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ロイヒターレポート The Leuchter Reports

注意2:この記事は下記の「注意」にある通り、歴史修正主義研究会にあったロイヒターレポートの翻訳記事から脚注を省いてコピペだけしたものでした。しかし、2022年11月に全面的に私の方で翻訳+コメント付きで新たに記事を起こしています。翻訳内容自体は歴史修正主義研究会版とそれほど大差はありませんが、ロイヒターの主張がどれほど噴飯物か徹底的にコメントしてありますので、その私のコメント付きで読みたい場合は、以下をご参照ください。

注意:
この記事は、歴史修正主義研究会(文教大学 加藤一郎氏による)のページからロイヒターレポートをコピーし、加藤一郎氏がロイヒター報告の文章中に挿入したゲルマール・ルドルフの脚注解説を省いたものです。本来、原著は本になっているものですので、ごく普通の本のように脚注番号を振ってページ下に記述がなされているのです。これを加藤氏が脚注番号を省いて直接文章中に挿入したものだから読みにくいことこの上ないのです。そもそも歴史修正主義研究会のページは行間が詰まっていてフォントも小さく、文章行がブラウザ横幅いっぱいに広がってしまうために非常に読みにくいので、読みやすくするためにこちらの記事としただけです。この記事内ではこの注意事項以外、私は一切何も述べません。全部で2万6000字程度ありますのでご留意下さい。

「ロイヒター報告」本文

――ポーランドのアウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの「処刑ガス室」に関する技術報告――

00:はじめに

 今年(1988年)2月、私はロベール・フォーリソン博士を介してエルンスト・ツンデル氏と接触し、ナチスがポーランドで稼働させていた現存の焼却棟と「処刑ガス室」を法医学的に調査・検証し、その可能性と効能についての技術的意見を提出する仕事を引き受けてくれないかと求められた。

 この計画を検討していたツンデル氏、弁護士ダグラス・H・クリスティおよびそのスタッフとの会合で、わたしの分析結果は、トロントの地方裁判所で開かれていたツンデル裁判との関連で利用されることが明かされた。

 この点での了解がなされると、この調査はアウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネク(ルブリン)とその焼却棟および「処刑ガス室」を対象とすることが決定された。私はこの仕事を引き受け、1988年2月25日、調査チームを率いてポーランドに向かった。調査チームは、私、妻キャロライン・ロイヒター、製図職人Howard Miller氏、撮影技師Jurgen Neumann氏、ポーランド語通訳Tijadar Rudolph氏であった。われわれは要請されていたアウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの施設すべてを調査したのち、1988年3月3日に帰国した。本報告と私の分析結果は、ポーランドで行なわれたこの調査の産物である。

01:目的

 本報告とそれがもとづく調査の目的は、ポーランドの3つの場所、すなわち、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの「処刑ガス室」と焼却棟施設がホロコースト文献に描かれているようなやり方で稼働しえたかどうかを決定することである。

 この目的には、物理的施設を調査・検証すること、これらの施設の設計を調査・検証すること、使われたガスの量を決定するためにこの施設で使われた手順の記述を調査・検証すること、使用時間(すなわち処刑と換気時間)を調査・検証すること、収容人員とそれに関連する部屋の物理的サイズを調査・検証すること、確証されていない稼働報告の信憑性および信用性を決定するために死体処理・焼却手順と時間を調査・検証することが入っている。

 この目的には、ガス処刑以外の手段で死んだもしくは殺された人数を決定すること、もしくは実際にホロコーストが起こったかどうかを裁定することは入っていない。さらに、本報告の筆者はホロコーストを歴史学の枠内で定義し直そうと考えていない。ただ、実際の現場で手に入れた科学的証拠と情報を提供し、調査現場の「処刑ガス室」と焼却棟施設の目的と使用に関するすべての科学的、技術的、量的データにもとづいた見解を提起しようと考えているにすぎない。

02:背景

 調査責任者かつ処刑装置の設計・製作に関する本報告の筆者は、合衆国においてシアン化水素ガスによる囚人の処刑のための装置の設計・製作にとくにかかわってきた。

 調査者は、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの施設を検証し、測定し、法医学的サンプルを採取し、デゲシュ社製害虫駆除室の設計とマニュアル、チクロンBの取り扱いマニュアル、処刑手順の資料を考察した。焼却棟Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳのオリジナル図面の複製も含む、考察の対象となった資料の大半は、あらかじめ購入され、ポーランドの現場で検証された。

03:考察の範囲

 本報告の考察の範囲には、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクで行なわれた物理的検証、そこで入手した量的データの検証、3つの博物館の職員が提供した文献の検証、博物館で入手した焼却棟Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの青写真のコピーの検証、デゲシュ社製害虫駆除室と施設(チクロンBガスを使った装置とマニュアルも含む)に関する資料の検証、問題の施設の稼働手順のついての記述の検証、調査対象となった焼却棟から採取されたサンプルの法医学的検証が入っている。

 さらに、この分野における調査者自身の知識と活動経験に由来する合衆国のガス室の設計と操作手順に関するデータ、および、合衆国の焼却棟と稼働方法の検証も、本報告の作成のために利用された。上記のデータすべてを使いつつ、調査者は、本研究の焦点を、以下の二点を裁定することに限定した。

(a) アウシュヴィッツⅠとビルケナウにおいてはチクロンBガスを、マイダネクにおいては一酸化炭素・チクロンBガスを使って大量殺戮を行なったとされている「処刑ガス室」の能力

(b) いわれているところの時間で、いわれているところの数の人間を焼却したとされている焼却棟の能力

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図3:循環装置を備えたデゲシュ社製害虫駆除室[Ludwig Gasner, “Verkehrshygiene und Schadlingsbekampfung,” Gesundheits-Ingenieur, 66(15) (1943), pp. 174ff.; cf. F.P. Berg, “Typhus and the Jews,” Journal of Historical Review, 8(4) (1988), pp. 433-481 (www.vho.org/GB/Journals/JHR/8/4/Berg433-481.html).]。このデザインは1930年代末と1940年代初頭に開発され、戦時中のドイツの標準となった。しかし、すべての強制収容所に設置されていたわけではない。強制収容所には往々にして、間に合わせの害虫駆除室が設置されていた。

04:梗概と分析結果

 筆者は、ガス室の稼働に関する設計の基準についての専門的な知識、焼却技術の調査、現代の焼却棟の調査にもとづいて、入手しうる文献を研究し、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの現存施設を検証・評価したのちに、処刑ガス室といわれている施設がそのようなものとして使われたという証拠をまったく発見することができなかった。さらに、これらの施設はその設計と建築様式ゆえに、処刑ガス室として使うことはできなかったにちがいないことを発見した。

 さらに、焼却棟施設を検証してみると、いわれているところの時間で、いわれているところの数の人間を焼却したという話とはまったく矛盾する証拠が登場した。それゆえ、検証の対象となった施設のどれ一つとして人間の処刑のために使われたことはなかった、焼却棟はいわれているところの作業効率と負荷を担うことはできなかったにちがいないというのが筆者の最良の技術的見解である。

05:方法

 本報告としてまとめられた研究と法医学的分析の手順は以下のとおりである。

1. 入手しうる資料の背景となる全体的研究。

2. 当該施設の現場検証と法医学的検証。そこには、物理的データ(寸法、建物情報)を採取すること、物理的サンプル資料(煉瓦とモルタル)――合衆国に持ち帰り、化学分析に回される――を入念に採取することが入る。

3. 文書に記録されている兵站学的データ、見ることができる(現場検証できる)兵站学的データの考察。

4. 入手したデータの編集。

5. 入手した情報を分析し、この情報を、実際のガス室と焼却棟の設計と建築様式、稼働のために必要な、既知の立証されている設計、手順・兵站学的情報と条件とを比較すること。

6. 現場で入手した資料の化学的分析の考察。

7. 入手した証拠にもとづく結論。

06:燻蒸殺虫剤としてのHCNとチクロンBの使用

 シアン化水素ガス(HCNもしくは青酸)は、第一次世界大戦以前から燻蒸殺虫剤として使われてきた。それは、スチームや温風と併用され、第二次世界大戦中は、合衆国とその同盟国によってDDTと併用された。

 HCNは一般的に、シアン化ナトリウムと希硫酸との化学反応によって作られる。この化学反応の結果、HCNが空気中に放出され、青酸(シアン化水素酸)が残留する。この反応は通常は、陶器製容器の中で行なわれる。

 この手順は、船舶、建物、特別に設計された部屋・建物の中での害虫駆除に利用されてきた。使用者(技師)の安全を保証するために、特別な設計と注意深い操作を守らなくてはならない。シアン化水素はあらゆる燻蒸殺虫化学製品の中でもっとも強力で、危険である。世界各地の軍事・衛生組織はすべて、この目的のために特別に建設・改築された建物を使ってきた。世界各地で、HCNは防疫、とくにペストとチフスの防疫、すなわち、ネズミ、ノミ、シラミの駆除のために使われてきた。

 ヨーロッパと合衆国では、第一次世界大戦以来、特別な部屋が使われてきた。ドイツ軍は戦前と戦時中にヨーロッパでこの部屋を使い、ニューヨーク港エリス島の合衆国移民局は、もっと早くから、この部屋を使っていた。この燻蒸害虫駆除室の多くは、ドイツのフランクフルト・アム・マインにあるドイツの会社デゲシュによって製造された。戦時中、デゲシュ社はチクロンBの配布も統括した。デゲシュ社は今でもHCNを製造している。

 チクロンBは、青酸を含んだ特別な商業製品である。「チクロンB」という名は、商標である。HCNは工場で生産され、木材パルプや珪素土(石灰土)でできた多孔性の媒体に吸収された形で提供される。円盤状、断片状、丸薬状で提供されていた。この製品は、特別な缶オープナーを必要とする気密缶に収められていた。この形でのHCN-チクロンBガスははるかに安全で、取り扱いが容易であった。チクロンBからはHCNが放出された。円盤状、断片状、丸薬状のものを、燻蒸処理の対象となる部屋の床に散布しなくてはならなかった。そして、室内は、華氏78.3度(セ氏25.7度)以上に暖められ、空気は循環された。木材や製品を燻蒸するために建物、船舶、テントの中で使う場合には、その区画は、HCNの沸点である25.7℃以上に暖められなくてはならない。そうしないと、燻蒸時間がはるかに長くなってしまう、燻蒸には最低24時間から48時間かかる。燻蒸後、区画の換気には、場所(と容積)にもよるが、最低10時間かけなくてはならない。燻蒸区画は、そこに入るまえに、ガスが残っているかどうか、化学的に検知されなくてはならない。ガスマスクを使用するが、それだけでは安全ではなく、10分以上使うべきではない。建物に、窓や換気扇のない場合にはもっと長くかかる。皮膚への毒の浸透を防ぐには、完全な化学スーツを着用しなくてはならない。気温が高いほど、その場所が湿っているほど、取り扱いは速やか、かつ安全となる。

 ガスの特性は表1にある。

表1:HCNの特性[See W. Braker, A.L. Mossman, Matheson Gas Data Book, Matheson Gas Products, East Rutherford 1971, p. 301; R.C. Weast (ed.), Handbook of Chemistry and Physics, 66th Ed., CRC Press, Boca Raton, Florida 1986, E 40.]

名前: HCN, hydrocyanic acid(シアン化水素酸), prussic acid(青酸)
沸点: 25.7°C/78.3°F at 760 mm Hg
比重: 0.69 at 18°C/64°F
Vapor density: 0.947 (air=1)
融解点:-31.2°C/8.2°F
蒸気圧:750 mm Hg at 25°C/77°F 1200 mm Hg at 38°C/100°F
溶解度:100%
外見:透明
色:わずかに青
臭い:苦いアーモンド、非常にマイルド、非刺激臭(臭いは、毒を検知する安全は方法ではない)
危険性:
1. 熱、アルカリ性資料、水に不安定
2. 20%の硫酸と混ぜると爆発する
3. 重合(分解)は熱、アルカリ性資料、水によって激しく生じる。反応が一度始まってしまうと、自触媒作用的に進み、コントロールすることができない。爆発する。
4. 引火点:-18°C/0°F
5. 自動発火点: 538°C/1000°F
6. 空気中での可燃限界: lower 6 vol.-%, upper 41 vol.-%

07:燻蒸施設の設計基準

 建物であるにせよ室内の部屋であるにせよ、燻蒸施設は同一の基本的必要条件にしたがわなくてはならない。気密可能なこと、暖房可能なこと、空気の循環・排出能力をともに備えていること、ガスの排出のための十分に高い煙突とガス(およびチクロンB)を均等に配分する手段を持っていることである。

 まず、今日部屋が使われるとしたら、この部屋は溶接され、不活性(樹脂)ペンキかステンレススチールかプラスチック(PVC)でコーティングされた耐圧室でなくてはならない。ドアの隙間は抗HCN資材(ピッチ・アスベスト、ネオプレン、テフロン)によって埋められていなくてはならない。建物の場合には、レンガ造りか石造りで、その内と外は不活性(樹脂)ペンキ、ピッチ、タール、アスファルトでコーティングされなくてはならない。ドアと窓の隙間は、ゴムを引いた布、ピーチを塗った布で埋められ、ネオプレンかタールで密閉されなくてはならない。どちらの場合にも、区画は非常に乾燥していなくてはならない。「密閉」という用語は、まず、施設からの漏洩を機械的に防止すること、次に、施設の多孔性の表面をチクロンBガスの充満による浸透から防止するという2つの意味を持っている。

 第二に、部屋や建物はガス発生装置、もしくはチクロンBや発生装置(発生装置は、部屋や建物が密閉されていれば、水で温められる)に温風を吹きかけ、温風とガスとを循環させるチクロンB散布システムを備えていなくてはならない。燻蒸に必要な混合気は3200ppmもしくは0.32%のHCNである。室内に障害物が置かれていてはならない。強力で、豊かで、絶えざる対流を引き起こす能力をもっていなくてはならない。

 第三に、部屋や建物は毒を含んだ空気とガスの混合気を排出し、それを新鮮な空気と置き換える手段を備えていなくてはならない。一般的には、これは、1時間あたり合理的な空気交換を可能とするのに十分な大きさを持った吸・排気バルブもしくはよろい戸つきの窓を持った排気ファンや吸気ファンを使って行なわれる。通常は、1立方フィート/分(cfm)強ファンと吸・排気装置を使って、30分での完全な空気交換すべきであり、1時間、もしくは2時間に、少なくとも2回、必要時間、稼働させるべきである。施設が大きいほど、このやり方は(利用できるファンの大きさのために)有効ではなくなり、数時間以上の排気が必要となる場合もあるであろう。

 排気は、建物から安全な距離を離れた地点、すなわち、空気の流れがガスを分散させることができるような地点で行なわれなくてはならない。通常は、建物から40フィートほどの高さであるが、建物が風を防ぐような場所にある場合には、もっと高い地点とするべきである。焼却装置が使われていれば、煙突の高さは数フィートでもかまわない。しかし、一般的には、HCNを焼却するコストは、短時間で処理しなくてはならない容量ゆえに、非常に高い。

 施設内の壁と空気、排気の温度は、HCNが施設の壁、床、天井、ならびに排気システムに凝結してしまうことを防ぐために、青酸の沸点(25.7°C/78.3°F)よりも、少なくとも10度高く保たれねばならない。温度が華氏79度以下であり、凝結が起ってしまったならば、塩素漂白剤かアンモニアで建物を洗浄しなくてはならない。前者の方がはるかに効果的である。これは、自動的か手動で壁に散布することで行なわれる。もし手動で行なうならば、保護服(普通はネオプレン製)を着用しなくてはならないし、技師は空気ボンベを使わなくてはならない。ガスマスクは安全ではなく、危険だからである。建物内部は、塩素漂白剤のガスが排気システムに残っている液体HCNを中性化させるまで、より長く換気しておかなくてはならない。建物内部は、水で洗浄し、次に使うまで、徹底的にモップがけし、乾燥しておかなくてはならない。

 さらに、HCNがすべて除去されたか調べるために、建物内部の空気を検査しなくてはならない。その検査はガス検知器か銅アセテート/benzidene テストによって行なうことができる。前者では、10ppmまでの数値が電気的に表示される。後者では、benzidene溶剤と銅アセテート溶剤の混合液が試験紙の中に染み込まされ、その試験紙はHCNが存在するとさまざまな青に変色する。

08:処刑ガス室の設計基準

 燻蒸施設の同じような必要条件の多くが処刑施設にも適用できる。しかし、一般的には、処刑施設の方が小さく、より効果的なものであろう。チクロンBは、概して、ガスを不活性媒体から取り出すのにかかる時間のために、処刑ガス室で使うには薦められない。今日まで、塩化ナトリウムと18%の硫酸をその場で化学反応させてガスを発生させるのが唯一の効果的な方法であった。最近、ガス発生装置の設計が完成されたが、まもなく、それは、ミズーリ州ジェファーソン・シティのミズーリ州立刑務所にある2つのガス室で使われるであろう。筆者がこの処刑ガス室の設計コンサルタントである。

 この発生装置は、電気的に暖められた水ジャケットを使って、円筒形の容器の中のHCNをあらかじめ沸騰させている。使用されるときには、HCNはすでに気化しており、バルブを介して室内に放出される。窒素爆発システムが、使用後に管を掃除する。処刑時間の合計は4分以下である。部屋は、15分のあいだで2分ごとの割合で、すなわち、15分のあいだで7回ほどの完全な空気交換が行われるように換気される。

 部屋は溶接されたスチール製かプラスチック(PVC)製であろう。ドアと窓は標準的な海軍耐水様式でなくてはならない。ドアは、シングルハンドル圧力スチールでガス気密される。照明装置・電気装置はすべて爆発に耐えられるものである。室内には、ガス配分管、液体HCNボトルのついたガス発生装置、心電計、死刑囚用の2つの椅子、10ppmまでを電気式に表示するガス検知器が設置されている。

 室内には致死性のガスが充満しているために、気体の漏れが室内方向に向かうように、室内の気圧の方が室外の気圧よりも低い。室内を10ポンド毎平方インチ(psi)という部分的圧力に維持する(操作上は、8psi+HCN2psi)はずである空気吸引システムが室内の気圧をコントロールする。室内の方が低い気圧は、outward ambientを標準として使うことで維持されている。このシステムは電気的にコントロールされており、17.7 cfm排気量の真空ポンプで維持されている。さらに、室内の圧力が12psi、操作リミットを3psiを上回った場合に、緊急システムを作動させる圧力スイッチが付けられている。

 吸・排気システムは2分ごとに空気交換を行えるように設計されている。空気は部屋の吸気口の2000+cfmファンによって供給され、部屋の天辺から排出される。吸気バルブ、排気バルブはともに、真空圧による損失を防ぐために内側に閉じていく型であり、排気バルブがまず開くように電気的に時間調整されている。内部のガスは高さ40フィート直径13インチのPVC製のパイプを介して、風によって安全に分散される地点で排出される。吸気はあらかじめ暖めておかなくてはならないが、それは、HCNが凝結して排出を免れてしまうのを防ぐためである。

 安全のためにガス検知器が使われている。まず、安全となるまでドアを開くのを電気的に防ぐようにする室内において、ついで、証人や職員のいる区画のある室外において。ここでは、証人を保護するため、処刑を中断するため、部屋を換気するために警報を鳴らして、排気・吸気システムを作動させる。安全システムには、警告ベル、ブザー、ライトもある。

 さらに、特別呼吸装置(空気タンク)、特別HCN救急セット、HCN用の緊急治療装置がガス室区画で、人工呼吸器が、医療職員のための隣接区画で、それぞれ利用可能である。

 処刑ガス室を設計するにあたっては、数多くの複雑な問題を考慮しなくてはならない。どの区画におけるミスであっても、証人や技師たちを死亡させたり、負傷させたりする可能性がある、もしくは、そのようなことが起るかもしれないからである。

09:1920年以降の合衆国の処刑ガス室

 処刑目的のガス室がはじめて作られたのは、1920年、アリゾナにおいてである。それは、ガスケット処理されたドア、窓、ガス発生装置、耐爆発電気システム、吸・排気システム、吸気にアンモニアを付加する装置、ガス発生装置と換気装置を作動させる機械的手段を備えた気密室であった。吸気装置には機械的に操作するいくつかのバルブが付いていた。今日まで、ハードウエアだけはほとんど変わらず残っている。

 ガス発生装置は、機械的に作動する解除レバーの付いた、希硫酸(18%)溶液の入った陶器の容器からできていた。部屋は処刑後にアンモニアを使って、ごしごしと洗浄されなくてはならなかった。また、処刑された人も同様に洗浄された。25-13グラムほどのシアン化ナトリウムの丸薬が使われ、600立方フィートの部屋で3200ppmの濃度のガスを発生させた。

 1920年以降、その他の州もHCNガス室を処刑手段として採用し、設計技術も変化した。Eaton Metal Productsが多くのガス室を設計・建設・改良した。その大半は二つの椅子を備えており、室内の気圧を室外の気圧よりも低く設定し、室内方向への空気の漏れだけを許すような空気圧調整システムをもっていた。すべてのシステムは、ガス発生装置という技術を採用していた。それが、1960年代末まで、もっとも効果的でシンプルなやり方であったからである。チクロンBを使用するように設計された、もしくはチクロンBを使用したシステムは一つも存在しなかった。

 その理由はきわめて単純であった。チクロンBは不活性の媒体からHCNを放出する(もしくはわきださせる)には非常に長くかかり、温風と温度良性システムを必要としたからである。ガスは即座に発生されないだけではなく、爆発の危険がいつも存在する。

 全体的なガス混合気は、最低爆発限界(LEL)=0.32%のガス混合気(混合気は通常3200ppmを越えるはずはないので)よりも低い濃度であるが、発生装置のガスの濃度(不活性の媒体のチクロンBの場合にも)ははるかに高く、90から99 Vol.-%となるかもしれない。ほぼ、純粋なHCNに近く、この状況は室内の容器が使用されるそのときにまさに存在するであろう。

(ガス放出は厳格な物理的プロセスであるので)チクロンBの場合には、周期の気温もしくは温風の温度をかなり高く設定し、人為的にコントロールされなくてはならない。一方、ガス発生装置の場合には、温度は低く設定でき、発生装置の中での反応はいったん始まってしまえば自己触媒的に進むので、コントロールできない。電気的接触とスイッチは、室外においても、最小限に保たれなくてはならない。1960年代以降にやっと開発された技術によって、これまでの施設の中でもっとも先進的な施設となる予定であったミズーリのシステムが、液体HCN用のガス放出・供給システムを利用して、処刑後の青酸残余物を取り扱い、処理する危険性を取り除くことができるようになっている。

 表面的には、チクロンBは、ガス供給と青酸残余物問題を解決するもっとも効果的な手段であったように見えるが、実際には、問題の解決とはならなかった。事実、チクロンBの使用によって、処刑時間が長くなり、したがって、危険なガスをあつかう時間が長くなってしまった。また、暖める必要があったので、爆発の危険性も増してしまった。これを解決する手段は、デゲシュ社製の害虫駆除装置が行なっていたように、ガスを室外にポンプで出して、外部でガスを暖め、暖められたガス混合気を室内に戻すというやり方であったかもしれないが、このやり方は、ガス漏れという別の大きな危険性を高め、利用者を危険にさらすだけであったろう。圧力をかけられた部屋の外にガスを出してしまうのは、設計上マイナスであるし、きわめて危険だからである。デゲシュ社の装置は、戸外か、十分に換気がなされている区画で、訓練を受けた職員の立会いの下で――訓練を受けていない人々は立ち会っていない――使われるようになっていた。

 合衆国では、アリゾナ、カリフォルニア、コロラド、メリーランド、ミシシッピ、ミズーリ、ネバダ、ニューメキシコ、ノースカロライナが、ガスを処刑手段として使ってきた。しかし、ガスの取り扱いには危険が付きまとい、装置の維持費用も高いために、いくつかの州(ネバダ、ノースカロライナ、ニューメキシコ)は、致死性の注射を、唯一の処刑手段、もしくは代替手段として法制化している。おそらく、他の州もこれにならうであろう。本報告の筆者はミズーリ、カリフォルニア、ノースカロライナ州のコンサルタントであった。

 いずれにせよ、HCNガスの製造コストは高く、装置も大がかりで、維持コストも高いために、ガスは過去においても、そして、現在でも、もっとも高価な処刑手段である。

10:HCNガスの毒性効果

 医学実験は、空気中300ppmの濃度のシアン化水素ガスは急速に死をもたらすことを明らかにしている。一般的には、処刑目的のためには、3200ppm濃度が、すみやかな死をもたらすために使われている。これは、気温と気圧によるが、おおむね、重さ120-150g、容積2立方フィートのガスである。HCN200ppmほどは、30分以内で致死的である。毒性効果は「肌荒れ、発疹、目の痛み、目のかすみ、目の負傷」、「速い呼吸、血圧低下、失神、痙攣、死」、「窒息、呼吸困難、運動失調、昏睡、酸素代謝の中断による死」である。

 青酸による死亡は、何も呼吸だけにかぎらない。50ppm以上の濃度にあっては、作業員は身体を守るために化学的防護服を着て、ボンベの空気を呼吸しなくてはならない。概して、ガスマスクには効果がなく、それを利用すべきではない。特別救急セットと医薬品を使えるようにしておき、人がガスに触れる可能性のあるところにはどこにでも備えておくべきである。

11:「ドイツの処刑ガス室」概史

 筆者が利用可能な資料にもとづくと、ドイツ人は処刑目的のための大規模(3人以上の被処刑者)ガス室を1941年後半に建設し、1944年末まで利用し続けたことになっている。

 アウシュヴィッツⅠの地下室での「最初のガス処刑」にはじまり、赤い家・白い家もしくはブンカー1と2として知られているビルケナウ(アウシュヴィッツⅡ)の改築された二軒の農家、アウシュヴィッツの焼却棟Ⅰ、ビルケナウの焼却棟Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、マイダネクの実験的施設――これらの施設はチクロンBというかたちでの青酸をガスとして使っていたという。マイダネクは一酸化炭素も使っていたという。

 アウシュヴィッツとマイダネク国立博物館で手に入れた公式文献によると、これらの処刑施設は、工業地帯の中心に建設された強制収容所の中に位置し、その囚人は軍需物資を生産する工場に強制労働を提供した。これらの施設には、「処刑された人々」の死体を処理する焼却棟もあったという。

 これに加えて、一酸化炭素だけを処刑ガスとして使った施設がベウゼック、ソビボル、トレブリンカ、ヘウムノ(ガス車)にあったという。これらの施設は第二次世界大戦中か戦後に破壊されたことになっているので、検証は行なわれず、本報告の直接のテーマではない。

 しかし、一酸化炭素ガスのことをここで少し考察しておこう。一酸化炭素ガスは、死をもたらすまでにはかなりの時間がかかる、おそらく30分ほど、空気循環が乏しければ、もっと長い時間がかかるために、処刑ガスとしては、比較的効率の悪いガスである。一酸化炭素を利用するには、4000ppmの量が必要であり、この一酸化炭素によって室内気圧は2.5気圧ほどまで高くなってしまう。さらに、二酸化炭素の利用も考えられた。二酸化酸素は一酸化炭素よりももっと効率的ではない。これらのガスを作り出したのはディーゼル・エンジンであったという。ディーゼル・エンジンの作り出す排気ガスには、一酸化炭素は非常に少なく死をもたらすのに十分なガスを提供するには、処刑ガス室の気圧をガス混合気で高めなくてはならない。

 3000ppmもしくは0.30%の一酸化炭素に1時間さらされると、吐き気や頭痛を起こす。4000ppm以上の濃度であれば、1時間以上さらされると、死に到るであろう。筆者の見解では、9平方フィート弱(収容者の周囲にガスを循環させるのに必要な最低面積)を占有する人々が収容される室内にいる人間は、注入されたガスが効果を発揮するかなり前に、自分たちが空気を使い尽くしてしまうために、窒息死してしまう。それゆえ、閉ざされた空間の中に囚人を押し込めてしまえば、そもそも、外から一酸化炭素や二酸化炭素を注入する必要がなくなってしまうのである。

 アウシュヴィッツⅠ(焼却棟Ⅰ)とマイダネクの「処刑施設」は、オリジナルなかたちで現存しているといわれている。ビルケナウでは、焼却棟Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴは崩壊しているか、土台だけが残っている。ブンカーⅠ(赤い家)は現存しておらず、ブンカーⅡ(白い家)は復旧され、個人住宅として使われている。マイダネクでは、当初の石油燃料焼却棟は取り除かれ、「ガス室」を備えた焼却棟に改築されたが、炉だけがオリジナルであるという。

 アウシュヴィッツの焼却棟Ⅰ、ビルケナウの焼却棟Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、マイダネクの現存の焼却棟は、焼却棟とガス室が結び合わされた施設だといわれている。ビルケナウの赤い家と白い家は、ガス室だけであったという。マイダネクでは、実験的ガス室は焼却棟に隣接しておらず、別個の焼却棟――現存していない――が存在したという。

12:「処刑ガス室」の設計と手順

 入手しうる歴史資料と施設自体の調査を通じて、「処刑ガス室」の大半は、初期の設計、目的、構造から改造されたものであることがわかる。ガス処刑施設として特別に建設されたとされるマイダネクのいわゆる実験的部屋はまさに例外である。

 ブンカーⅠとⅡは、アウシュヴィッツ国立博物館の文献では、いくつかの部屋と密閉された窓を持つ改造された農家として描かれている。オリジナルな状態のままでは残っておらず、検証されなかった。歴史的に、焼却棟Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴは、改造された死体安置室、死体置き場――焼却棟としての同じ施設の中にある――として描かれており、実地調査しても、そのようなものであったことが検証された。これらの建物を実地調査してみると、これらの施設を処刑ガス室として使うとすると、きわめて貧弱かつ危険な設計であることが明らかとなった。気密ドア、気密窓、気密換気口の装置もない。建物は、ガス漏れやガスの吸収を防ぐためにタールその他の密閉剤でコーティングもされていない。隣接する焼却棟は爆発の危険にさらされている。  

 ガスにさらされた多孔性の煉瓦とモルタルはHCNを蓄積し、これらの施設を何年間も人間にとって危険なものとするであろう。アウシュヴィッツでは焼却棟Ⅰは病院と隣り合わせであり、その床の排水口は収容所の主要下水システムと結びついている――このために、施設のすべての建物にガスが流れ込むことになっている。使用後にガスを排出するための排気システムはまったく存在しない。チクロンBを導入・放出させるための暖房装置、散布装置もまったく存在しない。チクロンBは屋根の換気口から落とされた。もしくは窓から投げ込まれた。とされているが、それでは、ガスや丸薬を均等に散布することはできない。施設はいつも湿っており、暖められていない。前述したように、湿気とチクロンBは両立しがたい。

 部屋は、いわれているところの数の収容者を収容するには物理的に狭すぎ死体の除去を難しくしたことであろう。収容者で満杯の部屋では、HCNはまったく循環しなかった。さらに、ガスが長時間部屋に充満していたとすれば、屋根の換気口にチクロンBを投げ込んだ作業員、収容者の死を確認した作業員もHCNにさらされるために、死んでしまったことであろう。害虫駆除室は何年間も安全に稼働していたが、「ガス室」のどれ一つとして、この害虫駆除室の設計とマッチしたかたちで建てられていない。また、「ガス室」のどれ一つとして、この当時合衆国で稼働していた施設の既知で立証済みの設計とマッチしたかたちで建てられていない。これらの「ガス室」を設計したとされる人々が、この当時唯一ガスで囚人を処刑していた合衆国の技術を参照・考慮しなかったとすると、それは尋常なことではないと思われる。

 マイダネクの施設も同様に、いわれているところの目的を果たすことはできない。第一に、「ガス室」を備えて改築された焼却棟についてであるが、改築以前に存在した建物の部分だけが焼却炉であった。建物は改築されたが、その計画は実在していない。施設の建築様式では、「ガス室」の中にガスを閉じ込めておくことはできなかったにちがいないし、部屋自体も、いわれているところの数の犠牲者を収容するには小さすぎる。建物は湿っており、気温も低いので、チクロンBを効果的に使うことができなかった。ガスは炉に達してしまい、作業技師全員を殺してから、爆発を引き起こし、建物を破壊してしまったであろう。最後に、注入コンクリートという建築様式が、施設のあるほかの建物と非常に異なっている。

 手短にいえば、この建物を、いわれているところの目的のために使うことはできなかったし、この建物はガス室に関する最低限の設計基準を充たしていない。

 マイダネクの第二の施設は、図面上ではU字型の建物であるが、実際には、別々の二つの建物である。この施設は、入浴・害虫駆除建物1と2と呼ばれている。一つの建物はまさに害虫駆除施設であり、ビルケナウにおいて害虫駆除施設と認められている建物と同じように設計されている。二番目の建物は少々異なっている。建物のフロント部分にシャワー室と「ガス室」がある。この部屋には青いしみが残っているが、それは、ビルケナウの害虫駆除施設にある青いしみと同一のものである。この部屋の屋根には、害虫駆除処理が終わったのちに、部屋を換気する二つの換気口がある。それゆえ、チクロンBは手で床におかれたことになるので、明らかにこの部屋は処刑室ではない。この部屋は空気を循環させる装置も、換気煙突も備えていない。

 この建物は他の施設と同様に、処刑ガス室として設計されたわけでもないし、そのように使うこともできない。この建物の後部に実験的ガス室がある。この区画には、屋根つき通路、コントロール室、ガス室として使われたといわれている二つの部屋がある。三番目の部屋は封印されており、調査できない。この部屋は、二つとも、コントロール室からコントロールされる一酸化炭素を使うためとされるパイプを備えているという点でユニークである。一つの部屋は、天井のところに換気口となる可能性のある穴を持っているが、それは、屋根を穿ちぬいてはいなかった。もう一つの部屋は温風を室内に送り込む温風循環システムを備えている。この循環システムの設計は効率的ではない。吸気口と排気口の位置が近すぎるために、効果的に稼働しないし、換気装置も備えていない。二つの部屋双方に注目すべき点は、4つのスチール製ドアにはねさぎ用の切り込みもしくは溝のようなものが刻まれていることである。この二つの部屋ではチクロンBもしくは一酸化炭素が使われたという話になっているが、そのようなことはありえない。

 二つの部屋のうち一つは完成しておらず、そこで一酸化炭素を使うことはできなかったにちがいない。また、たとえHCNが使われたという話であったとしても、そのような設計にもなっていない。大きいほうの部屋はHCN用に設計されていない。「実験的」という標識がドアにかかっているにもかかわらず、この部屋は一酸化炭素による処刑を遂行することができなかったであろう。必要とされる2.5気圧もとで4000ppm(致死濃度)の一酸化炭素を提供しなくてはならなかったからである。この二つの部屋はともに、換気、暖房、空気循環、空気漏の対処に必要な設計にマッチしていない。内側外側から密封剤でコーティングされている煉瓦、漆喰、モルタルはどこにもない。

 この建物群のもっとも注目すべき特徴は、その三方がくぼんだコンクリートの通路で囲まれていることである。これは、聡明なガス処理設計とはまったくマッチしていない。漏れてきたガスはこの壕に堆積し、風から守られているために、分散しないであろう。このために、とくにHCNにあっては、この区画が死の落とし穴となってしまうであろう。

 それゆえ、筆者は、この施設には、たとえ限定的にではあっても、HCNガスを使用する目的がまったくなかったと結論せざるをえない。

13:焼却棟

 新旧双方の焼却棟を考察するのは、ドイツの焼却棟がその与えられた課題を果たすにあたってどのような機能を持っていたのかを検証するためである。

 死体の焼却は新しいコンセプトではない。何世紀にもわたって、数多くの文化が死体を焼却してきた。数千年前からも行なわれていたにもかかわらず、カトリック教会が認めようとしなかったために、近年では、教会の反対が緩やかになった18世紀後半になるまで行なわれなかった。

 正統派のユダヤ教も焼却を禁止していた。1800年代初頭までに、ヨーロッパでは焼却が限定的にではあるが、ふたたび行なわれるようになった。焼却は、疫病の流行を防ぎ、密集地域で有効な土地を確保し、地面が凍結する冬期に死体を保管しなくても良いという利点を持っている。ヨーロッパの初期の焼却棟は、石炭・コークス燃料の炉であった。

 死体焼却用の炉は、的確にもレトルトと呼ばれている。初期のレトルトは、死体からすべての水気を奪い、灰に変えてしまう炉にすぎなかった。骨は燃え尽きることはなく、今日でも、砕かなくてはならない。初期には臼とすりこぎが使われていたが、今では、破砕機がそれに代わっている。現代のレトルトの大半はガス燃料式であるが、オイル燃料式も少しは残っている。合衆国とカナダでは、石炭・コークス燃料式のものは一つもない。

 初期のレトルトは乾燥・焼却釜にすぎず、たんに、死体を乾燥・焼却した。金属で煉瓦を覆った金属製の現代のレトルトは実際に、ノズルから炎を死体に吹きかけて火をつけ、すみやかな燃焼・焼却を行なっている。現代のレトルトは、燃焼してガス化した物質の中の汚染物質をもう一度燃やすための二番目のバーナーもしくはアーフターバーナーも備えている。大気汚染を監視するさまざまな州当局が、この二番目のバーナーの設置を課している。死体が汚染に責任があるわけではないことを指摘しておかなくてはならない。汚染を引き起こすのは、ひとえに、使われた化石燃料である。コストは非常に高くつくが、電気式レトルトならば、汚染物質を生み出すことはない。

 これらの現代のレトルトは華氏2000度で燃焼し、華氏1600度のアーフターバーナーを備えている。この高温のために、死体はそれ自身で焼き尽くされ、バーナーの停止を可能とする。過去においてはそうではなかったが、今日では、木の棺と紙の箱は死体と一緒に焼却され、高温のために、そのことで時間がかかることはない。ヨーロッパの焼却棟には、昔からの低音800℃(華氏1472度)で稼働し、作業時間も長いものがある。

 現代のレトルトは、華氏2000度で稼働し、外部から2500cfmの空気を提供されることで、1体を1.25時間で焼却する。理論上は、24時間で19.2体である。製造元の推奨する正常稼働・持続使用は1日に3回もしくはそれ以下の使用である。旧式のオイル・石炭・コークス炉――強制送風空気(炎が直接死体にあたるわけではない)――では、通常、1体につき3.5時間から4時間かかる。

 理論上は、最大で、24時間に6.8体を焼却できることになる。通常の稼働は、最大で24時間に3回の焼却を可能としている。これらの計算は1回の焼却あたり1レトルトあたり1体にもとづいている。これらの現代のレトルトは、すべて金属製であり、高品質の耐火煉瓦で覆われている。燃料はポンプによって直接レトルトに送り込まれ、すべてが電気式かつ自動コントールである。石炭・コークス燃料炉は、均等な温度(最大華氏1600度ほど)で燃えないので、絶えず手動で燃料を追加し、制御しなくてはならなかった。死体に炎が直接あたるわけではなかったので、送風器だけが炎を燃え立たせ、釜の温度を上げた。この粗雑の稼働方法で生み出される熱は、華氏1400度ほどであったろう。

 検証の対象としたドイツの施設で使われていた焼却棟は旧式のものであった。それは、赤レンガとモルタルでできており、耐火煉瓦で覆われていた。すべての炉はいくつかのレトルト=燃焼室を持っており、送風器のついたものもあった(死体に直接炎をあてる装置は一つもない)が、どれ一つとしてアーフターバーナーを備えておらず、コークス燃料式であった(マイダネクの現存していない一つの施設だけが例外)。現場での検査・検証の対象としたレトルトはどれ一つとして、同時に何体かの死体を焼却できるようには設計されていなかった。焼却対象となる死体の焼却に必要な熱量が適切に供給されるように特別に設計されていなければ、そのレトルトは、中の資材を焼き尽くしえないことを指摘しておかなくてはならない。1焼却あたりの1レトルトにつき1体の焼却時間の算出にもとづく、24時間あたりの理論上の能力推定値と実際の能力推定値は表2にまとめてある。

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14:HCN、シアン化合物、焼却棟の法医学的考察

 前述したように、ポーランドの現場から、煉瓦、モルタル、コンクリート、堆積物の法医学的サンプルを選択的に採取した。シアン化物とシアン化合物は当該の場所に長期間残っており、もしも、他の化学物質と反応していなければ、煉瓦とモルタルの周囲に移動しているであろう。

 31のサンプルが焼却棟Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの「ガス室」から選択的に採取された。基準サンプルはビルケナウの害虫駆除施設1から採取された。基準サンプルは、シアン化物が使用されたことが知られており、今日でも青いしみを残している場所にある害虫駆除室から採取された。基準サンプル32の化学実験は、非常に高い濃度1050 mg/kgのシアン化物を示した。これらのサンプルが採取された区画の条件は、基準サンプルの条件と同等で、冷たく、暗く、湿っていた。焼却棟ⅣとⅤだけが、この場所(建物は崩壊している)に太陽があたり、太陽光線は合成されていないシアン化物の破壊を促してしまうという点で異なっていた。 シアン化物はモルタルと煉瓦の中で鉄と結びつき、非常に安定した鉄シアン化物である第二鉄・第一鉄シアン化合物もしくはプロシアン・ブルーとなる。

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 特筆すべきは、ほぼすべてのサンプルがネガティブで、少数のポジティブなサンプルも検出最低レベル(1 mg/kg)に非常に近いことである。 さらに、青いしみの区画には、高い濃度の鉄分――もはや青酸ではな基準サンプルが1050 mg/kgであることと比較すると、これらの場所で十分な数値が検出されなかったことは、これらの施設が処刑ガス室ではなかったことを確証している。少量が検出されたことは、これらの建物でも、収容所のその他の建物と同じように、チクロンBによる害虫駆除が行なわれたたことを示している。

 さらに、青いしみの区画には、高い濃度の鉄分――もはや青酸ではなく、第一鉄・第二鉄シアン化物――がみられる。

 「処刑ガス室」で採取されたサンプルには(そこで使用されたといわれるガスが大量であるために、基準サンプルからよりも、高い濃度のシアン化物が検出されると予想できるであろう。実際は、その逆の分析結果となっているために、検証によって入手しえたその他の証拠と勘案すると、これらの施設は処刑ガス室ではなかったと結論せざるをえない。

 焼却棟の機能についての証拠は、焼却棟Ⅰの炉はまったく再建されたもの、焼却棟ⅡとⅢは部分的に破壊されており、構成部品は失われている、焼却棟ⅣとⅤは失われているので、現存していない。マイダネクでは、焼却棟の一つはまったく失われており、もう一つは、炉以外は再建されたものである。メモリアルとして展示されているマイダネクの灰の山を実際に見てみると、その色は奇妙にもベージュである。(筆者自身の観察によると)、実際の人骨は牡蠣の灰色である。メモリアルとして展示されているマイダネクの灰の山には砂が混ざっているのであろう。

 さらに、筆者はこの節で「焼却壕」についても考察する。

 筆者は個人的にビルケナウの焼却壕を調査し、その写真を撮った。特筆すべき点は、これらの壕の水位が非常に高いこと、1.5フィートほどであることである。歴史文献によると、これらの壕の深さは6m(19.55フィート)であった。水の下で死体を焼却することは、たとえ人工的な促進剤(ガソリン)を使ったとしても、不可能である。博物館が公式にあげている壕の場所すべてを調査したところ、ビルケナウは湿地帯に建設されているために、この場所は地面から2フィート掘れば水が出てくる。だから、ビルケナウには焼却壕は存在しなかったというのが筆者の見解である。

15:アウシュヴィッツ、焼却棟Ⅰ

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図4:オリジナル状態のアウシュヴィッツⅠ/中央収容所の焼却棟Ⅰ平面図
のちに、死体安置室は「ガス室」として使われたといわれた[J.-C. Pressac, op. cit. (note 35), pp. 151, 153]。
1:前室 2:配列室 3:洗浄室 4:死体安置室 5:炉室 6:石炭貯蔵室 7:骨室

 焼却棟Ⅰにある公式に処刑ガス室とされている部屋を詳細に研究し、博物館職員から手に入れた現存の青写真を詳細に分析してみると、「ガス室」は、「ガス処刑」が行なわれていたとされている時期には死体安置室、のちには防空シェルターであったことがわかる。本報告の筆者が作成した図面は、1941年9月25日から1944年9月21日の時期の状態を復元したものである。約7680立方フィートの死体安置室には二つの出入り口があるが、いずれも外から開けることのできるドアを備えていない。一つの出入り口は炉室に、もう一つの出入り口は洗浄室に向かっている。二つに出入り口にはドアがなかったと思われるが、壁の一つと出入り口の一つが除去されているために、検証できなかった。特筆すべきは、アウシュヴィッツ博物館公式ガイドブックは、この建物が1945年1月27日の解放の時点と同じ状態のまま残っていると述べていることである

 死体安置室の区画には、4つの屋根の換気口と1つの暖房用煙道がある。この煙道は開いたままであり、閉じられたことがある証拠はまったくない。屋根の換気口は密閉されておらず、まだ新しい木造であるので、最近作り直されたものであることを示している。壁と天井は漆喰であり、床はコンクリート敷きである。床面積は844平方フィート。天井は梁で支えられ、床には、防空壕の壁が取り除かれた痕跡が残っている。照明は、昔も今も抗爆発性ではない。部屋の床には排水口があり、それは、中央収容所の排水・下水システムとつながっている。ガスの循環を可能にする面積を一人あたり9平方フィートとすると――これでも、過密であるが――、この部屋に一時に収容できるのは最大94人であろう。しかし、600人もの人員を収容したという話になっている。

 前述したように、「処刑ガス室」は、そのようなものとして使われるようには設計されていない。この施設には排気システムや、どのようなものであれ、換気扇が付いていたという証拠はない。「処刑ガス室」の換気システムは、屋根から2フィート以下の4つの四角の排気穴だけである。

 このようなやり方でHCNガスを排出すれば、道のすぐ向こう側にあるSS病院にガスが到達し、患者や職員が死んでしまったにちがいない。この建物には、ガス漏れを防ぐ密閉剤がほどこされていない。炉室にガスが漏れるのを防ぐガス気密ドアを備えていない。排水設備は、ガスが収容所のすべての建物に浸透してしまうのを許してしまうようなものである。暖房システムもない。空気循環システムもない。排気システムもしくは換気煙道もない。ガス散布システムもない。室内はつねに湿っている。室内に大量の人が押し込まれているために、空気循環がない。チクロンB資料を効果的に投下する手段がない。こうした事実のために、この死体安置室を処刑ガス室として使用することはまったくの自殺行為であろう。ガス爆発が起こってしまうか、収容所全体にガスが漏れてしまうであろう。

 さらに、部屋がこのように使われたならば(100立方フィートあたり4オンスもしくは0.25ポンド)、30.4オンスもしくは1.9ポンドのチクロンBガス(チクロンBの総量はチクロンBガスの3倍である、チクロンBの数字はすべてガスだけのものである)が(ドイツ政府の燻蒸数字にもとづくと)、そのつど華氏41度で16時間使われたことであろう。さらに、少なくとも20時間の換気を行ない、室内が安全かどうかを調べるためにテストも実施しなくてはならない。排気システムがなければ1週間でガスを除去できたかどうかも疑わしい。

 このことは、この部屋が1日に数回ガス処刑のために使われたという話と矛盾している。

 焼却棟Ⅰと「処刑ガス室」の最大処理能力の理論値と実際値は表4にまとめてある。

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16:ビルケナウ-焼却棟Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ

 これらの焼却棟を詳細に検討すると次のような情報が得られた。

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図5:アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)の焼却棟Ⅱと焼却棟Ⅲ(対称形)の死体安置室Ⅰ(「ガス室」)の平面図[J.-C. Pressac, op. cit. (note 35), pp. 319-329]
a:死体安置室1(「ガス室」)30×7×2.41m
b:死体安置室Ⅱ(「脱衣室」)49.5×7.9×2.3m
c:死体安置室Ⅲ(のちに分割された)
d:死体を地上の炉室に運ぶエレベーター
e:換気口
f:コンクリートの支柱
g:コンクリートの梁
h:のちに付け加えられた地下室への入り口
1-3:ルドルフ報告のためにサンプル1-3が採取された場所
図6:アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)の焼却棟Ⅱと焼却棟Ⅲ(対称形)の死体安置室Ⅰ(「ガス室」)の立体図[J.-C. Pressac, op. cit. (note 35), pp. 319-329]
① :換気口 ②:吸気口 ③:地面

 焼却棟ⅡとⅢはいくつかの死体安置室とそれぞれ15の燃焼室を持つ炉からなる対称型の施設であった。死体安置室は地下に、炉は地上にあった。死体安置室から炉に死体を運ぶにはエレベーターが使われた。掲載した図面は、アウシュヴィッツ国立博物館で手に入れたオリジナル青写真と現場での観察・測量にもとづいている。建物資材は煉瓦、モルタル、コンクリートである。

 調査した区画は、二つの図面で死体安置室1と呼ばれている「ガス室」であった。焼却棟Ⅰと同じように、換気システムも[間違い]、暖房システムも、空気循環システムも、内外からの密閉剤も、さらには焼却棟Ⅱの死体安置室にはドアもない[間違い]。筆者はこの区画を調査したが、ドアやドア枠の証拠をまったく発見できなかった。しかし、焼却棟Ⅲについては、建物の一部が失われているので、そのような裁定をすることができなかった。二つの死体安置室とも、鉄筋コンクリートの屋根を持っているが、はっきりとした穴の痕跡はない。さらに、中空のガス注入柱についての証言は間違っている。すべての柱は、捕獲されたドイツ側図面にもあるように、中空ではない鉄筋コンクリート製である。屋根の換気穴は気密処理されていない。これらの施設をガス室として使えば非常に危険であり、作業員は死んでしまい、ガスが炉室に達すれば爆発が起こることになる。各施設には2.1m×1.35mの死体搬送エレベーターがある。1つの死体と一人の同乗者だけを載せることができるスペースしかなかった。

 焼却棟Ⅱ、Ⅲそれぞれの「ガス室」の広さは2500平方フィートであった。1名あたり9平方フィートが必要という説にもとづくと、278名収容できることになる。もしも部屋が必要とされるHCNガス(1000立方フィートあたり0.25ポンド)で満たされ、天井の高さが8フィートで、容積が20000立方フィートであるとすると、5ポンドのチクロンBガスが必要となる。さらに、(焼却棟Ⅰと同じように)、換気するには少なくとも1週間かかるとする。この換気時間も疑わしいが、処理能力を計算するには役に立つであろう。焼却棟Ⅱ、Ⅲと「処刑ガス室」の最大処理能力の理論値と実際値は表5にまとめてある。

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図7:アウシュヴィッツ/ビルケナウ収容所の焼却棟ⅣとⅤ(対称形)の北の側面図(上)と平面図(下)[J.-C. Pressac, op. cit., p. 401]
1: いわゆる「ガス室」; 2: いわゆるチクロンB投下ハッチ; 3: 暖房炉; 4: 石炭室; 5:医務室; 6: 死体安置室; 7: 換気煙突; 8: 下水道; 9: 炉室; 10: 焼却炉

 焼却棟ⅣとⅤは対称形の施設であり、それぞれ4つの燃焼室をもつ二つの炉、死体安置室、事務室、倉庫として使用される数多くの部屋から成っていた。内部の部屋は対称形となっていない。いくつかの部屋がガス室として使われたという。建物はかなり昔に崩壊したので、現状から多くのことを確定することはできない。土台や床には密閉剤が使われていた痕跡はない。目撃証言によると、チクロンBの丸薬は、今日では現存していない壁の穴から投げ込まれたという。建物の図面が正しいとすると、これらの施設も、焼却棟Ⅰ、Ⅱ、Ⅲについて述べたのと同じ理由から、ガス室ではなかった。建物は赤煉瓦とモルタルで、床はコンクリートであり、地下はない。焼却棟ⅣとⅤに焼却・処刑施設が実在していたとは確証されていないことを指摘しておかなくてはならない。

 アウシュヴィッツ博物館から入手した数値、および焼却棟ⅣとⅤの「ガス室」区画についての現場測定、天井の高さ8フィートを勘案すると、見積もりの数値は次のようになる。

焼却棟Ⅳ

1875平方フィート、収容人員209名。15000立方フィート、1000立方フィートにあたり0.25ポンドの割合で3.75ポンドのチクロンBガスを使用。

焼却棟Ⅴ

5125平方フィート、収容人員570名。41000立方フィート、1000立方フィートにあたり0.25ポンドの割合で10.25ポンドのチクロンBガスを使用。

焼却棟Ⅳ、Ⅴと「処刑ガス室」の最大処理能力(1週間の換気)の理論値と実際値は表6にまとめてある。

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ブンカーⅠ、Ⅱとも呼ばれる赤い家と白い家はガス室としてだけ使われていたという話であるが、この建物について入手しうる見積もり数値の情報がない。

17:マイダネク

 マイダネクにはいくつかの興味深い施設がある。現在では取り除かれているオリジナルの焼却棟、再建された「ガス室」付きの焼却棟、明らかに害虫駆除室である入浴・害虫駆除建物2、シャワー室・倉庫「実験的CO・HCNガス室」を備えた入浴・害虫駆除建物1である。

 現在では取り除かれている最初の独立した焼却棟については前述した。入浴・害虫駆除建物2は中に入ることはできないが、窓越しの調査では、ビルケナウの害虫駆除施設と似た害虫駆除施設にすぎなかった。再建された焼却棟と「ガス室」についても、すでに検討したが、もう一度手短に考察しておこう。炉は、再建されていないオリジナル施設の一部にすぎない。建物の基本は、マイダネクのその他の施設(実験的ガス室は除く)と同じく、木造のようにみえる。しかし、丹念に観察してみると、建物の大半は、収容所の他の施設とは異なって鉄筋コンクリート製であることが分かる。「処刑ガス室」は、HCNガスを満たす手段をまったく持たない焼却棟と隣り合っている。

 建物は密閉されておらず、「ガス処刑」という目的のためには役に立たないであろう。現存していないオリジナル計画に沿って再建されたとの話であるが、この建物は物理的には、せいぜいいくつかの死体安置室を備えた焼却棟にすぎないように見える。それは、すべての部屋の中で、もっとも小さく、もっとも重要でない「ガス室」である。

 入浴・害虫駆除建物1にある害虫駆除/倉庫区画は、内部を木造の壁とドアで仕切られたL字型の部屋である。容積7657立方フィート、面積806平方フィートである。漆喰の壁、梁、気密されていない二つの屋根の換気口がある。空気循環システムが存在しているが、吸気口と排気口が隣接しているという不適切な設計である。鉄シアン化物が作り出したにちがいない青いしみが壁の表面を覆っている。そのデザインからしても、この部屋は害虫駆除室か、害虫駆除資材の倉庫であったと思われる。ドアにはガスケットがつけられておらず、気密用に設計されていない。部屋は内・外から密閉剤によって密閉されていない。この建物内部には、ずっと封印されている区画がいくつかあり、筆者はそれを観察することができなかった。この部屋は明らかに処刑ガス室ではなく、前述したような基準にも合致していない。図面参照。

 この部屋が処刑ガス室として使われたとすると、せいぜい90名を収容できるだけであり、2.0ポンドのチクロンBガスが必要となる。換気時間は少なくとも1週間であろう。最大処刑値は1週間90人である。

 入浴・害虫駆除建物1にある「実験的ガス室」は粗雑な木造の建物で主な施設と結びつけられている煉瓦の建物である。この建物の三方はコンクリートのくぼんだ通路で囲まれている。二つの部屋、目的不明の区画、コントロール室があり、後者には二つの金属ボンベが置かれており、そこには、二つの部屋にパイプを介して送り込まれる一酸化炭素が入っていたという。おそらく気密用のためのさねはぎのついた4つの金属製ドアがある。ドアは外開きであり、二つの機械式のラッチと閉じ棒で固く締められる。

 4つのドアすべてにのぞき穴があり、二つの内扉には室内の空気を検査するための検査シリンダーがついている。コントロール室には6インチ×10インチほどの窓――水平垂直に鉄筋コンクリートで補強されているが、窓ガラスがはまっているわけではなく、ガス気密にもなっていない――と部屋2への開口部が付いている。図面参照。二つのドアは部屋1の方に開いている、一つは前方、一つは後方、外側に。一つのドアは前方で部屋2の方に開いている。残りのドアは部屋2の後ろにある目的不明の区画の方に開いている。二つの部屋にはともに一酸化炭素のためのパイプ・システムがあったとの話であるが、部屋2では、作業がまったく終わっていないために、不完全である。部屋1の配管は完了しており、部屋の二隅のガス口のところで中断している。部屋2には屋根の換気口の跡があるが、屋根を穿って開いているのではないようである[チクロンBは穴から投げ込まれたという話になっている。この穴のふたをする装置がない。この建物屋根はオリジナルな状態ではない]。部屋1は空気暖房循環システムを備えているが、(吸気口と排気口が隣接しているために)その設計は適切ではない。また、換気装置がない。

 壁は漆喰で、屋根と床はコンクリート敷きであるが、どれも、内側も外側も密閉されていない。建物の小部屋のような形で二つの暖房空気循環器が設置されている。一つは部屋31用に、もう一つは入浴・害虫駆除施設の何らかの部屋用であるが、(図面参照)、いずれもその設計は適切ではなく、換気/排気設備をまったく備えていない。部屋1の壁には特徴的な青い鉄青のしみがある。建物は暖房されず、湿っている[空気暖房循環装置を備えた部屋は例外]。

 一見すると、これらの施設の設計は適切に見えるが、処刑ガス室や害虫駆除室の必要基準を満たしていない。まず、建物の表面の内側も外側もまったく密閉されていない。第二に、くぼんだ通路はHCNガスの溜り場になってしまう可能性があり、建物を危険にさらす。部屋2は完成しておらず、おそらく使われなかった。配管は完成しておらず、換気口が屋根にあけられていない。部屋1が一酸化炭素であれば稼働するかもしれないが、換気が貧弱なために、HCNでは稼働しない。暖房/空気循環装置の設置は不適切である。換気口も煙道もない。

 それゆえ、部屋1と部屋2は処刑ガス室として使われたことはなかった、使うことはできなかったというのが筆者の最良の技術的見解である。マイダネクの施設のどれ一つとして、処刑目的にふさわしくなく、そのようなものとして使われたことはなかった。

 部屋1の面積は480平方フィート、容積は4240立方フィートであり、54名を収容し、チクロンBガス1ポンドを使う。部屋2の面積は209平方フィート、容積は1850立方フィートであり、24名を収容でき、チクロンBガス0.5ポンドを使う。最大処理能力(1週間の換気)の理論値と実際値は表7にまとめてある。

表7:マイダネクの仮説上の処刑値
部屋1:1週間54人
部屋2:1週間24人

18:統計数値

 表8にまとめられている統計数値は本報告のために作成されたものである。ガス室が実在した(実際にはそうではなかったが)と仮定したうえで、各施設の24時間、一週間=7日間の処理能力と必要とされるチクロンBの量に関する数値である。

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 その他の「処刑施設」――ヘウムノ(ガス車)、ベウゼック、ソビボル、トレブリンカ、その他――ついて特筆すべきは、一酸化炭素が使われたことになっていることである。

 前述したように、一酸化炭素は処刑ガスではないし[目撃証言が述べているように、ディーゼル・エンジンからのものであるとすれば、少なくとも処刑ガスにはなりえない。一酸化炭素は第三帝国の悪名高い安楽死計画では処刑ガスとして使われた]、私見では、ガスが効果を発揮する前に、全員が死亡するであろう。それゆえ、一酸化炭素処刑では誰も死ななかったというのが筆者の最良の技術的見解である。

19:結論

筆者は、入手しうるすべての資料を再検証し、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクのすべての現場を検証・評価したのちに、以下の証拠が圧倒的であることを発見した。すなわち、これらの現場のいずれにも処刑ガス室は存在しなかった、検証された現場の「処刑ガス室」は処刑ガス室ではありえなかったし、いまでもありえないし、そのようなものとして機能しなかったし、機能したと真面目に考えることもできないというのが筆者の最良の技術的見解である。

1988年4月5日作成、マサチューセッツ州マールデン
フレッド・ロイヒター調査チーム
フレッド・ロイヒター・ジュニア
主任技師

<以下省略>

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