格のある「ムゼルメナー」、子供たちの遺体を組み合わせるように指示されていた。これは、最小限の時間で最も多くの遺体を燃やすために行われたもので、遺体をオーブンに入れ続けました。その結果、非常に効率が良く、何時間も何日も処理を続けるのに必要な燃料はほとんど必要ありませんでした。証言によると、オーブンは継続的に使用されていたようです。アウシュヴィッツ・ビルケナウのゾンデルクコマンドーであったヘンリク・マンデルバウムは、このように証言しています。"火葬場はフルスチームで稼働しており、各シフトは次のコマードが出勤するまでそこに留まっていた」と証言しています。

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複数の遺体を一度に火葬することについての証言。

Henryk Tauber(ヘンリク・タウバー) ビルケナウのガス室のいくつかで 働いていた ゾンダーコンマードのメンバーは 戦後に述べています "日勤・夜勤の2交代制で勤務していました。平均して、我々は1日に2,500体を焼却した" Tauberはまた、どのようにしてマフラーが複数の死体で満たされたかを説明している。

手順は、マッフルに向かって足で最初のボディを置くことだった、バックダウンして顔を上にします。次に2番目の体を上に置き、再び顔を上にして、頭をマッフルの方に向けて置いた。最初に置かれた体はすぐに火傷を始め、手足が浮き上がってくるので、私たちは素早く作業をしなければなりませんでした。我々が遅かった場合、それは体の2番目の部分を充電することは困難であった .
子供の遺体を大人の遺体と一緒に燃やしました。最初に大人を二人入れて、それからマッフルに入れられるだけの子供を入れました。時には5人、6人ということもありました。これは、比較的離れた格子状の棒の上に子供の遺体を直接置かないようにするための方法です。そうすることで、子供たちが灰皿に落ちるのを防ぐことができました。女性の遺体の方が男性の遺体よりも早く燃えていました。そのため、火薬の燃焼が悪いときには、女性の体を導入して燃焼を促進させていました。
一般的には1回のマッフルで4〜5体を焼いたが、時にはそれ以上の数をチャージすることもあった。最大8体の "ミュゼルマン "を燃やすことができた。

遺体を火葬したゾンダークムンドの一員でもあるフィリップ・ミュラーは、回顧録の中で複数回の火葬のプロセスを確認している。遺体は以下のように分類されました。

栄養のある者の遺体は、やせた者を燃やすのに役立つからである。カポス族の指示のもと、担ぎ手たちは死者を4つのスタックに分類し始めた。一番大きいのは主に丈夫な男性で、次に女性、次に子供、そして最後にやせ衰えたムスルマンの死体で、皮膚と骨だけであった。この技術は「エクスプレス・ワーク」と呼ばれていました。この呼称は、1943年秋に第5火葬場で行われた実験に由来しています。これらの実験の目的は、コークス(石炭)を節約する方法を見つけることであった。このようにして、2 人のムスリムの遺体は 2 人の子供の遺体と一緒に火葬されたり、2 人の栄養状態の良い男性の遺体はやせた女性の遺体と一緒に火葬されたりした。

複数の遺体を一度に火葬することについての加害者。

アウシュヴィッツ・ビルケナウの司令官ルドルフ・ヘスは、各マッフルで複数の遺体を焼いたというタウバーとミュラーの証言を確認した。"遺体の大きさにもよりますが、1つのオーブンのドアから同時に3つの遺体を入れることができました。火葬に必要な時間はまた、各レトルト内の遺体の数に依存するが、平均的には20分かかった"

複数の遺体を一度に火葬することに関する一次資料。

1941年9月、オーブンの設計者および製造者であるTopf & Sons社からの追加の指示によると、「火葬室が良好な赤色の熱になると、遺体を次々と火葬室に入れることができる」とのことでした。この書簡は、オーブンを冷却することに注意を促しています。

Topf & Sons社のダブルマッフル炉の説明書によると、前の火葬の最後の20分間に遺体をオーブンに入れることができるとのことでした。つまり、最後の遺体が完全に火葬される前にオーブンに遺体を入れることができるということです。説明書には "遺体がシャモット格子から下の灰回収路に落ちたら、スクレーパーを使って灰取り扉の方に引き寄せてください。ここでさらに20分ほど放置して、完全に灰になるまで放置することができます。その間に、次から次へと遺体をチャンバーに入れていくことができます。

結論。

民間人の火葬プロセスとアウシュヴィッツ・ビルケナウのプロセスを比較することは、見当違いである。アウシュビッツ・ビルケナウの当局は、死者への敬意を一切放棄し、民間人の火葬のルールを守っていませんでした。彼らは、一度に複数の遺体を燃やし、火を熱くしないように、継続的にさらに多くの遺体を押し込んでいました。アウシュヴィッツ・ビルケナウの火葬炉は、フレッド・ロイヒターが計算した8万5092人という数字よりも、確かに多くの遺体を火葬しました。

さらに、この問題は究極的には無関係です。オーブンの一日の容量を超えると、遺体は野外のピットで焼かれました。

▲▲▲翻訳終了▲▲▲

そもそもロイヒターの誤りは、当事者の証言など文献資料があるのにも関わらず、全く異なる民間の仮定に基づいて計算を行った、という点にあります。証言から計算してみましょう。ヘンリク・タウバーは平均して1日2,500体と言っています。すると、1年3百日稼働したとすれば、

2500×300=750,000体

です。3年でざっと225万体ですね。これは非常にアバウトな計算ですので、暇があったら色々資料を紐解いてもう少し仔細に計算してみたいところではありますが、結果として大体これくらいだろうとされている虐殺数の100万は軽く超えてしまうわけです。単純計算ですけど、ロイヒター試算の26倍の能力があったわけです。

付録:ビルケナウの焼却施設が出来た経緯について。

実は、ビルケナウ収容所の方でクレマトリウムで大量の遺体を処理することになったのは、結構なし崩し的と言うか、経緯があるのです。最初の集団虐殺が始まった頃は、焼却炉のあるアウシュビッツ基幹収容所の方を別として、ビルケナウの方は最初は焼却炉はなかったのです。どうしていたかと言うと、ビルケナウ収容所の柵の外にある敷地に小さなブンカーⅠ(赤い小屋)、ブンカーⅡ(白い小屋)というところに、ユダヤ人を集め、その側のバラックで脱衣させてシャワーに入れと言って騙してそれらの部屋の中に詰め込みドアを締めてしまってから、親衛隊員が立て掛けた梯子に登って屋根に空いた穴からチクロンBの粉末を入れ、そこから発生する青酸ガスで殺していたのです。そして死体は数百メートル離れたところにある地表に掘った穴に埋めていたのです。これが溜まれば溜まるほど、周辺地域での死臭が物凄いことになってしまい、ウジは湧き放題、酷いことになったので、もっかい死体を掘り起こして、焼却処分という手間が発生したのですね、これがざっと十万体。

※そもそも野焼きで処理していても十万体超えてるんですよね……。もっと言えば、ロイヒター報告の中の表2の値を使って、アウシュビッツの一日あたり焼却処理能力が理論値でわずか360体って、どう考えてもおかしいでしょ? だったらその程度、野焼きすればいいじゃん。ゾンダーコマンドなんていっぱいいるんだから楽勝じゃん。そんな馬鹿な話ありますか?

それで、これじゃ駄目だということで、ビルケナウの方にガス室と焼却炉を一体にした大規模なクレマトリウムを作ろうってことになったのです。それで親衛隊建設局が中心になってアウシュビッツ基幹収容所のクレマトリウムⅠの焼却炉を担当したTopf of Sons社(J・A・トップフ社、あるいはトプフ・ウント・ゼーネ社などと呼びます)など協力企業数社が作っていくわけです。こうしたやり取りなどの記録が残っています。私自身は流石に原資料は見てないけど、一部は別記事のマットーニョの論文で画像添付により示してあります。

ですので、そもそも記録があるので、どのような焼却炉設備が出来上がっていったか、それを見れば分かる話。やってることはもちろん、虐殺後の遺体大量焼却処分という非常に悍ましいことではあるのですけど、現場は色々苦心してやってたのです。ロイヒターさんも、工学学位もないのに頑張って死刑機械の第一人者となっていったように、アウシュビッツの焼却担当者も頑張ってたんです。頑張ってた……なんてあんまり言いたくはないですけど、ほんとに大量虐殺工場だったのです。

正直私の感想を言えば、そんなの後々の研究者が、一体どうやってたのか、もしロイヒター通りならとっくの昔に疑問に思っていたと思うんですけどね。ホロコーストなる一大テーマならば世界中に最低でも常時何百人も研究者いると思うんですけどね。そもそも論になってしまいますけど。

以上です。


以下は例の歴史修正主義研究会より、上で批判されたロイヒター論文(加藤一郎氏による翻訳)の焼却棟の部分のその一部だけを引用します。興味ある方だけお読み下さい。ゲルマール・ルドルフによる、後々に挿入された指摘はこちらで削除しています。それで、よくわからないのですが、上のリンク記事ではロイヒターは"85,092体"だと予測したと言っているのですが、ロイヒター論文を読んでもその数字がどこにもありません。色々数値を使って計算しても、その値にならず、どうやって計算したのかさっぱり分かりません。但し、そもそも、複数遺体をマッフル一箇所に詰め込んで焼却していたんですから、前提条件が全然成り立っておらず、検討にも値しないわけですけどね。


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13:焼却棟

 新旧双方の焼却棟を考察するのは、ドイツの焼却棟がその与えられた課題を果たすにあたってどのような機能を持っていたのかを検証するためである。

 死体の焼却は新しいコンセプトではない。何世紀にもわたって、数多くの文化が死体を焼却してきた。数千年前からも行なわれていたにもかかわらず、カトリック教会が認めようとしなかったために、近年では、教会の反対が緩やかになった18世紀後半になるまで行なわれなかった。

 正統派のユダヤ教も焼却を禁止していた。1800年代初頭までに、ヨーロッパでは焼却が限定的にではあるが、ふたたび行なわれるようになった。焼却は、疫病の流行を防ぎ、密集地域で有効な土地を確保し、地面が凍結する冬期に死体を保管しなくても良いという利点を持っている。ヨーロッパの初期の焼却棟は、石炭・コークス燃料の炉であった。

 死体焼却用の炉は、的確にもレトルトと呼ばれている。初期のレトルトは、死体からすべての水気を奪い、灰に変えてしまう炉にすぎなかった。骨は燃え尽きることはなく、今日でも、砕かなくてはならない。初期には臼とすりこぎが使われていたが、今では、破砕機がそれに代わっている。現代のレトルトの大半はガス燃料式であるが、オイル燃料式も少しは残っている。合衆国とカナダでは、石炭・コークス燃料式のものは一つもない。

 初期のレトルトは乾燥・焼却釜にすぎず、たんに、死体を乾燥・焼却した。金属で煉瓦を覆った金属製の現代のレトルトは実際に、ノズルから炎を死体に吹きかけて火をつけ、すみやかな燃焼・焼却を行なっている。現代のレトルトは、燃焼してガス化した物質の中の汚染物質をもう一度燃やすための二番目のバーナーもしくはアーフターバーナーも備えている。大気汚染を監視するさまざまな州当局が、この二番目のバーナーの設置を課している。死体が汚染に責任があるわけではないことを指摘しておかなくてはならない。汚染を引き起こすのは、ひとえに、使われた化石燃料である。コストは非常に高くつくが、電気式レトルトならば、汚染物質を生み出すことはない。

 これらの現代のレトルトは華氏2000度で燃焼し、華氏1600度のアーフターバーナーを備えている。この高温のために、死体はそれ自身で焼き尽くされ、バーナーの停止を可能とする。過去においてはそうではなかったが、今日では、木の棺と紙の箱は死体と一緒に焼却され、高温のために、そのことで時間がかかることはない。ヨーロッパの焼却棟には、昔からの低音800℃(華氏1472度)で稼働し、作業時間も長いものがある。

 現代のレトルトは、華氏2000度で稼働し、外部から2500cfmの空気を提供されることで、1体を1.25時間で焼却する。理論上は、24時間で19.2体である。製造元の推奨する正常稼働・持続使用は1日に3回もしくはそれ以下の使用である。旧式のオイル・石炭・コークス炉――強制送風空気(炎が直接死体にあたるわけではない)――では、通常、1体につき3.5時間から4時間かかる。

 理論上は、最大で、24時間に6.8体を焼却できることになる通常の稼働は、最大で24時間に3回の焼却を可能としている。これらの計算は1回の焼却あたり1レトルトあたり1体にもとづいている。これらの現代のレトルトは、すべて金属製であり、高品質の耐火煉瓦で覆われている。燃料はポンプによって直接レトルトに送り込まれ、すべてが電気式かつ自動コントロールである。石炭・コークス燃料炉は、均等な温度(最大華氏1600度ほど)で燃えないので、絶えず手動で燃料を追加し、制御しなくてはならなかった。死体に炎が直接あたるわけではなかったので、送風器だけが炎を燃え立たせ、釜の温度を上げた。この粗雑の稼働方法で生み出される熱は、華氏1400度ほどであったろう。

 検証の対象としたドイツの施設で使われていた焼却棟は旧式のものであった。それは、赤レンガとモルタルでできており、耐火煉瓦で覆われていた。すべての炉はいくつかのレトルト=燃焼室を持っており、送風器のついたものもあった(死体に直接炎をあてる装置は一つもない)が、どれ一つとしてアーフターバーナーを備えておらず、コークス燃料式であった(マイダネクの現存していない一つの施設だけが例外)。現場での検査・検証の対象としたレトルトはどれ一つとして、同時に何体かの死体を焼却できるようには設計されていなかった。焼却対象となる死体の焼却に必要な熱量が適切に供給されるように特別に設計されていなければ、そのレトルトは、中の資材を焼き尽くしえないことを指摘しておかなくてはならない。1焼却あたりの1レトルトにつき1体の焼却時間の算出にもとづく、24時間あたりの理論上の能力推定値と実際の能力推定値表2にまとめてある。

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